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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

どうすれば執着に気づきますか?

説法めも 家族・友人・ペット

( スマナサーラ長老の恋愛相談【執着】より続きます)

別の質問者

「自分自身に執着心があるだろうと観念的には思うんですけど、執着していることに、わたしの場合は最初の質問者の方と違って、気づいていないかもしれません。どうすれば執着自体に気づけるんですか?」

 

 回答(スマナサーラ長老)

ものが自分から逃げていくときに、よくわかるんです。

自分から体力が逃げていくと、仲間が逃げていくと、子供たちが逃げていくと、苦しいんです。あれは執着。そのとき、初めて感じるんです。

 逃げていないときは執着だと思わないんですね。物事がうまくいっているんだと、いい気分でいるんです。物事がうまくいくっていうことはないんです(笑) だいたい逃げていくんです。

 

会社で仕事をしていても、なんかどんどん仕事は若者たちがやっていて、自分は上なんですけど、何もやることがなくなったりして、誰も自分のアドバイスを聞かないで、そちらでパッパッと問題を解決したりして、なんか自分がよそ者にされているような気分になります。

それがダメだとは言えないし、後輩がバリバリ仕事することが理想的でその通りになっているんだけど、自分を相手にもしないというところで、なーんかいやな気分になっているんですね。

 

それは仕事が自分から逃げた、ということです。

 

そこで仕事に対する執着が分かります。しかし、自分がもう年ですから、仕方ないんですね。会社から見れば、「あんたはもう引っ込んでおけ」ということなんですね。「あと何年もないでしょう、退職するまで」と。

 

自分も分かってはいるんだけど、若い時みたいにバリバリやりたいという執着があって、その時にすごく感じる精神的な悩みは、執着から出てくるんです。

 

質問者「それが執着から出てくることに気づかないとダメだ、ということですか?」

 

(笑)いろいろ、まあ……。気づいた方が処理しやすいんですね。

 

だいたい執着だと偉そうなことを言うのは、逃げていく場合ですよ。叶わない場合です。

執着する対象が、ちゃんと自分のものになっているなら、自分がついているんだ、幸せだと思うんです。

 

だいたい人間というのは、物事が逃げていく、離れていく、自分と一緒にいない。

 

お金、若さ、健康、活発さ、能力、目の視力、聴力、書く能力、なんでもかんでも自分から逃げていきます。結婚しても、相手からもらった愛着は、その日から薄くなって逃げていくんです。

自分の結婚相手の美しさも逃げていきます。自分がすごい美人と結婚したんですけど、ずっと見ていくと、あの美人がどこへ行ったかと(笑) 別人になっているんですね。

 

だからいろんなものは逃げていくんですよ。すべてのものは逃げていきます。

自分の体も、自分の知識も。

 

つまり「自分の」というのはただの言葉なんですよ。しゃべるために使う。実態がないんです。まあ、しゃべる場合は、「自分の」という言葉を使わないと、言語が成り立たないだけの話で。自分という何かがあって、そこから逃げているわけじゃないんです。

 

逃げているものは変化して行っているものばかりだから、もともと逃げているものばかりなんですね。

それを一か所に集めても、それぞれのものがそれぞれのスピードで逃げていくんです。

 

だから生きる上では、逃げていくことに慣れなくちゃいけないんですよ。これは変えることができません。

 

そういうわけで、人間というわれわれは、明るく生きたければ、逃げること自体が何のこともないんだ、どうせ逃げるでしょう、と。

 

かなり昔、わたしはある子供と一緒にあちこち電車で遊びに行ったことがありました。ちっちゃな男の子ですごくかわいいというか、ものすごく大きな声であれやこれやと聞くわ、とかね。それを見ていたあるおじさんが、あまりにもその子がかわいくてね、わたしにこういうことを言ったんですね。

 

「子供が超かわいい時期っているのはね、本当に短いんだよ。すぐにこの愛くるしい可愛らしさがなくなりますよ」

 

