ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

World Buddhist #25  インドの北西・グジャラート州

World Buddhist #25  インドの北西・グジャラート州

 

ヒンドゥー教遺跡の中のブッダ

 インドのグジャラート州にある女王の階段井戸(ラーニ・キ・ヴァーヴ)は、世界遺産に登録されているヒンドゥー教遺跡です。インドでは水を確保するために地面を掘り進め、その井戸の壁に階段を作り神々や動物などの彫刻を施しました。階段井戸はインド各地に残っていて、初めて階段井戸を見た時は、井戸とは思えず地下に造った神殿かと思いました。

ラーニ・キ・ヴァーヴはその中でも圧倒的な造形の美しさを誇っています。地中に埋まっていたところを、約70年前に発掘され、黒ずんでいた彫刻は元の色に戻すべく漂白処理されたということです。11世紀に建造された美しさをそのまま今に伝えています。

去る2月に仏教の八大聖地を見てきたばかりなので、その発掘状況と比べてヒンドゥー教遺跡にかける情熱の差を感じ取れなくもありません。それほどラーニ・キ・ヴァーヴでは、広大な彫刻の細部まで丁寧な発掘作業が及んでいます。

その中に、ブッダの彫刻もありました。ヒンドゥー教の教義では、ブッダをダシャーヴァターラ(神の十化身)のうち九番目の化身だとしています。(写真1)

 

ヒジュラーと呼ばれる第三の性

 ラーニ・キ・ヴァーヴから西へ300キロ行った所にある、同じくグジャラート州のブージというパキスタン国境に近い街で、ヒジュラーのお寺を訪ねました。

ヒジュラーとは、インドでトランスジェンダーの人々を主に指すようです。デリー首都圏では、信号待ちの車の窓ガラスを叩いて小銭を求める女装した人々もヒジュラーと呼ばれています。

しかし、ブージで訪れたヒジュラーの人々は、自らを神だと言い切り、3階建ての大きな家に十数名が共同で住み、信者からの寄進で生活しているということでした。

わたしを含めた4人の日本人女性が彼女たちの寝室兼応接間に入ると、外からヒジュラーが集まってきました。入り口に一番近いベッドはグル(リーダー)のものなので座らないように、と言うことでした。

グルは他のヒジュラーたちの指導者で、大変尊敬されているようでした。集まったヒジュラーの人々は、ふっくらと女性的な体つきで、一見ヒジュラーとはわからないくらいでした。会話がだんだんと盛り上がってくると、一緒にいたインド人男性ガイドさんは「外で待っています」と庭へ行きました。

一人の友人が「下半身はどうなっているの?」と質問すると、その場にいたヒジュラー5、6人がサッと横一列に並び、サリーの裾を腰までたくし上げて見せてくれました。皆、ただ傷跡のような形跡が残っているだけで、つるりとした皮膚になっていました。「これはどうやったの?」と聞くと、「自然に取れた」「天に神が持って行った」「わたしたちは神だから」という誇らしげな答えが返ってきました。

その少し前に、「Cut off」と言っていた人もいたので、公式発表と実情は少し違うのかもしれません。また、「わたしたちは神なのでセックスはしない」と断言していました。

 サリーを整え、最上階の3階にある祭壇へ行き、お参りしました。祭壇には、三女神が祀られていました。(写真2)ヒジュラーの一人が、大きな掌をわたしの額に置いて祝福してくれました。その時はガイドさんも一緒で、代表して祭壇に200ルピー札を置きました。

 ガイドさんは、「この街のヒジュラーは比較的恵まれています。神として人々から信仰されているので、街角で物乞いをする必要もないし、精神的にも金銭的にも余裕があります」と説明していました。そして、そのガイドさん自身もヒジュラーの知的能力の高さや真面目さを買って、自分の経営する旅行会社にスタッフとして雇っている、と明かしました。

 

アンベードカル博士の写真が飾られた部屋

 ブージ近郊に、羊を飼って羊毛を取り、自ら手機で絨毯などを編む村がありました。元はパキスタンから移り住んできた人々で、カースト制では不可触民族とみなされているそうです。羊毛は、黒、こげ茶、白など羊本来の色か、染料を使う場合はアカシヤのみでベージュにするそうです。

その硬くしっかりとした毛糸で厚手の絨毯を編み上げていました。アメリカの業者から注文を受けて織ったものも見せてもらいました。

その工房の一角を見上げると、反カースト運動の指導者でインドの仏教復興を指揮したアンベードカル博士の写真が飾られていました。(写真3)

 

都市や観光地の喧騒から離れて

 グジャラート州には3日間いましたが、その間に一度も物乞いに遭遇しませんでした。車のクラクションが辺り構わず鳴り響くこともなく、人々が話す声も穏やかでした。

わたしが住んでいるデリー近郊や仏跡巡りで訪れた観光地とも様子が違いました。グジャラートでもわたしは観光客だったので、買い物をする機会はたくさんありましたが、これまでと違って買うように強く勧められたり、しつこく食い下がられたりすることもありませんでした。例えばある店でたくさんの織物を一面に並べて、散々迷った挙句一枚も買わなかったこともありました。

店の人は少しがっかりした様子でしたが、何も言わずに布をたたんで片付けるだけでした。「ここはそういう人柄の土地です」とガイドさんが言っていました。

 

 しかし、グジャラートはモディ首相の出身地で、多くの外資系企業が誘致され、新幹線も建設中です。ついに転勤で日本人家族がグジャラートへ引っ越すケースも出てきました。これからの発展は目覚しいものなのでしょう。

そしてグジャラートの都市アーメダバードも、デリーや近郊の都市のように喧騒と焦燥の街になっていくのでしょうか。

(了)

 

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写真1、2、3

(World Buddhistは、日本テーラワーダ仏教協会の機関紙「パティパダー」(送料込み600円)にて連載中です。パティパダーは、上記協会http://www.j-theravada.net

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今回のWorld Buddhist #25は、2019年5月号のパティパダーに掲載されました)