(「言葉の重みについて」ブッダの冥想実践会(中編)から続きます)
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「簡単な一歩」
脳が成長して、しゃべる資格が現れます。
我々出家だから、みんな説法すると思ってるでしょ?
お釈迦様の説法の資格というのがあるんです。それを取らなかったら、説法してはいけないことになっています。
まず、「愛語」(あいご)をしゃべりましょう。
自分に対して、非難しないで、侮辱しないで、見下さないで、わかり易く、面白く語ってほしいでしょ?
その方法で、他人にも語るんです。それが「愛語」の意味です。
言葉によって、相手の気分を害さないこと。単語選びなんですね。
自慢も注意ですね。ちょっと自慢しちゃうと、相手の気持ちを悪くしてしまいます。
相手の状況が悪かったら、相手の話を聞いた方がいいんですよ。惨めな気持ちにさせないことが重要です。
躾しなくちゃいけないときも、この決まりを守るんです。
いくら乱暴な子供でも、決まりを守って教えると治ります。
なにか悪いことをしたら「おまえ、やったの?」とサラッと聞くんです。そうすれば素直に答えます。責めることはしない方がいい。
人を躾しなくちゃいけないとき、批判しなきゃいけないときは結構あります。
その時は、愛語の決まりを守ってください。
惨めな思いをさせないでください。要するに、人の尊厳を徹底的に守ることです。
たとえば、相手は人を殺したかもしれません。それでも尊厳は守らなければいけない。その上で淡々と法的手続きを進められます。尊厳を守ると、被告人も素直に話します。
言葉は不完全です。使い方によって変わります。人の取り方も様々です。
私が思った意味が、その通りに通じるはずはないでしょう。
語りつくす、ということもありません。女性が結構それで迷惑をかけています。しゃべるわ、しゃべるわ……。体力が終わるまで、待たなくちゃあかんですね。
言葉の能力で言えば、男性より女性の方が強いんです。だから女性があえて言葉の道徳を学ぶなら、世の中がよくなります。
人間と言うのは、女が言うと聞くんです。
カーナビは誰の声? 女性の声でしょ。もし男性の声にしたら? 「右に曲がります」と男性の声が言ったら、人間は左に曲がります。
人間と言うのは女性に育てられる生命だからね。女性に本来は、言葉の力があるんです。が、言葉を使う能力が無いのが女性なんです。
そこで女性が言葉の道徳を守るならば、いい世の中になります。
世の中が戦争の世界になっているのは、お互い食い争う世界になっているのは、男性がしゃべっているからなんです。
テレビで、討論会を見ましたが、男性がしゃべるわ、しゃべるわ、どうやったら日本語を破壊できるのかというような勢いでしゃべっているんですね。憲法がなんやらとか、自衛隊が、とか。そんなこと言ったっても、日本に何もできないでしょう。中国と戦うことはできないし、北朝鮮とも戦えません。
ひとり、緑の党から女性が一人出ていましたが、ほとんど何もしゃべらないんですね。だっておっかないんだから、あのグループは。
そこで最後にアナウンサーが、その女性に「何かご意見ありますか?」と聞きました。そうするとその女性が、「いままでしゃべっていたのは、男性の理論ですね。誰一人も、日本人がどう生活するのか? 食の安全は? ということは、誰も考えてないですね」と言いました。
私は論理的にはそちらに賛成ですね。政治家たるものが、戦って一緒に殺しに行きましょう、というのはとんでもない話でしょ。国を発展させて国民を守ることが仕事でしょ。
性別的にも、男性は、言葉の使い方が破壊的になってしまうんですね。
女性は本来、破壊的にならないんだから、言語の使い方ぐらい勉強したらどうですか?
