質問
「後悔が出てきてしまいます。
わたしは独身なのですが、外出した時にほかの家族の楽しそうな姿を見ていると寂しい気持ちになります。歳もとって、そのチャンスも逃してしまいました。両親も亡くし、兄弟も亡くし、独り身なのですけども、後悔だけではなく将来の不安も出てきています。
たとえば孤独死になったらどうしよう、体が液状化して階下の人に迷惑をかけたらとか、つまらないといえばつまらない心配をしてしまったりしている状況で、これが昼間ならまだしも、深夜に考え出していまうと結構辛くて、これを解決する具体的な方法を教えてください」
回答(スマナサーラ長老)
いたって簡単、余計なことを妄想しないでください。
わたしは独身ですけど(笑)
わたしもいろんな家族の楽しそうな様子を見ていますが、なんのことなくじーっと見ているだけ。寂しいという気持ちは一度も起きたことがないんです。
だからわたしは、その家族の中に入ってみんなとふざけて楽しむこともできます。
自分のお寺に地方から子供たちが来て、何日か泊まりました。
小さいころから知っている子供たちで、ちょっとからかったりしました。
自分の子供じゃなくても、優しささえあれば楽しく生活することはできます。
自分の人生がどうなるかということは、業によって決めるものだから、無理をしてもうまくいきません。
たとえば独身でいる人もいるし、結婚したほうがいいなといくら思ってもうまくいかない。うまくいくならば、早くに結婚しているでしょう。
そんな余計なことで悩む必要なないと思いますね。そうすると妄想になります。
結婚してハチャメチャ苦労する業だったら結婚できます。
自分の性格に、何か結婚生活に向かない性格があるんです。それは業ですね。それはなかなか変えられません。変えることは不可能ということではないんだけど、結婚に向いていない人が、すごく無理して結婚しても、うまくいくかどうかはわからないんですね。
ですから、自分の人生を楽しく、充実感を感じながら楽しく生きればいいんです。
結婚できない業っていうのは、あまり人を助けた経験が過去世でないんですね。
自分だけ良ければと言うことで。
しかしいいことをしたんだから人間になったんですよ。が、それは一人でやったんです。わたしは一人でやるからあなた方は参加するなよ、とかね。
たとえば、公園をきれいにしましょうというときは、自分一人でやってしまおうと思っちゃうんです。きれいにすることはいいことですね。それで自分一人でずーっと公園をきれいにして家に帰って、「吾輩はいいことをしました」といい気分でいる。
これを二、三回繰り返すと、それを見た誰かが、「じゃあわたしもお手伝いします」と言い出すと、「いえ、あなたは関係ない。わたしが一人でやって来たんだから、わたし一人でできますよ」と追い返しちゃうと、どうなるんですか。そうすると、自分だけの業になるんですね。
別の人は、「手伝ってくれるんですか。助かりました、じゃあみんなでやりましょう」と。二十人集まったらやることなくなっちゃった。あっという間に公園がきれいになって。でも、いいんです、それで。今まで三時間かかったのに、一分で掃除は終わり。残り時間でお茶飲んでお菓子を食べて楽しめばいいでしょう。でも、よいことをたくさんの人々と一緒にやったんですね。そういう人々は人間に戻っても、たくさんの仲間がいる。
こういう過去の業は今さら変えられませんしね。
いろいろな業のタイプがありますね。
その過去に文句を言わないで、今の自分の性格でどう幸福に生きられるのかと考えればよろしいんです。
だから、寂しいのがいやだったら、いろいろと人を助けることをすることです。
それで寂しくはありません。
わたしたちにしてみれば、出家した時点で一人ぼっちですからね。でも、あらゆる面で人を助けるわ、助けるわ、キリがない。要求に応じて助けてあげる。
日本に戻る四日前に、猫ちゃんが子供を産んでね、助けてくださいと。
どうしてもわたしのベッドの上で産みたいと。
妊娠していて偉い態度がでかいんです。わたしのベッドにいて、「体に触るなよ」とその母猫は怒るんですね。
それで、なんとか母猫は子供を産みました。
そうやって頼まれた仕事をやってあげる、とにかく。
日本に帰るんだから、部屋を閉めなくちゃいけないんだけど、母猫はものすごく怒る。「わたしはこの部屋にいるんだ!」と。
誰だって、助けを求めてきた人を助けることで、寂しさというのはなくなります。
「自分が役に立っている」ということを憶えてください。これは仏教用語なんですね。
自分が役に立っているなら、そちらに寂しいということは存在しない。
みんな、自分が役に立っているかどうかは後回しにして、「寂しい」と言います。
家族の中にいても寂しい人は寂しいんですよ。家族がいれば寂しくないというのではないんです。家族であっても寂しい家族をわたしは知っています。お互いに役に立っていないんです。
子供でも、家族の中で役に立つことをしない場合は、自分が寂しくなっていきます。
助けてあげる、協力するということで寂しさが消えます。
孤独死の場合は気にしないでください。
そのときはあなたは死んでいるんだから関係ないんです。こういうのはあまり考えなくていい問題でね。
いらんことを妄想して悲しくなるんではなくて、喜んで生活する。
明るく、充実感を持って生きるということを各自でプログラムしてください。
われわれの人生はわれわれの業が作ったものだから、その人生でどうやって生きるのかと考えます。
もし足が一本なかったら、そこで何ができるのかと考えるのはその人の仕事でしょう。わたしがそれに悩まなくてもいいでしょう。眼が見えなくて生まれた人が、ではどうやって生きるのかとそのプログラムを考えなければいけません。「眼が見えたほうがよかったのに」という気持ちでプログラムを考えると、何もできないでしょう。眼が見えない人は、眼が見えない人にできることに挑戦する。それで幸せになります。
そういうわけで、大家族で生まれる人もいるし、子供一人だけの家族もあるし、結婚しても子供が生まれない家族もあるし、結婚ができない人もいるし、別にいいんじゃないですか。それぞれの業だから。
自分のプログラムは自分で組むんです。
そういうふうに頑張ってみてください。
(終わり)
スマナサーラ長老 法話と実践会(ゴータミー精舎)2017.09.10
http://fb.me/3Mf87VTgl を聞いて書きました。
http://twilog.org/jtba_talk/date-170910/asc
2017年のカティナ衣法要は終了しました。
カティナ衣法要のお布施リストを、Amazonで個人的に作成しました。
上の写真のような服などを、法要に出席のお坊さまにお布施します。
このお布施リストは、本日、2017年10月22日(日)まで掲載します。カティナ衣法要は2017年10月29日(日)にゴータミー精舎で行われます。
https://www.facebook.com/events/277192622685514/
参考:
お布施ってどういうこと? - カティナ衣法要(1) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
お布施ってどういうことかというとね。
お布施することで神経科学的にどう影響がでるのかと研究している科学者たちは、最終的には、お釈迦様がおっしゃっている結論には来ているんですね。