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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

結婚すれば、子供がいれば、幸せですか?

質問「世間では、大きくなったら結婚して子どもを生んで家庭を持つのが幸せといわれることが多いと思います。

 私も親から、結婚して「女の人は子どもを生むことでより幸せになる」とそのようにわれ、いま3人の子どもがおり、よかったなと思っています。

しかし、仏教では、生きるということは苦であるといっています。かわいい子どもがこれから苦しんで生きるということになるのかなぁと……。

私の子どもは高校生くらいで、これから社会に出て行きますが、どのように生きていくのがいいのでしょう。

世間で言われてることと、仏教で語られてることをどのように考えればいいのでしょうか?」

 

 回答(スマナサーラ長老)

結婚したら幸せになる、仕事があったら幸せになるというのは、全部根拠のない嘘ですよ。

 

結婚しても不幸になる人もいるし、仕事があっても不幸になる人もいるし、だから、この幸せと結婚は関係ない。幸せと仕事は関係ない。幸せと学問は関係ないんですよ。なんで関係ないものをつなげるんですか?

 

だから、幸せっていうのは自分で築くものなんです。それにどんな手段を使おうかは、また別な話なんですよ。

 

結婚が幸せだと思って、いい加減で無責任で、それで結婚しても幸せになりませんよ。毎日の努力の結果なんですね、幸福と言うのは。

 

結婚してもちょっとした失敗で、すべて崩れてしまう可能性もあるし。だからそれは別々なものであると、(子供たちに)教えたほうがいいんじゃないんですかね。

 

ものに依存して幸せになるんじゃないんです。結婚で地獄を作るか天国を作るか、その人のやり方次第なんですね。

 

ただ、人間として生きているプロセスの中で、その都度その都度、やるべきことをやります。子供の場合は学校に行かなくてはいけない。社会制度があるんだから。それは単なる社会制度なんです。では、学校に行かないとその子は不幸になるかと言うと、そうじゃないんですね。ただこれっていうのは、エモーショナルなことでしょうね。

 

たとえば、日本では子供は学校に行くべきだと決めておいて、学校に行かない子については、「そいつは負け犬だ。失敗だ」とあれやこれやと批判するんだから、そういう話を聞いて落ち込むだけのことで、実際苦しいかどうか別の話なんですね。

 

学校に行かずに、山で畑を作って動物と遊んで生活しても、それって楽しいことは楽しいでしょうし。

 

だから、幸せと社会制度は別々であると。決して社会制度が、幸福を築くためにあるものじゃないんです。それだったら、確実に結婚したら幸せになるはずなんです。結婚システムがあるのは人間を幸福にするためである、というのはあり得ないでしょ? 仕事は人間を幸福にしてあげるためだということじゃないんです。

 

そこはそういう約束がないですからね。だから幸福は一人一人が自分で築くんです。

 

せっかくの仕事が見つかりました。

では、楽しくその仕事をするためにわたしはどうするべきかということが自分の課題です。仕事の世界で心配しないで、嫌な思いをしないで、ストレスにならないでいるためにはどうすればいいか、というのが個人の課題です。

 

相手が見つかって結婚しました。ではこの結婚生活は幸福で、うまくいくためにどうすればいいか、というのはその人の課題なんです。

 

だから幸せになるかならないかというのは、あくまで個人個人の働きの結果です。

 

だからたとえばね、「わたしは絶対結婚したくないんだよ」と言っても、母親は別に困る必要はないんです。「勝手にしなさい」と。「わたしが心配するのは、お前が不幸になることだよ。それが嫌だよ」と。結婚しないでムチャクチャ幸福だったら、母親として反対じゃないんだ、と。

 

母親はやっぱり、子供が苦しむのは嫌でしょう。だから、結婚しようかしなかろうが、仕事があるかなかろうが、それと関係なく、「あなたも一人で、幸福に生活するべきである」ということなんですね。

 

