ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

「わたしにはこんなご利益があった」ーご利益競争で、人格はそのまんま。【宗教とは】

だいたい宗教と言えば、インチキ・詐欺に決まっているんですけど、世の中にある宗教は何をやっているのかというと、人々が社会で何か目的があって戦って、うまくいかなかったらそこはなんか神秘的になんとか助けてやろうという、社会組織の一部というか別な意味で社会を支えてくれる、という感じです。

 

戦争するときでも、宗教が割り込んできて戦争をさせてくれるわ、いろいろなことをやっているんです。人種差別が起こると、宗教が絡んできてそれを応援するわ、世の中をいい方向へ行かせようということじゃないんです。

 

世の中の人間が流れている方向へ行って、自分たちも一緒に走って行って何か儲けようということなんです。

 

まあそれはそれで、人間っていうのはだいたい、大した目的は持っていないんですね、生きる上では。すごくシンプルな単純な目的で生きているんですね。大胆な、とてつもない目的があってそれに挑戦するというのは、ほとんどない。ごく普通の目的なのに、それにも達することができないんですね。

 

たとえば人間関係でトラブルとか言ったりするんですけど、そんなにたくさんの人々と付き合っているのか? と。そうじゃないでしょう。ものすごいたくさんの人々と、200人、300人とか、500人とか、毎日、それもないんです。

 

たった5、6人との人間関係がうまくいかないということですよ。

だから、目的は小さいし、それにも達しない、こじれちゃうし。こじれると、いろいろやってみて何もできなくなったところで、神秘世界・精神世界・宗教世界に来るんですね。

来ても別に、神秘は何かとか、精神は何かとか、そんなことはほんとは興味ないんです。何か自分の力でも、宗教家のハンドパワーでも、自分の期待がかなってくれるでしょうか、というところなんです。

 

だからその現象は、外国では当然ありますけど、日本では明確なんですね。あんまり複雑じゃないんです。新興宗教が何を売り物にしているのかというと、「病気を治してあげる」とか、「商売繁盛させてあげる」とか、「いい結婚相手を見つけてあげる」とか、お祈りしたおかげで。

 

ある宗教組織にむかし行ったことがありますけど、奥さんたちが、文章を書いて発表しているんですね。お経をあげたことで、どんな功徳があったのか、という発表会みたいな。毎週集めて、みんな文章を書いてきて、それを読み上げるんですよ。だから活気があるんです。みんなそれぞれ自分の文章を発表するんだから。それで、いわゆる奥さんたちの集まりですから元気があるんですね。

 

その様子をチラチラっと聞いたんですけど、「この間、自分が題目を唱えてスーパーへ行ったら、買いたかった品物が半額で売っていたんだ。まさに題目のおかげです。感謝しています」という内容です。

わたしがもし、そこで議長をしていたらね、「でもそれを半額で売っちゃうと、他の題目を唱えない人たちも半額で買っちゃうでしょう。それって悔しくないの?」と。

 

「わたしにはこんなご利益があった」「わたしにもこんなご利益があった」と社会でご利益自慢したいんですね。何も変わっていないんですよ。

そういう人々がそのまま小学校へ行くでしょ、子供たちを連れて。そこでお互いに牙を出してやり合っているし。「うちの子はあれやこれや」とかね。

 

それで先生に「うちの子の面倒だけ見なさい」という人生で、人格はそのまんま。ご利益競争で。

 

病気を治してくれた、とかね。そんな程度。すごく単純ですね。

 

そういうものを宗教は売ろうとして、そこで商売繁盛しているんですね。結局商売なんですよ。

 

仏教は社会に飼われている組織じゃないんです。出世間の世界です。

 

だから微妙にでも、そこは厳しく言うんです。「あなたたちに飼われているわけじゃない、何の関係もないんだよ」と。何かクレームをつけるなら出ていきなさいと、と。

 

「あなたたちが自分に問題があってこちらに来るなら、助けてあげます。だからって何かクレーム付けるなよ」ということなんです。

 

なぜかというと、完全に人類のことを憐れんで、助けてあげているだけで、それに見返りはいりません。

ろくなことができないあなたたちから見返りとは何かと。

 

で、ブッダが、全部問題は解決しているんだと。ただ肉体があるだけのことで、肉体の維持管理だけ社会に支えられているだけで。だからまあ、ちょっと態度は厳しいんです。

 

わたしたちが仏教を飼うことはできないんですよ。

 

他の宗教みたいに、神父さんやら牧師さんやら、檀家に信者さんに雇われているというね、それは成り立たないんです。

 

とにかく、仏教は何を教えているかというと、人間っていうのは情けないんですね。ろくな目的はないし、それさえくじけるし。

試験受かっていない人々が、試験に合格したいだけなんですよ。大げさなことじゃないんです。

 

家の奥さんが、家族のことを、無事問題なくやりたいだけなんです。目的は。なんとか赤字にならないように、子供にそれなりのものを食べさせたいし、おもちゃを買ってやりたいし。ものすごいシンプルな希望なんですよ。

 

男にしてみたって、家族を持っていれば、家族に苦労なく生きていれば十分だと。子供に学費を払ったり、奥さんがたまにおしゃれをしたり、そのくらいのことができれば、まあ十分でしょうと。そのためにちょっと仕事して、お金を持ってくると。これくらいの目的なんですよ。それが何で挫けるんですかね。なんでそれさえもうまくいかないんですかね。

 

人間関係といっても、せいぜい5、6人ですよ。

 

みなさまがたもいろいろ問題は持っている。一人ひとりが。自分では世界一大きな問題だと思っています。しかしわたしからみると、何だこれはと。さんざん聞いている問題です。

 (スマナサーラ長老にも解決できない一つの大きな問題【日本社会について】に続きます) 

 

(関西定例瞑想会 2008.01.27 スマナサーラ長老説法

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/494188.html 音声ファイル:下よりメモしました)

f:id:thierrybuddhist:20150216125951j:plain

関連エントリ:

すべての「説法めも」を読むには:

【目次】説法めも