ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

なぜブッダを念じると幸福になるのか?

「なぜブッダを念じると幸福になるのか? ~覚者の徳を学ぶ意味~」

スマナサーラ長老 初期仏教月例講演会 2014年9月6日)

 

 

"ポイントまとめ"

・「ブッダの九徳」とはお釈迦様の徳(能力)を九つにまとめたフレーズ。

・この九徳をひたすら唱える(念じる)って宗教っぽくない? という疑問に「ノー」という。

・宗教は洗脳プログラムだが、九徳を唱えるのは心の解毒プログラム。

・思考が人生を創造している。

・思考とは三層構造。1、意識層(表面)2、無意識層(真ん中)3、潜在意識層(底面)

・潜在意識層はほぼ知ることができない。

・あなたのすべてを思考が決めている。体の構成、維持管理、病気になるかならないか等、すべては思考次第。

・思考の管理方法は、気づきの実践(瞑想)をすることと、ブッダの九徳を念じること。九徳のほかにも慈経など念じてもOK。

・九徳などを念じることは思考を置き換える訓練。

・思考が変われば当然人生が変わる。全然神秘的なことではない。

・万が一潜在煩悩(意識)が目覚めても、表層に解毒剤が働いていれば表に出てこない。

・やがて表層から下層の潜在意識へ影響が伝わる。それで根本から人生が改善する。

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(ここからは講演内容のメモです↓)

 これから今日のテーマについて語りたいと思います。

テーマは「なぜブッダを念じると幸福になるのか?」

「ブッダを念じなさい」と言われれば「宗教でしょう?」と。でも、そうではない。これから説明していきます。

基本的に宗教というのは洗脳です。仏教は宗教ではない、智慧の教えですから、心を開発しなくては、知恵を開発しなくてはならない。神秘体験を体験することでもない。超越した体験はあるけれども。病気にならないためにワクチンを接種するでしょう。ワクチンはウイルスに似ている。蛇の解毒剤も、蛇の毒から作る。洗脳されている我々を洗脳から解放して自由になるプロセスも、ワクチンがウイルスに似ていることと近い。「ブッダの九徳(きゅうとく)を念じなさい」というのも宗教と似ているのではないかと。でも違う。表面的に似ているんだけれども、全く違う。蛇の毒と解毒剤。同じ毒から作るんだけれども、機能は反対。知恵を開発するために、邪魔になっているのは洗脳、迷信です。

 あるプログラムを実践して、私たちは心を自由にしなくてはいけない。

 

「人生を創造するメカニズム」

思考が人生を創造する。人の幸福は思考次第です。神など、外からの力ではない。「両親のおかげで」「先生のおかげで」というのは社会的な言い方だと思ってください。「いい環境で育てられたんだから健康になりました」これは正しい。「神様の湧水を飲んできたので健康に育ちました」というのは違う。証拠がない。

どんな生命の生涯も、思考が作っている。しかし私たちが思う通りにはいかない。希望とは反対の結果になることは日常茶飯事です。

まず、思考について学んでみましょう。思考とは何でしょう。思考とは言葉で考えることだけではありません。思考とは心の仕事のことなんです。自分に定められた仕事がある。目の仕事は、見ること。目でわさびを味わうことはできない。ひどい結果になります。そんな感じで心の仕事は思考です。

言葉が無くても概念で思考します。

体が痛くなると「痛い」というでしょう。でも痛みの種類は相当多いでしょう。色々痛みがあります。でもほとんどそれに対応した言葉はない。でも私たちはどう痛いか知っています。そのとき概念で思考しています。

ご飯食べながらしゃべっている。ちゃんとご飯を食べている。「そういえばあの人ね…」といいながら、ちゃんとパンにバターを塗っている。自分の好みくらいの量を。言葉でなく概念で思考して判断している。

怒りが現れたら怒りに関連するデータを自動的に集めている。ある人に対して怒りがわいた。そのとたん、言葉ではなく思考で自動的に、過去のその人の「悪事」を収集する。「集めたいな」と思って集めたのではない。「怒りたい」と思って怒るのではなく、心が瞬時に怒りのデータを集めて怒りを回転させる。

