ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

ダンマパダ99より。一般人と聖者の旅行先はこんなにも違う

質問「ダンマパダ99の『一般人が決して行きたがらない森(富士の樹海など)に、聖者は気持ちよく行きます』とは、どういう意味ですか?」

回答(スマナサーラ長老)

答えは、一般人が求めるものを求めないからです。一般の人は、欲を探し求めて行きます。「見て楽しめるもの」「聞いて楽しめるもの」などです。

旅行の広告は面白いですね。「北海道の自然を楽しもう」という謳い文句なのに、ホテルの写真とか食事の写真とか。長野県と言えば、雪が多く寒くて結構大変な土地ですけど、長野県の観光ガイドには食べ物ばかり。食べ物のために、北海道まで行く? 沖縄まで行く? 同じものを東京でも食べられますけど。

 

一般人を誘惑しなくてはいけないでしょ。旅行に。経済活動だから、それは仕様が無いんだけど、我々はエサをまかれないと、金を払って旅行に行かないんですね。

結局長野県に行っても、きれいなホテルがあってすごいご馳走があって、それを目がけていくんです。

 

それでわかるでしょ、我々は欲を探し求めているんです。決して自然環境を楽しんでみようという理由ではありません。

 

世界の観光スポットの海岸へは聖者は行きません。「立ち入り禁止。ここは危険」と言うところには行くんです。なぜなら五欲を求めてないからです。

 

そこでどうして、人がいかないところの自然で聖者が楽しむのか、なにか楽しみがあるのではないか?ではなくて、「欲から離れること」の安らぎなんです。

 

一般の人は、欲に執着して楽しみます。しかしそれは楽しみに見える苦しみです。

 

キノコの場合は一番美しく、食べたくなるようなキノコは毒キノコです。

無知な人、キノコについて知らない人が、山に入ってキノコを採ったらとても危ないです。キノコについて知っている人は、形の悪く美しくもないキノコを採ってきます。でも食べられるものです。

 

そういうわけで、五欲と言うのは楽しみに見えますが苦しみの原因です。そして原始脳の指令です。「欲・怒り・嫉妬」は原始脳に必要でしょ。煩悩を感情をフィードバックしてもらわないと。それで獣に栄養を与える。

 

食事の演出(テーブルウェアのデザイン、部屋の雰囲気、ニンジンを美しく切ったり)、そういう幻覚を作って欲を刺激させます。

 

聖者は欲を求めません。五欲を与えてくれない自然は、聖者には安らぎを与えてくれます。苦労しなくても安らぎがある。

 

普通は、瞑想に入って周囲を遮断したところで安らぎがありますが、誰も行きたがらないところへはただ入っただけで安らぎを感じられます。静けさを感じられます。そういう意味です。

 

法話と実践会 2014,11,23 http://www.ustream.tv/recorded/55726413 

動画上で20:00~40:00頃よりメモしました。

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