わたしは、なるほどそうだなぁと。この子と、この時間だけ思う存分、後で悔いが残らないように、ムチャクチャ遊んでふざけて、楽しくすごしたほうがいい、と。一年もすれば、かなり激しく変わって、もう遊んでくれないということになります。

 

だからその子がべったりとわたしに執着して体に乗ってきて遊ぼうとすると、「あなた、そんなかわいいのもあと何日ですかね」とか、「わたしのこともすぐに嫌になるでしょう」とからかったりするんです。するとその子は「いや、そんなことないんだぞ」と言うんです。

 

当時そう言っていたことを、その子に思い出させてあげようと、「あなたは昔、そんなことを言ったでしょう」というと、むこうは覚えていない、結局は(笑)

 

父親と遊んでいる男の子たちを見るときもあるんですよ。小学一年生くらいの年になってくると、なんでも父親にアドバイスしたり教えてあげたがるんですね、何も知らんくせに。男の子の場合は一番かわいい頂点なんですね、その年齢は。

 

だから、えらい体力もあって物を知っている父親に連れていかれることで、自信満々で、自分も男らしく振舞ってやろうかとがんばっているんですね。それは母親にも見えない男の顔なんですよ。

 

すごくかわいいんですけど、アッ!!という間に消えてしまうんですね。だからわたしもそういう父親たちに、「今の時期だけですよ、だから大事にしなさい。仕事休んででもその子たちと遊んだ方がいいよ」と言いたくはなります。

 

わたしも言われたんだからね。でも言われて嫌な気分になったわけじゃなくて、よくぞ事実を言った、と。本当のことをね。

 

だからかなり立派な方でしょうね。自分にも子供がいて遊んであげて、あっけなく子供に逃げられちゃって、でも本人が落ち着いている。世の中はそういう物であると。

 

だから、逃げることが当たり前だと思っている人は、すごく落ち着いているんです。

いくら愛情を注いで育てても、子供たちは結婚してしまったら、帰ってこないでしょう。

 

「うちの子供だ、うちの子供だ」と思っている間は苦しくて、人生暗くなるんです。

「まあ、これから帰ってくるわけないでしょう」という調子でいたほうがいいんですね。子供たちも泣きながら「お母さんから離れがたい、お父さんから離れがたい。すぐ帰りますよ」と言っても、「あんたね、帰るわけないんだ、そんなこと言っても。今だけですよ、お母さんから離れたくないと泣いているのは」というふうに返した方がいいんです。その方が自分の気持ちもはっきりするし、相手も、「そんなことない」と言いながらも、「なるほど、そういうことか」とわかって大人になるんです。

 

結婚した娘がお母さんのところに子供と帰ってきても、ちょこちょこっと居て、サッサと帰っていく。お母さんは娘としゃべりたいんだけど、娘は自分の子供のことで精いっぱい。こうやって逃げていく、すべてのものは。

 

だからわれわれは、好きなものは逃げていく、ということに慣れるんです。それでおとなしくなるんです。

落ち着くんです。冷静になるんです。

 

犬猫を飼うのはいいんだけど、みるみるうちに年取っていくんです。それから目も見えなくなったりして。ときどき歩けなくなったりして。ひどいことになるんだと理解しておかないと。

 

飼っていた犬が、猫が死んじゃっても、まあそんなところですよ、と。もう終わった出来事だと、諦めることは素晴らしいことなんです。

 

人生は小さい時から諦めることを学んだ方が、穏やかでいられますね。

それを学んでいない人は苦しむんですよ。

執着で苦しむのはそういうわけなんです。

 

執着っていうのは叶わないんです。楽しいことがあっても、どうせ逃げるものだ、と思っておかないと。

 

そういうふうに頑張った方がいいと思います。

(おわり)

 

(関西定例瞑想会 2008.01.27

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/502738.html 音声ファイル:上よりメモしました)

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