思考が人生の有り様を作り出します。希望としては嫉妬したくないんだけど、心が勝手に嫉妬している。心が勝手に人生を作る。

思考には三つの層がある。

1、私たちが気付いている感情(表面)…みんな知っている

2、たまに気づく、無意識な感情(裏面)…心理カウンセラーが気付くこともある

3、持って生まれた基礎の層(潜在意識)…誰にも気づくことはできない。

 

 「思考の働き方」

 欲、怒り、落ち込みなどで思考する。どんな偉い人も、誰だって感情で思考する。知識、教育、仕事、人付き合いなどで思考する。表面の思考は裏面の感情に影響を与える。裏面の感情の変化が、基礎の層にも影響を与える。

 パソコンに例えると、ソフトウェアは私たちが自由に使える。でも、OSは管理できない。ましてバイアスの中身は全く知ることができない。パソコンと心の構造は似ているところがある。心の第一層はソフトウェア、第二層はOS、第三層はバイアスです。

 子供の時は見込みのある子供であっても、大人になった今は大したことない、こんなもんです。何が変えたのか。本人の思考です。表面の思考が裏面の感情を変えた、そしてそれが基礎の層を変えた。

 赤ちゃんや子供たちの性格を理解した方が子育てしやすい。どうすればいいか。寝ている時の姿と目覚めた瞬間の感情でいくらか基礎の層が判断できます。普通社会生活で隠している性格が、目覚めるときに出ている。裏の層が波打つと、表面の層が影響を受けて波打つ。裏面の怒りが起きてくると表面に出てきて、人に当たってしまう。怒鳴ってしまう。

無意識の感情が波を打つと、表面に影響を与える。これが夜起こります。体は寝るが心は寝ない。だから裏面が仕事をする。無意識が波を打って意識に伝える。意識で感情を作る。これが激しいので、今度はそれが無意識層へ影響して、そのあと基礎層へ伝わる。真ん中の層から上の層へ、それが跳ね返って真ん中の層へ、そして一番下の基礎層へ行く。

 突然、基礎感情が潜在状態から目覚めることがある。これは誰にもどうしてかわからない。そうすると、すぐ裏面の感情へ伝わり、さらに表の感情へ行く。いつでも心は自分でフィードバックする。一番下の基礎層が波打つ → 無意識層へ伝わる → 表面層へ伝わって波打つ → 無意識層へフィードバック → 基礎層へ。このように、心は自給自足でパワーを作って動いていく。基礎層が波打つと必ず上へ伝わっていく。地震と同じ。地震で家が揺れることをどうやってとめますか? これは無理です。なぜなら地面の一番下から揺れが伝わってくるから。地震がいつ起こるか誰にも分からない。そのように、潜在意識が目覚めるのはいつかと予測できない。かなり危険です。しかし地震の場合も、あらゆる研究で予測しようとしている。でも一日前に地震が来ると分かっていてもどうすればいいでしょうか? 

 潜在意識は普段寝ているのが基本です。でも私たちが普段生活していて潜在意識が目覚めることがある。でも地震と同じで目覚めない方が安全です。

 突然人を殺したくなって殺すという事件がある。なぜあの人がこんなことをしたのかよくわからない、専門家にもわからない。これは潜在意識が理由です。ちなみに脳の異常、薬の影響で起こることはこのカテゴリーではありません。

 

 「人格を変える思考」

 生命は1500もの感情があるが、ぜんぶ貪・瞋・癡(とん・じん・ち=欲・怒り・愚かさ)です。だからどんな思考しても最終的に不幸になっています。悩みが増えます。

たとえばある人が「司法書士になりたい」と思っても欲の感情でしょう。たまに「人のために役に立ちたい」と行動する人がいますが、結局はうまくいきません。なぜなら潜在意識が欲の感情です。または怒りだからです。

 仏教は貪瞋癡(とんじんち)を制御してください、と言います。それが道徳です。

 

 ブッダの時代、在家の人も預流果(よるか=悟りの第一段階)

