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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

書評「雪」オルハン・パムク著、和久井路子訳

オルハン・パムク氏が書いた小説「雪」(和久井路子 訳 藤原書店)を読みました。

 この記事は結末にも触れますので、この後の文章にはご注意ください。「ネタバレ注意」です。

  

雪

 

 

 

パムク氏は2006年にトルコ人として初めてノーベル文学賞を受賞した作家ですが、私はパムク氏の本を読んだことがありませんでした。先日、スマナサーラ長老が説法で氏の小説に触れていたのを聞き、読んでみました。

 

何冊も出版されているパムク氏の小説の中から、特に深く考えずに選んだのは「雪」(2002年)。「訳者あとがき」によると、著者の最初で最後の政治小説だそうです。

2001年12月(9・11事件の3か月後)にこの小説は完成し、その後「イスラム過激派のテロリストの動向やイラク戦争などもこの書への関心を煽ったとも言われ」(あとがきより)、世界的ベストセラーとなりました。

 

 

Amazonの作品紹介から引用します。

 

『雪』の主人公は、四十二歳の詩人である。彼はこの十二年間ドイツで亡
命者としてくらしていた。母親の葬儀に参列すべく十二年ぶりにイスタンブル
の地を踏んだ折に、新聞記者をしている昔の友人の勧めで、トルコの北東の辺境
の町カルスでの取材の申し出を受けいれる。彼はその理由を、生まれ育ったイス
タンブルの変わり様から、文化的にも経済的にもトルコで最も立ち遅れているカ
ルスの町に行けば、失われてしまった子ども時代の思い出に出会えるかもしれな
いと考えたためだとしている。しかし、心の底では、その真の理由が、そこに昔
学生運動をした仲間であった美貌のイペッキが、夫で同じく仲間であった詩人の
ムフタルと正式に離婚をして住んでおり、その彼女の心をかち取り、人生の最後
の幸せをつかもうとしているからだということに自分でも気がついている。

「イペッキ」、恋愛ストーリーとしては、彼女を巡って展開されます。


 彼はカルスで、この四年間どうしても書けなかった詩が、あたかも誰かが耳元
で囁くかのように次々にわき出してくるのを体験する。これらの詩を送ってくれ
る者が誰であるかを考える時、そして降りしきる雪がどこから来るのかを考え
る時、若い時から無神論者であったはずの彼は、心の中で神の存在を考えるよう
になる。降りしきる雪の無数の結晶が全て異なり、全く同じものはないという事
実を考える時、人間の誰しもが、過去の記憶と想像力と理性の軸からなる六角の
結晶を持っていることに気がつく。その結晶はそれぞれ異なり、全く同じものは
存在しないことも。

作品中では、雪の結晶をモチーフにしたイラストで、人間を分析しています。


 大雪のために道路はすべて遮断されて、カルスが外界から完全に弧立した
三日間に、イスラム主義者の政党の有力な市長候補者の当選阻止と、イスラム
義者とクルド人民族主義者の運動の気勢をそぐために、偶々カルスにやってきた
演劇団と町の協力者によってクーデタまがいのものが計画され、いくつかの偶
然からそれが成功する。主人公は、カルスの町から無事に抜け出すために、また
将来の唯一の幸せをつかむために、意に反してクーデタに手を貸してイスラム
激派のテロリストとの仲介役を演じざるを得なくなる。こうして、全く非政治的
で、よい詩を書くことにしか関心のなかった主人公は、政治と宗教の渦中に巻き
込まれてゆくことになる。

引用はここまで。

 

私は小説を「ちゃんと」読んだのはもしかしたら、8年ぶりです。

「雪」は565ページに渡る分厚い本で、「これ、全部読めるかな…」というのがまず初めの感想でした。しかしそんな心配は必要ありませんでした。「雪」の緻密な文章は、精密に織り込まれたペルシャ絨毯のようで、近づいた人はその絵柄に見入ってしまうのです。かくして私も、写真のごとく精巧な、織物のように構築された文章を、追わずにはいられなくなっていきました。

 

隅々まで注意深く織り込まれていく、密集した絹糸の中を、私はただ一つの目的を持って進んでいきました。「パムク氏は、何が言いたくて、この気が遠くなるほど目の細かい織物を織っているのか?」ということが知りたかったのです。

 

まず、「これかな?」と思った箇所です。

宗教高校の生徒・ファズルの言葉。

「俺たちの惨めな生活は人類の歴史で全く場所がない。この惨めなカルスの町で、生きているすべての人間は、最後には、いつか死んで、誰も俺たちのことを思い出さないし、俺たちに関心も持たない。女たちが頭に何を被るかと必死で議論しても、自分たちのくだらない、つまらない問題で息がつまった、くだらない者だと言われ、誰からも忘れられる。」p380

