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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

性欲は罪ですか?

説法めも 五戒

質問

「”賢者は、蛇の頭を払い避けるように欲の対象から離れて幸福に生きる” というようなことをお釈迦様は言っておられます。欲の思いが生じて、願いがかなうと確かに喜びを感じます。

 

しかし……、それがだめになったら矢に打ち抜かれたようにもがき苦しむ...ということですが、それが自分にはよくわかりません。

欲を、避けて、避けていく生き方じゃ、なんかつまらないんじゃないかというのが自分の中にあります。

たとえば、「これ食べたら美味しいんじゃないか、と思って食べてみたら美味しかった」とか。

瞬間瞬間、欲の成就を目指して生きているというか…...。

そのことで、大変な罪悪感があります。そのために瞑想するんですけども……、欲について悩んでいます」

 

 回答(スマナサーラ長老)

 

まずいいたいことは、仏教をしっかり勉強してください、ということなんです。

仏教の知識としてみると、まだまだたくさん勉強するものがあります。ですから、結論を出す権利は今のところありません。

 

仏教をちょっとかじっただけで……。

しかし皆様には仏教を学ぶ時間があまりないのは当然ですから、それを知った上で、わたしは仏教の、ブッダの究極的な言葉、ブッダが言いたいことは全部、抽出して、「ブッダが言いたいことはこれだけだよ」と、今、日本に紹介しているんです。

 

それがほんとは、お釈迦様も、2,3回しかなさってないんです。それくらい人間には難しいんです。私以外、他のお坊様は誰もやっていないんです。これが、ファイナルバージョンです。

 

わたしが何を考えているのかと言うと、これでもしかすると、簡単に他の問題が解決するでしょうと。自分の力でできるでしょうと。

だから、ねつ造と言う問題を出すんです。*1

 

「ねつ造」は、パーリ語でパパンチャ(papanca)*2というし、ヴィパッラーサ(vipallasa)(顛倒:てんどう、あべこべ)という言葉もありますが、そんなに経典にたくさん出てくる単語じゃありません。

 

パパンチャと言う意味が分からなくて、学者がムチャクチャ研究している論文もあります。皆様方には、一番最初に紹介する単語になっていますから、「ねつ造」やらいろいろ言葉を変えて紹介していますけどね。

どちらかと言うと皆様方は仏教真理の真髄そのものを、最初に聞いているはずなんです。だから、それ以上、何を勉強しても、「これはものすごい分かりやすい。単純だ」とか「これは、大きな教えのほんの一部だ」と理解できると思います。

 

そういうことで、ちょっとわたしが言う自我の分析とか、ねつ造の問題とか、それだけ覚えていて修行に励んだら、悩み苦しみも疑いも全然出てこないんですよ。

 

はい、それは置いておいて。

 

あの、蛇の頭に喩えている教えっていうのは、それはお釈迦様が、出家している比丘たちに対して語る、弟子たちへの戒めなんです。その場合も、使っている単語は「欲」という日本語に翻訳しますけど、パーリ語の単語は別です。

 

いくつかの喩えがありましてね。

それはすべて出家している弟子たちに、出家している目的は「悟りに達したい」ということだから、早く解脱に達するように指導するのはお釈迦様の仕事なんです。

お釈迦様は一切の生命に現れる偉大なこの上のない師匠であると、自分のことを紹介するんです。「わたしは誰かと言うと、生命の師匠です」と。神様でも何でもない、善逝(ぜんせい)です。*3完璧な善逝です。完璧な善逝というのは、弟子を何とかして卒業させます。弟子たちがどんなにふざけても師匠をだまそうとしても、師匠が完璧であったらだまされません。

 

普通の先生と同じです。普通の先生でも、能力のある先生だったら自分の生徒たちがいろんなことをやってごまかそうとしていることを知っています。いろいろな言い訳をして宿題をしなかったり、問題をそらせたりしているのを知っています。でも優秀な先生だったらそんなことにはメゲナイし、なにも気にしないし、からくりをしっかり破って、教えてあげるんです。

 

だから、先生方の中で、お釈迦様が最高です。お釈迦様に弟子入りした人が、悟らないということはあり得ないんです。

 

お釈迦様が自分で自分を紹介しているんだからね、「わたしはこの上ない師匠である」と。それだったら、ふつう他人は「あんた失敗ばっかりして、そんなこと言えるのか」と言うでしょう。しかしお釈迦様の場合は、それは言えません。(失敗しないので)

 

だからこういうことです。

出家した弟子たちを悟りに達しあげなくちゃいけない。悟りの障害になる束縛、悟りと言うのは束縛を捨てることだから、その束縛をしっかりと順番に見て、どういう風に束縛のランクをね、どこからスタートするのかと、お釈迦様は知っているんです。だから、それまた心理学の世界ですから、まずこの束縛を絶って、次にこの束縛、次に…と、順番を指定する。その順番で教えているんです。

 

修行する以前に、絶たなくてはいけないいくつかの束縛があるんです。そういう束縛を絶ってもらうために、最初にすごく厳しく言うんです。怖くなるようなことを。脅しのようなことを。

 

脅されているんだから、やりたくてもやれないという状況になって、その気持ちがなくなる。それから他の束縛は、瞑想して、ゆっくり絶っていかなければならないんです。

 