に悟っていました。そういう方は、商売をしても家庭を持っても、貪瞋癡を抑えていたから悟れたのです。

 お釈迦様の時代に大酒飲みの人がいました。ある日その人がなくなりました。大酒のみでしたが、お釈迦さまは「その人は預流果に悟っていました」と言いました。人々はびっくりしました。大酒のみだったんだからそんなはずはない、と。でも、たとえ大酒のみであっても、裏の感情がきれいだったんです。本当の道徳は感情を清らかにすることです。表面のしきたり(大酒のみかそうでないか)ではない。

 人は思考してから行動します。身口意(行動・言動・思考)を守ることです。

 

 心の構造は間違っているんだから、そこを改良しなさいということです。本能は貪瞋癡です。すべての不幸は貪瞋癡(とんじんち)からきます。

貪瞋癡は苦を作ります。不貪不瞋不癡(フトンフジンフチ)に変えなくてはいけない。

 

「思考(こころ)の創造力」

 あなたのすべてを思考が決めます。

体の構成、維持管理、病気になるかならないか、すべてが思考が決めています。遺伝子のプログラムにがんになる要素があっても、がんになるかならないかは思考が決めます。貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を、抑えて、抑えて、生きていたならば、がんになるのを後回しにします。ただし潜在意識に何かあったら、どんなに良い性格の人も病気で早く死ぬことがあります。潜在煩悩(意識)はアクセス不可能なのです。

 しかし私たちに思考を管理することはできないのです。でも仏教はこの思考を管理する方法を教えています。思考は自分勝手に働きます。だから希望は叶わないということが起こります。

 

「運命ってなんですか?」

物事がうまくいかないとき、運命だから、神の決まり、先祖のたたりということにしたりします。

基礎の潜在煩悩(意識)については正覚者(お釈迦様)しか知ることができません。お釈迦様の場合は、相手の心のすべてを知って指導することができました。

 (例としてお釈迦様のあるエピソードがあります)ある時、金細工の職人が出家して瞑想修行しました。サーリプッタ尊者がこの元金細工職人の瞑想を指導しました。美しいものばかりに囲まれていた職人なので、不浄を見る瞑想をすすめました。でもちっともうまくいきません。それで元職人は、自分は僧侶としての才能がないと、還俗しようとしましたが、そこへお釈迦様が来て、一輪の美しい花を元職人にあげました。それを受け取って、元職人はお釈迦様からもらった完璧な美しい花を凝視しました。そのとき心が花にくぎ付けになりました。そこで花が枯れていく様子を見て、無常を体験して、悟りを得ました。お釈迦様から直々に声をかけてもらって、美しい花をもらって花への集中力が特別に高まったということもあるでしょう。

 なぜ智慧のあるサーリプッタ尊者には、元職人の瞑想指導が成功しなかったのか? それはサーリプッタ尊者さえも元職人の潜在煩悩を知ることができなかったからです。いくら不浄を見続けても、元職人には効き目がなかった。

現代も、原因が潜在煩悩だと分からないから、迷信を作って納得したり信仰したりします。

潜在煩悩ってかなり頑丈です。ただ、意識できる感情(表面層)をコントロールすることで裏面の層を、さらには基礎層(潜在煩悩)を変えていくことは可能です。

 

「人格改良のカギ」

意識している、気づいている表面のこころを変えることがカギです。貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を制御することでできます。妄想を減らすこと、思考を制御することで二番目の層の無意識に影響を与えることができます。これでどんどんと改良が起こります。

 

「思考の管理の仕方」

気づきの実践(瞑想)は究極の方法です。

もう一つの方法は、汚れた思考を正しい思考で置き換えることです。問題は誰でも自分の思考は正しいと思っていることです。「あなたの思考は汚れているんだから正しく直してください」と言われても、本人は汚れていると思っていない。

 たとえばある人に「なんであんなひどいことを言ったのか?」というと「だって相手が私にひどいことを言ったから言い返したのだ。私が悪いわけではない」というでしょう。本人は自分が悪いと認識はない。