 

私は、この部分が、この本で作者が言いたいことだと感じました。

その後も続く、政治と宗教の争い、暴力、貧困、絶望的なほど降り続く雪……、それらを感じとり、正直なところうんざりしながら、それでも巧みに展開するストーリーに、とりあえず結末が知りたくて読み進みました。

 

私はそんなふうに、もう全部わかったような気分でいました。トルコ社会の問題を、イスラム主義を、貧困を、「なるほど」と。

そして物語の最後のページを繰りました。

 

そのとたん、自分の過ちを、後ろから殴られたような感覚と共に突きつけられたのです。

 

そこでは、ふたたびファズルが、小説家で語り手の「オルハンさん」に向けて話します。

「カルスを舞台にする小説に俺を入れるなら、俺たちについてあんたが話したことを読者に信じてほしくないと言いたい。遠くからでは、誰も、俺たちのことをわかりはしないのだ。」

「誰も、そんな小説は信じはしない。」

「いいや、信じる」と彼は興奮して言った。「自分たちのことを、賢くて、より秀れていて、人間的だと見ようとして、俺たちのことを滑稽で、かわいらしいと、この状態で俺たちを理解し、愛を感じることができると信じる。でも、俺のこの言葉を入れれば、多少は疑問が残る。」P564

 

私は「そんな小説を信じ」た読者の一人でした。

まさに、自分の世界観から、作中の人物たちのことを「滑稽で、かわいらしいと、この状態で(彼らを)理解し、愛を感じることができると信じ」て、この本を閉じ、本棚に戻そうとしていたのです。

私たちのこの社会は、政治と宗教の混乱もなく、絶望的な貧困は遠い国の話でした。彼が言うように、その社会の中から私は、「やれやれ」と多少困惑顔でファズル達を見ていました。

ファズルは(作者は)それを見越して、最後の最後に私たちに「目を覚ませ!」と言ったのです。

 

当ブログ11月30日の「説法めも」は「うつ病と家族」というタイトルですが、この内容とパムク氏が「雪」で伝えたかったメッセージは同じだと思います。

 

「妹」を「イスラム社会」に置き換えて次の引用文を読むと、ファズルの最後の言葉の意味するところになると思います。

 

「あなたはあなたの世界観から妹を見ています。妹は妹の世界観からあなたを見ています。」説法めも「うつ病と家族」より)

 

パムク氏は、9・11に関してこう述べています。

「テロを引き起こしているのはイスラムでもなければ貧困でもない、彼らの言うことに誰も耳を貸そうとしないことだ。」(訳者あとがきより)

 

では、「耳を貸して」、「彼ら」の言うことを聞き、その後私たちはどうしたらいいのでしょうか?

 

「説法めも」右翼左翼、自民党と野党、爆撃する側される側、世の中の対立にスマナサーラ長老が一喝する。 - 瞑想してみる

から引用します。

「たとえば、二人が喧嘩する。喧嘩をやめなさいと言う。喧嘩そのものが悪いと、喧嘩しない状態と比較する。喧嘩することと仲良くすることを比較する。仲良くすることがよろしいと、こっちがよければあっちが良くないと判断するだけ。理解してほしいのです。世の中で人間というのは仲良くしたほうがいい、だから喧嘩はやめてくださいと言うべきです。どちらかが悪い、または二人とも悪いと言うことは間違っている。」

 

以上をまとめると、人間関係をうまく行かせる方法、大げさに言うと、世の中を平和にするには、

 

まず、「話を聞くこと」。

そして、「相手の粗を探して裁かないこと」。

最後に、「喧嘩しないで仲良くすること」。

 

こんな簡単なスリー・ステップなのに、私たちは全くできませんね。

この容易さが、かえって幼稚っぽく思えて、私たちは見下してさえいるのかもしれません。

 

幼稚園児が毎日やっていることを、大人は全然できない。

「現実はそんなに単純ではない」とは、よく聞く言葉です。

まるで精神病患者が「そんなことで治るわけがない、オレの病気が」*1と言うように。

 

ちょっと頑張らなければいけないな、と思いました。

 

*1:

「精神病の人の場合は逆なんです。「そんなことで治るわけがない、オレの病気が」と。

精神病になることは誰にでもできますよ。そういう風に脳がもともとできているんだから。

ネガティブバイアスで自分を否定して、他人の欠点ばかりを見るように。」


ダルさを脱皮していつもピカピカに-「実感すること」が脳を変える(長老の「仏像の取扱説明書」) - 瞑想してみる