(人生を自動制御システムで、という願い【新年法話1】から続きます)
人類は、気持ちで、感情で、欲しいものを追っているんです。
事実は隠して、気持ちで生きましょう、というのではね。いつでも「痛いの、痛いの、飛んで行け」という哲学です。
こういうことを言ったのは、お正月になると、みんな、頭がいかれたような感じで、ものすごい勢いでいろいろなことをやっていますね。
我々の心がどのように働くのか、事実を発見しなくちゃいけない。
やっぱり責任逃れをしている、とか。やっぱり自動でやってくれると思ってるな、とかね。
自動でやってもらったものっていうのは、皆無だと思いますよ。
神様から、干しブドウ一個でも、オートで、もらったものあるんですか? そんな程度のことも無いでしょう。
例えば、砂漠で死にかけている人が、突然、砂の中から動物が出てきて、後を追ったら水を発見するかもしれません。その場合は、神様が特許を取るんですね。別に神が、その人に水のありかを教えたんじゃなくて、砂漠で迷子になったら動物の足跡を追ったらいいんです。それだけです。
一番確かなのは、象の足跡です。象はよく穴を掘ります。象が掘る穴だから結構大きくて、水を飲むのに十分なんです。
なんで人間が自分で見つけたのに、神様が特許を取るんですかね?
以前、新潟に行った時、日没で雲の間から光が出てきて、十字架の形になりました。一緒に居た人に、そのことを言おうと思いましたが、理性が足りない場合は危ないですから、黙っていたんです。そこで十字架のことを言ったら、相手がどこまで妄想するか分からないでしょう。
雲はいろいろな形で見えるでしょう。幼いころは、外にござを敷いて寝転がって、兄弟と、どんな形に雲が見えるかと言いあう遊びをしました。象さんとか、いろんな動物に見えました。それに解説が必要でしょうかね。
しかし人間は、そんなものにまで解説を入れて、オートモードにしたいと言う欲求を満たそうとするんです。オートモードを保とうとするんです。
病気は治すものなのに、なんで病気を保とうとするのでしょうね。
人間は神秘的な解説をしたいと言う欲求があるんですね。論理的に言っても納得しない。神秘的に言ったら、もう離しません。釣り針のエサを魚がガブッと飲み込むように。
私は知っていますよ。「こういうふうに(神秘的に)言うと、この人は飲み込むでしょう」と。釣り針です。いろんな方向に曲がっている釣り針ですから、飲み込んでしまえば吐き出せません。
それを学んだ方がいいですよ。「こういうふうに言われると、私はヤバイ」「こういうふうに言われると疑います」という、心の働き、プログラムができているんですね。
(明日が不安、結婚が不安、子供の将来が不安、という不安から逃げてはいけないんです【新年法話3】へつづく)
β関西活動報告 : '12 1/09 関西定例瞑想会@マーヤーデーヴィー精舎よりメモしました。
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