 だれかをモデルにしようと思っても、たいていの有名な偉い人も結局は貪瞋癡で思考している。そういう人をモデルにしても結局人格改良はできない。貪瞋癡を打ち破って人格を完成した人をモデルに選ぶべきです。それは結局、事実として、ブッダと阿羅漢たちしかいないんです。ブッダをモデルにすることで希望の扉が開きます。

 目的を設定するのは構わないが、希望や欲望を設定するのはやめた方がいい。

 

「ブッダの九徳を念じること」

 ブッダの九徳とは、

1. 阿羅漢(一切の煩悩を滅尽し、神々、人間の尊敬、供養を受けるに値する方です。)

2. 正自覚者(完全たる悟りを最初に覚って、その悟りへの道を他に教えられる方です。)

3. 明行具足者(八種の智恵と15種の行「性格に関する徳」を備わっている方です。)

4. 善逝(正しく涅槃に到達した/善く修行を完成した/正しく善い言葉を語る方です。)

5. 世間解( 1 宇宙、2 衆生、3 諸行という三つの世界を知り尽くした方です。)

6. 無上の調御丈夫(人々を指導することにおいては無上の能力を持つ方です。)

7. 天人師(人間、それより超次元的存在である神々等の一切衆生の唯一の師です。)

8. 覚者(真理に目覚めた方、仏陀です。)

9. 世尊(全ての福徳を備えた方です。)

 

これを念じることは思考を置き換える訓練です。自分が正しいと思うもので頭をいっぱいにしないで、九徳を考える。それで貪瞋癡を抑えられる。あらゆる悩み、妄想がなくなって落ち着きます。

九徳は難しい。それはお釈迦様の意図的なものです。一つ目の「阿羅漢」。阿羅漢とは何かと勉強しなくてはいけない。それで頭を使うでしょう。どんなものか知るでしょう。それが心へ入っていく。

意味は簡単ではありません。でも苦労して学ぶと真理に対して理解が深まります。九徳をどれか一つだけ選んで理解して念じることもできます。たとえばタイでは「阿羅漢」です。アチャン・チャーのところでは「ブッドー」です。掃除するときでも「ブッドー、ブッドー、ブッドー」といいながら掃除します。心が清らかになるんです。ほかの思考が入らないでしょう。

九徳を唱え始めたら、貪瞋癡を破ることをスタートしたことになります。不貪不瞋不癡(フトンフジンフチ)という解毒剤が心に現れたことになります。身口意の行為が善に変わっていく。思考が変わっていっているんだから。不善を善に入れ替えるのです。それが人生全体に影響を与えるので幸福になります。思考次第で幸福になります。

正しい思考になる、貪瞋癡が不貪不瞋不癡になる、それが裏面の心に影響を与える。万が一潜在煩悩が目覚めても、上に解毒剤が働いているので表面に来ない。やがて潜在煩悩もよくなっていきます。人生は根本から変わります。生きることは苦です。思考を根本的に変わると、苦も変わる。苦がなくなる。仏法を学ぶことでも人生は変わります。慈経を唱えることでも、死随観をすることでも、ほかの仏道の実践方法でも変わります。全然神秘的ではない。思考が変わるんだから人生が変わって当たり前なんです。思考パターンが変わります。汚れた思考が正しい思考になります。

ブッダを念じるということは、ブッダを信じなさいということではない。ただ単に九徳をもつ人が今はブッダしかいないだけ。

過去のブッダにも九徳はあったのだから個人崇拝ではない。ブッダの代わりに神を念じたら? 神自体が妄想概念でしょう。しかし、欲怒りなどの感情が弱くなる場合もあります。神を信仰する人で良い人たちもいっぱいいます。しかし智慧は現れません。迷信ですから。苦しみを乗り越えることもできません。神は人間が作った妄想上のキャラですが、人格が完成されていない。神よりはお母さんを信仰してください。その方が効き目がある。宗教は全く無意味ではない。それなりに結果はあると思いますが、苦しみは乗り越えられない。

九徳を念じると私たちの人生は根本から改善します。遺伝子組み換えのようなものです。幸福になる方法は、幸福をいったん忘れて九徳を唱えること。それで確実に幸福になります。(おわり)


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