ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

幼児期のトラウマとどう向き合うか?-「お月様と太陽で車を作りたい」願望を誰もが持っている

質問「幼い子供が親によく育てられたい、安全できちんと世話をされたいというのは『生きたい』と言う本能から来るものだと思いますが、その時期にその本能が満たされないことになれば、その子供にとっては絶対的にヤダと言う記憶が頭に植えつけられます。それを大人になったらどう解釈していったらよいのでしょうか?」

 回答(スマナサーラ長老)

それは解釈できません。

どんな生命にも生きていきたいという気持ちがあって、それはすごい脅迫なのです。「生きていきたい」と思ったら、その瞬間で脅迫されてしまいます。なぜならば、現実と対処しないからです。現実は壊れるものなのです。

だから「生きていきたい」というのはあり得ない話なんです。

それなのに我々は、本当に真面目に「生きていきたい」と思っています。あり得ないと言うことが理解できません。

そうなってくると、ずーっと脅迫されておびえて生きていかなきゃなりません。いかに死を避けるのか。

それは赤ちゃんでも同じです。赤ちゃんが生まれるときでも死にかけて生まれてきます。私たちはずーっと命の危険におびえています。

 

それを解決する方法は、修行して悟るしかない。修行して智慧を開発して、「こんなのあり得ないのだ。生きていきたいというのは」と分かった途端、すべての苦しみも恐怖感も全部きれいに消えちゃって、無限の無量の想像できないほどの穏やかな気分になります。超越した心境になります。これは修行以外は方法がありません。

 

それまではこのイタチゴッコをやらなければいけない。

怖いけれど、何とか生きていきたいと頑張る。それでも不安。生きていきたいという気持ちがある限り、同じこっちゃなんです。

 

赤ちゃんは自分を守ってほしいと思っています。

思うというか感じるんですね。その時「ヤバイ。自分が守られていない」と感じたら、これを一生背負ってしまいます。性格的に。大変なんです。

 

だから赤ちゃんのわがままは無条件で叶えてあげなくてはいけません。わがままは通じませんよ、と教えるのはなんとか言葉を理解したときなんですね。それからどんどん教えてあげなくちゃいけない。

言葉が分からない間は、一歳くらいまでは、徹底的にわがままに応じるしかありません。でなきゃ健康な人間にならないのです。

 

日本では赤ちゃんを一人で寝かせたりするのですね。あれは良くないんですよ。

だいたい先進国では赤ちゃんを一人で寝かせますけど、我々は(スリランカでは)赤ちゃんが自分で走り回るまでずーっと母親と一緒に寝かせるんです。母親がいなければ誰かと一緒に寝かせます。一緒に寝るのは普通で当たり前です。これで心に安心感を与えます。みんながあなたのことを思っているんだよ、と。そうなると、精神的に病気になる人はものすごく少なくなります。

 

スリランカでも最近は結構いるみたいですが、ちょっと昔は精神病棟へは相当狂った人しか行かなかったのです。相当狂っている人は医学的に脳に問題があったりしてどうにもならない場合です。そうでない人は入院しても一週間くらいで戻ってこられます。

なぜかと言うと、小さい時の育ち方なんですね。

 

どんな生命にもこの問題はあります。犬猫にもあります。子猫が母猫のおっぱいを飲んでいる時期に捨てられてしまうと、性格的に問題が出てきます。

 

ゴータミー精舎でいなり君という捨て猫を飼っています。すごく小さい時に捨てられてしまったんですね。もう老猫ですけど、いまだに臆病です。しかし猫だから甘えたいという気持ちはずーっとあります。

そこで誰もいないとき、私のところに来て甘えてきます。「マッサージしてくれ」と。私が「三分だけ無料だからね」と、いなり君のマッサージをしてあげます。でも聞いてくれないですね。「もっとマッサージしろ」と言うんですね。そこへ誰かほかの人の気配がした途端、あっという間に逃げてしまいます。

もう何年も、ボロボロ老猫になるまで面倒みているのに、いい加減気持ちよく、猫らしく胸を張っていればいいでしょう。でも性格は直りません。

 

「生きていきたい」という気持ちを持つことによって、とてつもない恐怖感が生まれます。これも自然法則です。生きていられませんから。生きていきたいという気持ちは錯覚なんですよ。でも錯覚とはわかりません。智慧を開発しない限り。

 

生きていきたいと言うことは、自分の主観的な希望です。すべて因果法則でしょ。物事は因縁によって成り立っているでしょう。天皇になりたいと思ってもなれっこないでしょう。次の天皇は今の皇太子です。これが因果法則です。

 

私たちは毎日因果法則の経験を心に入れなくちゃアカンですよ。

この経験はすべて、「生きていられない」というデータなんです。おなかがすいたらどんなデータですかね。お前は死ぬんだよ、ということでしょう。赤信号が目に入ったらどんな信号ですかね? 「渡ったら死ぬぞ」ということでしょう。

 

常にそういうデータは入るんだけど、脳は「却下、却下」。却下するたびに恐怖感が生まれてくる。青信号だから渡ろうと、下を向いて歩いてふと頭を上げたら、もう赤信号! 怖くなるんじゃない? 「とんでもないこと(自分に)やらせちゃった」と。

 

ということで、直す方法は、客観的事実を見つめて智慧を開発することです。それで発見します。これは成り立たない、幻覚。生きていきたいという衝動は。

それで苦しみは終わりです。

 

あるエピソードがあります。

あるおじさんが、息子が亡くなって毎日墓地で泣いている。悲しくて忘れられなくて。

2週間くらいたったところで、自分の息子と似ている子供が墓地に居ることがわかった。その子がやはり泣いているのです。おじさんは、その子に「何で泣いているの?」と聞きました。その子は、「おもちゃの車が欲しいんだけど、無いから泣いているんだ」と言いました。

おじさんはドケチな人でした(ドケチのせいで息子が死にました)けど、おもちゃを作ってあげようといいました。その子は「車輪に太陽と月をつけてください」と頼みました。

 

「それは絶対ありえないことだ。あり得ないものを欲しいと言ってもダメなんだよ」とおじさんはいいました。

 

その子は「おじさんは何で泣いていたの?」と聞きました。「息子が死んだから」とおじさんは言うと、その子は「僕よりおじさんのほうが可笑しいよ。僕はそこに見える太陽と月を欲しいと言っているんだ。でもおじさんは、もうどこにいるか分からない息子さんを欲しがっている」と言ったんですね。

 

その子は今「見える」太陽を欲しがった。おじさんはまるっきり見えない「息子」を惜しんで泣くと言うのはどういうことか、と。

 

このエピソードで言っているのは、「我々は期待すべきでないものを期待している」ということです。お月様と太陽を車輪にしたいと言ったら、永遠に泣くしかない。手に入らないものだからです。

 

現実的であれば大丈夫ですよ。ちょっと金持ちになりたいとか、いい服を買いたいとか。それは何とかなりますよ。でも死にたくないって何でしょうか、これは。

 

そこなんですよ、問題は。

 

脳がそういう風にできているんだから、我々は残念な被害者たちで、これは何とか脳を開発して真理を発見して、この壁を破らなくちゃですね。

 

関西月例冥想会 2013.01.20 1/1 - YouTube

40:00~60:00頃までメモしました。

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