ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

リーダーの条件とは? ブッダのリーダ―シップ論

質問「ある経営者がリーダーに向いている人の資質について書いていました。

そこで、「人が好きな人」はリーダーに向いているのですか?」

 回答(スマナサーラ長老)

世間レベルでは、そういうふうにいえると思います。

その本を書いた人は、「人が嫌いだったらリーダーはできないでしょう」と考えて、「人が好きな人」はリーダーに向いていると書いた可能性があります。俗世間レベルではその通りだと思います。

 

が、まずなんでリーダーになるんですか? 

リーダーっていうのは基本的に成り立たないんです。だれもリードすることはできません。それが現実です。

 

では自分の子供をきっちりと管理してみてください。できるかどうか。

自分が産んで自分が育てている、自分が完全に心配している人のことも、自分が管理できないんです。

子供を自分の意のままに管理できなくて、世界をリードしようとするのは、なんですかね。

子供には、親が言うことを聞く義務がありますよ。ほかに自分を助けてくれる人はいませんから。しかし子供は、親に逆らうし、ケンカするし、わがまま言うし。親を何とかして抑えて、自分のわがままほうだいで生きてみようとするんですね。

そういうことだから、リーダーと言うのは成り立たないんです。

 

リーダーの資格っているのはありえるんですかね。

リーダーと言うのは人を管理する人でしょ。誰も他人に管理されたくないのです。みんなの心の中には、「放っておけ、私のことは」という気持ちがあります。そうやってみんな生きているんですよ。

リーダーと言うのは社会現象だけで、生命法則ではないんです。

それを理解してください。

 

リーダーシップと言うのは生命法則ではなくて社会現象なんです。

社会現象と言うのは、国によって、時代によって、目的によって変わります。そこでどうすればいいかと考えなくてはいけません。

 

社会現象でリーダーシップが成り立つ場合は、一人でできないことをやらなければいけなくなってグループを作った場合です。そこにやるべきことと言う目的があります。その目的を達成するために、何人かが組織を作ってやらなければいけません。

 

そこでリーダーが一時的に成り立つだけなんです。まとめ役です。

 

組織のみんなが目的を考えて、それに向けて動く場合は、誰かにまとめ役を頼みます。仕事を能力別に分解して、実行段階で進捗を見て、補正作業をする。その役目なんですね。リーダーが偉いわけではないんです。グループの一員だけです。

 

その立場から見ると、リーダーと言うのは面白くない仕事なんです。ずーっと走りまわななくちゃいけないんだから。この組織の中で。

 

そこで自分が何か結果を出したかと言うと、ほとんどないんです。ただ管理して、何か結果が出たら、みんなの努力の成果なんです。

 

だからリーダーが最終的に結果を発表するときでも、「みなさんの努力のおかげです。ありがとうございました」と言う羽目になります。最後の最後まで立場が無い存在です。

世間の見方と本当の状況はずいぶん違います。

 

ですから、リーダーに必要な性格は、人を好きになることよりも、極限に謙虚でいることなんです。

私は何者でもありません、と。

 

他人に頼める性格です。「あなたは文章がうまいから、発表の文章を考えてくれる?」と謙虚に頼みます。謙虚だから人の能力が正直にわかります。「あの人は文章がうまい。うらやましいほどだ。だからあの人に文章の仕事を頼みましょう」と。

 

仕事をしている途中でも、何かちょっと引っかかっている人がいたら、解決させてあげて、補助役をします。

 

そうするとみんな、この人がいないと仕事がバラバラになってしまうと気付きます。

この人(リーダー)が人の間でペコペコとして、他の人の仕事を見て、評価するからメンバーの能力を知っているんですね。それがリーダーなんです。「この人の頼みならやってあげます」と。「やってあげたら、この人はすごく理解して評価してくれるんだ」と。

 

だから、組織の他の人々も、「あの人の頼みならやらずにいられません」と仕事してくれるんですね。

 

そういうふうに組織のリーダーというのは社会現象で、生命法則として成り立つわけではないのです。

ですから、ある組織でリーダーでも、別の組織ではただのメンバーになってしまいますよ。

家庭に入ったら、奥さんがリーダーで、しかしその奥さんがどこに行ってもリーダーになれますかと言うと、なれませんよ。家庭には行った時だけです。外に出たらそのリーダーシップはやめなくちゃです。

女性でも男性でも、ある組織ならリーダーで、他の組織ならただのメンバーです。

そういうふうにすぐ変わっちゃうんですね。

 

リーダーは「人のことを好き」というよりも、謙虚であることが先決です。

人の能力を認める性格です。嫉妬があると他人の能力を認めたくなくなります。

よくある例では、社員が頑張ると、リーダーが嫉妬するんです。「ヤバイ」と思っちゃうんです。それはリーダーではない。

 

とにかく、まず、人の能力を認める。自我があると、「俺が偉い」と思うと、他人を認められません。

「俺が偉い」という自我が、リーダーとして失格です。

俺が偉いと思うならば、どこかで一人で頑張ってください、と言うことになります。

 

世の中でおかしいのは、リーダーが「自分が偉い」と思っていることです。そういうのはみんな失格です。だから会社であろうがどこであろうが、ハチャメチャです。うまくいっていない。

リーダーになってはならない人々がリーダーをやっている。

 

自我が危険ですから、いま私は自我と言わないで「謙虚であること」と言っています。

 

謙虚な人は、人の能力が分かる、それでお願いする。要するに人に仕事をさせる能力です。人に仕事をさせることができるのが、リーダーです。

 

仕事をさせると言うことは、その人の能力を認めて、評価してあげることです。評価されればやっちゃいますよ、人間と言うのは。評価しなかったら、全然やりませんよ。自分の仕事の価値が分からない人に、なんで仕事してあげなくちゃいけないですかね。

私も、頼んでくる人が社会で偉いかどうかは気にもしない。結構、偉い人々が来るんだからね、ゴータミー精舎に。

偉いかどうかではなく、私の言う言葉の意味が理解できるか、とそれでチャックします。この人は価値が分かるぞ、と思ったら、かなり力を入れて、教えてあげたりもする。

 

人が言うことをやってあげる、というのはそういうことなんですね。人が仕事を何か頼んだのに、その仕事が仕上がったものを持って来たら、「ああ、終わったの。じゃあ、その変においといて」となっちゃうと…。そういう人の頼みは誰もやりませんよ。

 

仕事をする人の仕上がった仕事を見て、うまくいったら喜んで上げないと。もしうまくいかなかったら、言葉を選んでアドバイスする。

 

ほかに、頼んだ仕事にずいぶん苦労している人がいたら、それはその仕事に対して能力が無いと言うことなんですね。

「あんた大変でしょう。そこまで苦労する必要はないんだ。そんなストレスかかって、神経が壊れるまで仕事することない。あなたの方が心配です」といって、他の人と仕事を変えてあげる。

社員たちにストレスをかけない仕事を配分することもリーダーの仕事です。

 

リーダーがそうやって謙虚で、人の能力をよく理解して、仕事をちゃんと評価してあげる。そうすると、すごくうまくまとめられます。

良い成果を出しても、リーダーの成果ではなくて、やっぱりみんなの努力の結果です。

しかし永久的なリーダーと言うのは成り立ちません。

リーダーは人を好きになるというよりは、人を慈しむことですね。人を心配することですね。

 

β関西活動報告 : '12 6/17 関西定例瞑想会@マーヤーデーヴィー精舎

よりメモしました。

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