子供を持つことで、大人がね、よい人間らしく、自分の人格が大きくなるんですよ。そこがいいところですよ。だからみんな、「子供がいてよかった」と言ったりはします。

 

でも分かっていない、何が良かったのかと。自分がしっかりした人間になったんです、子供のおかげで。それぐらいのことだと思います。

 

しかし、子供のことで心配したり、かなり悩んだりすることもあります。

 

悩むことなく、うまく子育てできた、というならば、「それは自分がしっかりした人間になりました」と。結局は得するのは親、ということになりますけど。そうなってくると、親にも責任が出てくるんですね。子供をしっかりとした人格に育てて、大きい人間になって生きる。子供がいくらわがままであっても、自分に子供が生まれると、「わがままが通じないんだ」と初めて分かるんだからね。

 

まあ、その程度のことですよ。だから社会システムでなにするのかというのは、その人が決めることで、どちらでもよろしいです。しかし、どんな人間でも幸福にならなくちゃいけないんです。

 

結婚することで幸福だと言ったら、わたしなんか不幸ですね(笑)

そういう他人の判断では、幸福は決められません。子供がいると幸福だと言ったら、わたしはどう頑張っても不幸な奴でしょうしね。

わたしの弟子がいるんですけど、スリランカでは法律的に子供になりますけど、えらい迷惑なんです。失敗ばっかりで。言うことは聞かないわ(笑)自分の期待通りには成長しないわ。自分の弟子だからね、自分と一緒に肩を並べて活動してほしいんですけど。あいつは頭が悪くてね……(笑)だから、わたしと弟子たちの差というのは桁違いなんです。ときどきいうんですよ、「お前たち普通だったらね、傍にも来られない連中です。わたしのところで出家したんだから、偉そうに傍に来てあれやこれやとわがまま言ったり……」というんですけど、全然、弟子たちは気にもしない。(笑)

 

しかし弟子たちが立派な坊主に成長しなかったら、わたしの責任になるしね。余計な迷惑だから、弟子を取らなかったらよかったのに(笑) もう大変ですよ。だから同じことですよ、子供がある場合とね。いいかどうかは全然、さっぱり(笑)……、分からないんです。

 

自分がどれほど必死になっても、向こうは別な生命だからね。

わたしは、よく勉強できるところ、性格をしっかり厳しく育てるところを選んで、そういうところに入れて、学校にもたくさんお金を払ったりして、しっかりしつけをお願いしますと、先生たちにもいろいろお願いして帰ってくるんですけど、全部裏目に出るんですね。

結局は学校の先生たちも、わたしの弟子だということで、かなり軽く優しくアプローチする。弟子たちは調子に乗る、それに。こちらがいいことだと思って、その子のためだと思ってやっていることが、子供にとっては悪いことになったりもするし。もう、期待通りにはいかないものですね。だから、子供がいて幸せかどうか、分かったものではないし。

そういうことで、それぞれ個人の問題になりますね、幸福になるかならないか、ということは。

 

まあしかし、親の責任というのはね、何があっても悪いことをしてはいけないんだ、と教えること。たとえ金がなくなっても、悪いことをしてはいけないんだ、と。金がないのはそんなに大したことじゃないんだ、と。しかし悪いことをしてしまうと、その苦しみは大変だよと。

 

ずーっと一生、バイトで生活してね、本当に苦しくて。でもそれでもいいんです、人生は。悪いことをするよりは。悪いことをして大金を取ろうとして逮捕されたりね、裁かれたりして、それからずっと人生はうまくいかないんでしょうしね。だから、そういうことだけ、母親の義務で、父親の義務で、教えてあげなくちゃいけない。

 

幸福を教えてあげることは誰にもできませんよ。それは自分でちゃんと学びなさい、と。

 

そういう人格を、親子関係の場合はいくらか確認できますけど、師弟関係の場合はややこしいんですけどね。ま、そういうところだと思います。

(関西定例瞑想会 2007.11.11

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/457206.html(音声ファイル:下)よりメモしました)

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