言語を正しく使ってないんだから、いつも男に負けているんです。だって、3時間しゃべっても何も言っていないんだからね。ただしゃべっただけ、感情で。
だから、男の脳にデータが入らないんです。経験あるでしょ、旦那にずーっとしゃべっても、聞いていない。あれは聞いていないんじゃなくて、データが入っていないんです。
人間だから、旦那も悪いところがあります。女性はそれを直したいとおもっちゃう、もともとおせっかいだから。直したいんだけど、できないのは、言葉の能力の問題なんです。ただ感情を吐き出しているだけ。
そういうわけで、言葉の使い方を学べば、仏教だけじゃなくて世の中がもっといいものになるとおもいます。あえて、女性の方々は言葉の正しい使い方を学ばなくてはいけません。これは訓練するものです。
語るときは、相手が理解したか、それは自分が意味するところなのか、異論反論はないのか、などをチェックしなくてはなりません。
結構脳を使います。
お釈迦様は、完璧に語りました。正覚者意外の人間には、完璧に語ることができません。
「神が語りました」というのは、完璧に語りました、という意味ではありません。黙って聞きなさい、ということです。完璧に語るなら、「黙って聞きなさい」とわざわざ言う必要はありません。
お釈迦様の言葉を参考にした方がいいと思います。
語る言葉は、かならず「役に立つ」べきです。
女性は長い時間しゃべっても、男の頭にデータが入ってないと、さっき言いました。役に立たない場合は、脳が「ゼロ」にするんです。ノイズにするんです。記録しません。
自分が、子供にもしゃべっても、子供の頭に入っていません。データとして、役に立つものとして入っていないのです。役に立つと言うことは、データとして与えなくちゃ。役に立つと言うことは、聞いている「私」が判断しなくてはいけませんね。これを仏教では「有意義」といいます。
俗世間では、儲かる話は、脳が役に立つと思っているのです。だから聞きます。そして騙されます。
聞いている人の方が、役に立つ、と判断してほしい。
悪い性格を直すように、人格向上ができるように、そう語る言葉は有意義です。
話すべき時期も考えます。いつ話してもよいわけではありません。脳がオープンになる、聞く態勢のときがあります。
話すべき瞬間を見て、話します。これがTPOです。
優しい言葉で、これはおだてる意味ではなく、尊厳を守ること。
お釈迦様の場合も、心優しい穏やかなことばっかりしゃべっていたわけじゃなく、厳しいこともずいぶんおっしゃっていました。しかし、TPOだけは徹底的に守っていました。時期と、場所と、場合ですね。
お釈迦様に、ときどき教えて下さいと言っても、無視する場合があります。
お釈迦様にワンギーサと言うお弟子さんがいました。そのお坊さんは、お釈迦様のまわりにずっと座っていました。ずっと長い間。
お釈迦様は、それを無視するんです。それで、そのお坊さんが詩吟を作ってうたっていました。その方は、歳を取ってきて、怖くなっちゃったんです。お釈迦様の説法をずーっと聞いているのに、自分がいまだに向上が無い。詩に対する愛着もなくなっちゃって、これではマズイと。それでお釈迦様の所に行って言いました。
「私は、この詩吟で頭がおかしくなっていました。こればっかりで何もしなかった。もう歳を取りました。どうか助けてください」
その瞬間で、本人が、心の扉を開けていますね。
お釈迦様は叱ってね。
「おまえはね、年取るまで待って、よくも情けなく、今ごろ来ておねがいするもんですか」
とまず怒鳴って。それから、こういうふうにしないさい、こういうふうに、と教えてあげて、もちろん、そのお坊さんは悟りに達しましたけど。
そういうわけで、人の心が開発する時期を見て、それに応じる。
我々も、TPOをチェックすることです。
しかし乱暴な言葉は使わない方がいいです。キツイ言葉を使う際には、人格者とか目上という権限が必要です。
幸福になる言葉と言うのは、ブッダの言葉ですよ。
ブッダの言葉には心に革命を起こす力があります。感情と戦う力を与えてくれます。知らない真理を教えるので、無知が破れて智慧が現れます。それを学ぶと、獣の側面が機能しなくなります。
ブッダの言葉を聞くことが、人間にとってすぐれた善行為です。
理解することはなおさらです。人間が持っている、煩悩・洗脳・マインドコントロールから解放されます。
地獄に落ちる道を閉ざします。
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言葉とは火遊びです。
仏教的に考えて、正しく考えて、不可能に近いのです。しかしチェレンジすると、確実に成長します。智慧が現れます。話す必要があるときのみ話すのが、仏教のマナーです。
できるだけ話さないで、しゃべらないで、どうしようもないときだけ、話すんです。
聖者の沈黙、という習慣があります。
話す必要があるときのみ、話すという意味です。黙っていれば聖者、と言う意味ではありません。
口で黙っているだけではなく、頭の中でも黙っています。頭の中で言葉が回転すると、どうしてもストレスが溜まってしゃべりたくなります。頭の中でしゃべっていないから、聖者はずっと沈黙でいられます。
釈迦尊は、おしゃべりを非難します。
短く、明確に、段取りに沿って、相手に理解できる言葉で話すべきだと教えています。
「私」が話す言葉は、人にとって七宝になるように、としゃべってみてはどうでしょうか?
びしっと頭がよくなります。
人生が変わります。
(ブッダの冥想実践会2013,住吉大社武道館(スマナサーラ長老)よりメモしました)