ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

幸も不幸も飛び越えて、私たちは軽々と生きる

(昨日の記事「頭で考えるのはほどほどに。昨日より「微妙にマシ」な生き方を。 - 瞑想してみる」の続きです)

 

幸福になるか不幸になるかは因果法則です。

 

幸か不幸かレッテルを張る場合は、観念を使いますけれどね。それもやがて消えちゃいますよ。いいや面倒くさいと。そこを通ったひとは、幸福を判断しないのです。

 

たとえば、買い物に行こうかなと思ったところで、雪で滑っちゃって、骨を折ったとする。不幸でしょ。しかし幸福を飛ばした人はそこを不幸だと思わないのです。

「あ、今の瞬間から改めて生きるんだ」と。

 

「おもしろい、買い物は簡単にチャラになっちゃった」「もし足の骨を折らなかったら、雪の中買い物に行かなくちゃいけない、早く料理作らなくちゃいけない」といろいろストレスがあったんだけど、それが瞬間で消えました。これから別な世界に入りますよ。

 

じゃあ携帯で救急車呼ばなくちゃ。救急車に乗ったら、救急車ってこういうものか、と。病院へ行ったら手当してもらって、看護婦さんにもちょっかいを出したりして。あー楽しかったなぁと、いうことで終わっちゃうんです。

 

幸不幸の低い次元を飛ばした人は、「今の状況をいかに生かすか」と考えます。「あ、これは不幸だ!」とは思わない。

 

たとえば、宝くじを買っても買っても当らない。損ばっかしでしょ。しかし別の見方をすれば、「宝くじってけっこうデザインがいいな。じゃあ全部コレクションしましょう」ときれいにファイルすれば、いい作品になります。ほかには、宝くじでちぎり絵を作ったり。いい作品ができると、宝くじで外れたことは全然悔しくないのです。

 

幸福に引っかかっている人は、「今度もついてないなー、嫌だこれは。今度は当てるぞ」と宝くじを買い続けて、不幸がずっと続いていきます。

 

幸不幸に足をひっぱられるときりがない。

 

だから、今の状況をどう生かすのか。人生とはいつでも試す場面です。常に試されています。瞬間瞬間、どう生きるのかと。チャレンジです。

 

私たちは「白じゃない」と聞くと、「だったら黒だ」とすぐ考えます。しかし間違いです。たくさんの色の選択肢の中から、白のみが除外されただけです。

 

しかし私たちの脳は二次元で考えてしまいます。「育てていない脳」は。

「おいしくない」と言ったら「まずい」だと思ってしまいます。「おいしくない」は「まずい」という意味ではないでしょう。こういう未発達の脳を育てた方がいいです。

 

「あなたは美人ではありません」と言われたら、「ブス」と言われたわけではないのです。しかし、女性に「美人ではないですね」と言ったら殴られちゃいますよ(笑)それは脳が開発されていないからそうなってしまいます。智慧のある女性に向かって「美人ではありませんね」といったら、その女性は「あなたが美人と思うのはどんな条件の女性でしょうか?」と聞くでしょう。美人と決めるのはその人の主観だからね。「あなたが美人だと判断する判断材料はなんなのか?」と。それだけの話ですよ。

 

そういうことで、二次元性にあまりはめられなようにしてください。

幸福か不幸かと言うのは、自分の腕次第です。

 

関西月例冥想会 2013.01.20 1/1 - YouTube

29:00~40:00頃までメモしました。

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