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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

すべての悪の親玉「邪見(じゃけん)」とは?【十善十悪(前編)】

仏教の世界で、最初にすすめている仕事は、二つありまして、悪を犯さないことと善行為をすることです。

 

「善に達すること」

よく覚えておきましょう。

善行為をする、ではなくてなんで直訳すると「善に達する」というのでしょうか? 善いことをする、といったほうが分かりやすいのに。

お釈迦様の言葉というのは完全ですから、軽々しく使わないのです。

 

悪行為をしないといえば、悪行為とはそんなたくさん世の中にあるわけじゃない。十悪と、10項目にまとめられています。

(殺生、盗み、邪な行為、偽り、無駄話、悪口、二枚舌、貪欲、嗔恚(しんに)、邪見の十悪)

体で行う3つの悪行為。殺生、盗み、邪な行為。

言葉で行う悪行為。嘘をつかない、噂話をしない、悪口を言わない、仲たがいする話をしない。

体を守るよりは、言葉を守ることのほうが難しいんです。

心で行う悪行為。3つ。貪欲は常識を超えた欲。異常欲です。

肉体はある程度コントロールされています。食べたいと思っても、食べる量には限度があります。悪いことをしようと思っても、肉体は簡単に疲れてしまいます。

異常欲というと心の問題です。体でできないことまで妄想して欲を抱くことはできます。すごく心が壊れてしまいます。

 

9番目になると、瞋恚(しんに)=異常な怒りですね。

怒りも心で起こるもので、体で言葉で怒りを表現しようと思っても、それほどできるわけじゃないんです。リミットがあります。しかし心で怒りを作ると、自分を破壊するまでできます。

 

10番目は邪見です。

真理以外の考えはすべて邪見になります。証拠があるものは証拠があるんだから仕方がないと認めてもいい。根拠もないのに、感情で、好みで、主観で、あれこれと判断することは邪見です。わたしたちはお釈迦様の話を聞いているんだから邪見に陥らないだろうというのは、甘いのです。

 

邪見から身を守る方法は簡単です。ブッダに説かれたもののみ、信じる。他は「よくわかりません」と保留する方法があります。

だから自分で確かめられるものは確かめて、自分で確かめられないものについては、ブッダが説かれたんだから信じる、と決めれば邪見に陥りません。

しかし、そこまでするのは相当難しいんですね。

 

わたしたちはしょっちゅう邪見に陥るのだ、ということを気を付けなければいけません。

邪見に陥ったら、必ず何か、悪いことがおこります。

たとえば、言葉上手に巧みにしゃべる、誰かの話に乗ったとする。

いかなる邪見であっても、それに陥ってしまうと、悪結果になります。これは心の問題です。

 

人間の心はどうできているかというと、真理だけは否定するようにできています。他の間違ったことだったら、「理解」でなく「気持ち」で、簡単に乗ります。

それもすごく危険なところで、われわれの心と脳が、邪見なら乗っちゃえ、真理なら否定しなさいという風にできています。

 

これは仏典で面白く説かれています。

人間は、「真理は真理ではありません。嘘ならこれこそ真理だ」と思う、と。

だから、この十番目の悪、邪見は気を付けなければいけない。知らないうちに大量にやっています。知っていれば邪見にならない。

「あの人は詐欺師だ」と知っているならば、その話に乗りません。だから何かの話に乗っちゃった、となれば、心理学的には「自分はそれについて知らない」ということなんです。

 

「気持ち」だから、かなりたちが悪い。なかなか捨てられません。

 

なんで邪見に気を付けるかというと、邪見があるから怒りを作る、欲を作る、粗悪語をする、無駄話をする、嘘をつく、邪な行為をする、盗みもする、殺生もする。

 

この十のリスト(十悪)は、軽い順に並べてあります。

人間にとっては守ってみようかなと思ったら、軽いところから守っていくのはやりやすいのです。

実際は邪見がなかったらほかの悪はないんです。邪見さえなかったら、失敗することはありません。

分かりやすく言うと、頭がしっかりしているならば、十分です。

すべての悪の親玉「邪見(じゃけん)」とは?【十善十悪(中編)】へ続く)

 

(2014年12月21日 東京・スマナサーラ長老による年末特別法話よりメモしました)

 

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