ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

「善に達する」その真意とは?【十善十悪(後編)】 

すべての悪の親玉「邪見(じゃけん)」とは?【十善十悪(中編)】より続きます)

自分の心の中に、「自分の好み」というセットができています。自分の好みに合えば、それに乗って行ってしまいます。

 

反対に、「自分の好みでない」という基準が、自分の中に潜んでいるんですよ。自分でも分からない。

自分の好みで、怒り(自分の好みじゃない)でつい判断してしまいます。それから恐怖感、怖いという気持ちが入ると、そこで何か判断してしまいます。恐怖感は存在欲から来ます。

 

それから、心に力がない。それを無知と言います。調べるのが面倒くさい。

マスコミが流す90パーセントが嘘なのに、それを信じてしまう。

 

情報化社会というのは、無知の社会なんです。無知が独裁者になった世界なんです。

すぐネットで調べて、FacebookTwitterに書いてあることを信じてしまう。CNNもBBCも正しい情報を流しているわけではないんです。叩くセクション、ほめるセクションが決まっています。

「うちはうちのレポートを信じます」で終わり。そのレポートが正しいかどうかは調べません。

 

我々に与えられている情報は何なのか。本当に情報は与えられているのか。

 

医療の世界では、インフォームドコンセントというのがあります。しかし、それを説明する人も結局わかっていない。

わたしたちにはあらゆる情報が大量に来ます。それを調べる余裕や暇がありません。情報の徹底攻撃を受けています。わたしたち個人というのは弱いでしょ。そこで無知を使うんです。

 

情報をすごく制限する国々では、怒りや欲で生きています。

日本では情報は自由です。そういう国は無知で生きています。

日本人は、中東や中国人ほど元気じゃないでしょ。投票結果もどうでもいいでしょ。無知で行動力が消えてしまいます。

怒り・欲の場合は、何かやってしまいます。たいてい悪いことですけど。

 

聞いただけで信じるんじゃなくて、自分でチェック入れたほうがいいんです。よくわからないものについては、保留にする。

 

毎日、買い物に行ったらどうやって判断するのかと。理性を使ってみればどうですかね。みんな買っているんだから買う? みんながすごい頭がいいってことですかね? 証明されていないでしょ。

 

テレビで宣伝されていたから買う。これも無知の判断でしょ。テレビ番組で料理法が紹介されていた。わたしが作ってみましょうと思って買ったら、ちゃんと自分の判断です。

 

毎日のことで、「理性」を使ってみる。「気持ち」にさようならと言う。「気持ち」は悪くないんだけど、気持ちの裏が、すごく危険だから。

 

簡単な方法だと思います。戒律守るところから始めるよりは、簡単です。しかし振り返ると、きちんと戒律を守っています。理性を使っているから言葉も気を付けています。

 

植物をとるときも、根っこをとれば、全部取ったことになります。気をつけていたのは、根っこのところだけですが、気が付いたら全部取っていたということです。

 

はぁ、疲れました(笑)

 

 「善行為について」

 

先ほど皆様が精舎で行った年末掃除も、善行為です。善行為というのも簡単に判断できます。日常的には貪瞋痴(とんじんち)で生きているから、損得で生きています。

 

何かしたら、それにふさわしくないくらい大きな見返りを期待します。1000円で買い物をするなら、1500円くらいの価値があるものを買いたいと思っています。

それが俗人の生き方。

 

善行為を理解するのは、それとは違う生き方なんです。コンビニの袋が落ちている。それを拾ってゴミ箱に入れる。これで損した? 得した? 得したということもないし、損したと言いうこともない。これが善行為です。

特定の誰かのためにしたわけではない。

 

善行為をする癖を付けなければいけない。

善行為をすると、喜びを感じます。それが心の薬に、栄養剤になります。買い物をした時の喜びは、心には負担であって、栄養剤にはなりません。

 

善行為を重ねることによって、心が栄養剤を得て、自我中心の自分が治っていきます。だから、善行為をしなさいと言わずに、「善に達しなさい」とお釈迦様が説かれました。

 

お釈迦様が我々に期待しているのは、真理を自分で行うだけではなく、その真理を他の人に教えてあげてください、ということです。

ふつう宗教はいろいろなことを要求しますが、仏教が要求するのはこの2つだけ。自分で真理を発見してみる、他の人が真理を発見するのを助けてあげる、このことです。

 (おわり)

 

(2014年12月21日 東京・スマナサーラ長老による年末特別法話よりメモしました)

 

参考:この説法の直後にあった質疑応答


母や周りの人に仏法を伝えるには、どうしたらいいですか? - 瞑想してみる