《2007.04.09 スマナサーラ長老『慈悲の瞑想』の講習》
これから「慈悲の冥想」の言葉を、本気で言ってください。
一度、わたしが四行を言います。
それから、一緒に言ってください。
本当は、テキストを見るとちょこっと集中力がなくなっちゃいますから、できればテキストを見ないで言った方が、目を閉じて言った方が、頭の中にインプットされます。
では、一回わたしが言います。
わたしは幸せでありますように
わたしの悩み苦しみがなくなりますように
わたしの願いごとが叶えられますように
わたしに覚りの光があらわれますように
はい、テキスト見ながらでもよろしいですから、一緒に唱えてみましょうか。
わたしは幸せでありますように
わたしの悩み苦しみがなくなりますように
わたしの願いごとが叶えられますように
わたしに覚りの光があらわれますように
(もう一度繰り返す)
わたしは幸せでありますように
わたしは幸せでありますように
わたしは幸せでありますように
こんどは、「わたしは幸せでありますように」と繰り返し、頭の中で念じてみてください。
わたしは幸せでありますように(3回)
これで一つのセクションが終わり。
わたしは幸せでありますように、とその希望で生きてみてくださいということなんです。
それで、自分だけ明るく元気でいても、なんか狭いんですね、人間として。
狭くてはダメです。危ない。
ですから、かなり大きい人間になる。
そういうわけで、自分の親しい人々(筆者注:現在の慈悲の冥想は「親しい生命(せいめい)」に変わっています。人間・動物・微生物などの区別をやめて、ここでも以降「生命」とします)も幸せでありますように、と念じる。
これは自分の希望であって、自分がそういう人間であると、親しい人の幸福も願うという人間であると、自分を広い、強い人間にする。かなり強い人間を作る。
カッコつけていることじゃないんです。
そうじゃなくて、自分自身を強い人間にする。こころ広く。周りの幸福も願いますよと。
親しい人々とは具体的には、家族、両親、親戚、それぞれ関係ある人々なんですね。結構います。だから、親くらいは具体的に思い浮かべてもいいですが、ほかはあまり具体的に思い浮かべなくてもいいんです。
子供のこととか具体的に思い浮かべないほうがいい。
そうすると慈悲のこころじゃなくて腹が立ってきます。なんでしっかりしないのか、と(笑)。
セリフは全部同じ。
ワンパターンです。
では一緒に。
わたしの親しい生命が幸せでありますように
わたしの親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
わたしの親しい生命の願いごとが叶えられますように
わたしの親しい生命にも覚りの光があらわれますように
わたしの親しい生命が幸せでありますように(3回)
はい、ではこれから、わたしの親しい生命が幸せでありますようにと、繰り返し念じてみてください。
(続きます)
《スマナサーラ長老『慈悲の瞑想』の講習https://www.youtube.com/watch?v=HRysI_uwTkU
説法めもより》