ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

「自我がない」設定で生きてみる楽しさ 

質問「 自我という意識を持って生活してみるといいという法話がpodcastでありました。実際エゴを持ちつつも実体はないんだという強い意識をもちながら生活するということ、それそのものが日常生活の中で瞑想とつながっていくのですか?

 

 回答(スマナサーラ長老)

 

日常生活の中でも、自我がないという設定でやってみなさいといわれたんだから、やってみたらいいんです。言われたことは決して間違いはないんです。人の言うことには、いろいろ当たりはずれがありますが、仏教から言うことは、当たりだけですね。

 

 

そういうことで、自我がないんだ、俺がないんだということで、ビシビシとやるべきことをやっておくと、ものすごくうまくいきます、トラブルが起こりません。疲れません。ものすごいややこしい、嫌な問題が出てきても、「自我というのは、俺っていうのはないんだから、とにかくやります」ということで、そうして人生は流れるんです。

 

それは瞑想というよりは、自我がないということが、いかに幸福かと、味わってほしいんです。

 

デパ地下で、高級な食べ物を売っているでしょう。試食もありますね。それが美味しかったら、どうぞ買ってください、という話です。

 

そういうことで、自我がない境地がいかに楽で、いかに頭が冴えていて、いかに物事がうまくいくのかと。毛糸玉みたいにもつれることがないんです。しっかりと、スムースに行くんです。だから、「俺、俺」という自我が、すべてダメにするんです。

 

だからそこは、仏教ではエゴがない世界、自我っていうのは幻覚である、と言っています。瞑想してみなさい、幻覚だと発見しますよ、と。それで発見して初めて「自我がない」ということになるんです。幻覚であると発見していないわれわれにとっては、やっぱり自我があるんですね。あると思っちゃうんです。それで何やっても引っかかっちゃうんです。ぶつかるんです。

 

何か失敗する。何かトラブる。これがエゴによるものです。

 

では、日常生活で試しに、「自我がない」という設定でやってみてください。

それで、デパ地下で試食して「あ、美味しい」と感じるように、「あ、楽だ。ストレスが溜まらない」と感じるんですよ。「うまくいっているんじゃないか。なかなか頭が冴えているんじゃないか」と。自分でもびっくりするほどいい結果になるんです。

 

そういうことで、これはやってみることしかないんです。

「瞑想につながるんでしょうか?」ということは、どうでもいいんです(笑)

 瞑想につながらなかったらやらないんでしょうか? と逆に聞きたくなります。

  

瞑想につながりますけどね、一応。しかし余計な宣伝はしたくないんです。まずはやってみる。

 

ずっとそれでやってみると、どんどん「自分ってなんだ?」と気づくことになりますよ。それに気づいたところで、瞑想が始まりますよ。

そういうことで、「自我がない」という設定で、日常生活に挑戦してみてください。

 

(関西定例瞑想会 2007.07.15

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/388952.html

 「② 自我という意識を持って生活してみるといいという法話がpodcastでありました。実際エゴを持ちつつも実体はないんだという強い意識もちながら生活するということ、それそのものが日常生活の中で瞑想とつながっていくか?」(音声ファイル上)よりメモしました)

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