その場合は、蛇の頭のように、と教えているのは、性欲のことで、性行為のことなんです。

欲はたくさんありますよ。出家したという時点で、一切その関係を切って生活するんです。俗世間に対して、家族生活に対して、未練はいい加減やめなさい、ということなんです。冗談でも、「そんなに悪くないね、家族生活は」と思ってもならないんです。思うことまで禁止するんです。「奥さんがいて、子供がいて、それくらいはいいでしょう」と、出家したら、そう思うことも禁止。厳しい。

 

だから、性行為をイメージして言っているたとえ話なんですよ。性行為したいと思ったら、毒蛇の口を使うことと同じだ、と。どうなる? 死んじゃいますからね。毒蛇の口に指でも指しちゃえば、もう。

 

出家した人は、そうイメージするんです。そうすると、つかの間の楽しみどころか、瞬間で毒が回って死んでしまいます。

 

そういうことで、これはとても危険なことを考えることだという、すごい脅しですよ。出家に対して言っていることです。

在家の方々には、ほとんど関係ないといえば関係ないんです。

 

だったらなんで、在家の方々にも学べるように経典をすべて解放しているのかと言うと、経典を隠しておく必要はないんです。隠すものは何もない。純粋な真理、事実ですからね。

 

こういう経典もあるでしょう? 

在家の方がお釈迦様へはっきりと、「お釈迦様、われわれは在家です。家族がいます。商売もしなくてはいけない。社会人としていろんなことをやらなくちゃいけない。そういうわれわれに、仏道を教えてください」

お釈迦さまはそれに合わせて説法するんです。

*4

 

その場合は、在家の方々に実践できる範囲のことを教えるんです。

それで解脱はどうするのか? 

それでお釈迦様は「あなた方はこういう生活で、こういうふうに、こういうふうに生きて、やがて煩悩は全部消してやるぞと言う目的で頑張ってください」と、そう教えられると、結構みんな、うまく修行するし、成功するし、それである時点になってきたら、それ以上は在家ではいられないので、束縛を絶って、悟りに達する、ということもあります。

 

ですから、たとえば、性行為は罪ですか? というと、罪ではありません。

 

人間が喜んでやることだから。ご飯食べることも喜んでやるし。喜んでやることを何でもかんでも罪と言えません。

 

罪ではなくて、喜んでやるものには、ムチャ執着しちゃうんですね。

 

むちゃくちゃ執着しちゃうと、そこから離れなくなるんですね。依存してしまいます。依存したということは、成長が、もうそこでストップしてしまう。これが迷惑で、心を育てることができなくなってしまいます。

 

そういうことで、障害として教えるんです。

 

だからそこは、一人一人が自分で考えて、よく理解して、これが結構大変な束縛になりますよ、と。性行為でいろんな大変な目にあっているでしょう。ちょっと遊んだだけだと言っても。だから、一番喜びが少なくて苦しみが多い行為は、性行為なんです。

 

人から得る喜びっていっぱいあるでしょう。奢ってもらうとか。自分ではとても入れない高級レストランで食べさせてくれたとかね。それでちょこっとした借りが相手に成り立ちますけど、苦しみにはなりません。性行為はそうじゃありません。どんな結果になるか、分からない。

 

だから、人間がどんな喜びを得ようとしても、どこかで(犠牲を)払わなければいけないことになってしまいます。

その中で、払うのがすごく大きくて、得るものが少ないというのは、性行為と言うことになる。

 

欲と言うのは性行為に限ったことじゃなくて、たくさんあります。

 

そういうことで、よく考えて行動するということなんですね。具体的に考えて、ね。

 

(関西定例瞑想会 2007.09.27

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/445273.html (音声ファイル:一番下)よりメモしました)

次回に続きます⇒「それから欲がなくなっちゃうとつまらないんじゃないか、楽しみが消えちゃってつまらなくなるんじゃないか、ということですが……」

 f:id:thierrybuddhist:20150207180241j:plain

 

関連外部サイト:

【47】 不邪淫戒/慈悲の冥想「性欲を満たすには結婚する以外ないのでしょうか?…など」

巻頭法話(122) 美しく燃える欲の炎 2005年 4月

 

すべての「説法めも」を読むには:

【目次】説法めも

 

 

*1:「悪の場合は、邪見が無知のからくりなんですね。欲で思考を捻じ曲げると、自分でも気づく。怒りで思考を捻じ曲げても、気づく。データをねつ造していると。データをねつ造して、気づかない場合は、これが邪見なんですね。邪見でいるときは、きれいに無知なんです。」 貪瞋痴の分け方(無知) - 瞑想してみる より。


 

*2:施本「パパンチャ ヴィパッサナーで破るもの」をダウンロードできます⇒ http://gotami.j-theravada.net/papanca.pdf 

*3:ブッダの九徳ー4. 善逝(正しく涅槃に到達した/善く修行を完成した/正しく善い言葉を語る方です。)なぜブッダを念じると幸福になるのか?

*4:「お釈迦さまはアナータピンディカに、布施、戒律、欲の危険性、解脱の功徳などを説き、さらに四聖諦を説かれました。」(「大商人・アナータピンディカ」の項目:ページ下の方 )仏教講義 25.自ら試し、確かめる (3)悟りを開いた人たち(1)

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