本日10月10日(金)18時から行われた、初期仏教 公開講座『継続力 ~目的に達するために~』講師:スマナサーラ長老 。
動画配信を見ていました。講演内容は途中切れてしまいましたが、最後の質疑応答は全部見られました。
全体の再配信は後日とのことで、お楽しみに!
じゃあ、質疑応答の”まとめも”(まとめめも)いきまーす。
質疑応答
質問1「16歳なんですけど、これからしたほうがいいことはなんですか?」
回答「まずは、お母さんを手伝ってあげてください」
質問2「仏道では音楽を楽しむことは修行の妨げになりますか?」
回答「音楽を選べば大丈夫です」
質問3「努力は嫌なものだという定義がある。でも、努力の中には嫌じゃない努力もありますか?」
回答「努力が嫌じゃないときは、人の役に立っているときです」
質問1「16歳なんですけど、これからしたほうがいいことはなんですか?」
回答「まずは、お母さんを手伝ってあげてください」
自分ができる、ぴったしできることを選んでください。金をたくさんもらえるという基準で選ぶのではなく。
一番安全な方法は自分が人の役に立つこと。
お母さんををたすけてあげたり。りょうりせんたく、かいもの、ともだちにも、なにかちょこちょこたすけてあげたり。
そうすると社会のリーダーになります。だれにもすかれる。人を助けることを始めるんです。人だけじゃなく、動物も助ける。
自分もすごく気持ちいい。勉強もサクサクできるようになる。
脳に記憶させる技は、自我をなくすこと。
海馬にデータを残すには、自我がないこと、慈悲。
海馬が健康になってなんでも記憶してくれる。
あなたの年齢は、お母さんを助けることが一番やりやすい。
お母さんがとても喜んでくれる、自分として自信が付く。ほかはどうってことない。がんばってください。
質問2「仏道では音楽を楽しむことは修行の妨げになりますか?」
回答「音楽を選べば大丈夫です」
瞑想では音楽は辞めた方がいい。
普段は、音楽を選んだ方がいい。優しくなる音楽。
スケート。花。これから生まれる君のため。(筆者本人は初耳ですが、何かフィギアスケートのテーマ曲のことでしょうか…)すごく楽しい。自分のこころが明るくなってきて。そういう風に音楽を選ぶ。激しい怒りの音楽はくたびれる。人格向上する音楽を選ぶ。
質問3「努力は嫌なものだという定義がある。でも、努力の中には嫌じゃない努力もありますか?」
回答「努力が嫌じゃないときは、人の役に立っているときです」
嫌じゃない努力は、貪瞋癡(トンジンチ)から出てくる。悪にならない努力の場合は、嫌になってくる。
仕事は自分にとって簡単な仕事を選んでください。
失敗したらいけない世界だから。料理人が料理しっぱしたらダメ。運転手、お医者さん、失敗してはならない。どんな仕事でも。見栄を張ってややこしい仕事を選んだら、人類にとって危険です。自分にとって簡単な仕事を選ぶことは慈悲です、人類に対して。
医者になるのにものすごく苦労しないとなれなかったら、医者になってから患者さんに対して危険。淡々と勉強してなれる人が医者になった方がいい。世界に対する慈しみです。
宅急便のひとも、失敗しないでできる人。仕事に貴賤はない。どんな仕事も失敗しないでやってほしい。以上です。
まだ納得いかない? (質問者は頷いたみたいな様子。同じ質問者が続けて質問する)
質問者「世の中は分業になっている。音楽なら貪瞋癡(トンジンチ)の努力になりますか?」
回答「自分の努力が人に役に立つと嫌じゃない。大震災のとき。歌手がただで歌う。お金のためじゃない、みんなを助ける気持ちで歌う。とてもいい音楽。
仕事をするのが嫌じゃない、努力が嫌じゃないときは、人の役に立っているとき。
役に立っている場合は元気なんです。慈しみに入れ替えてください、欲を。そうするとすごいやる気が出てくる。仕事にやる気が無い時は、これって役に立たないでしょうと思うから。
文章を書くとき、これはだれもよまないでしょうと思ったら、やるきがきえちゃう。誰かが読むでしょうと思うと、しっかり書こうとします。(おわり)
チエリ(´-`).。oO(質問3の回答は、最初の「嫌じゃない努力は貪瞋癡から出ている」と終わりの方の「努力が嫌じゃないときは人の役に立っているとき」は矛盾しません? もう一度聞かないとわからないな…)