(「自己直し」が「世直し」です【日本のお寺 2】より続きます)
宗教の開祖は、バージンの母親から生まれた例が多いとある本に書かれていました。キリストもそうですし、お釈迦様もそうだと書かれていました。お釈迦様はバージンの母親の脇の下から生まれた、と。
それを見てわたしは腹が立ったんです。その本に対してではなくて、そんなふうに言わせたのは誰ですか、と。
この本を書いた人は世の中のことをムチャクチャ勉強している人で、あちこちからデータを取って仏教の悪口も言う。
脇からお釈迦様が生まれた、というのは大乗仏教が作ったエピソードなんです。(ジャータカ物語のような)子供たちに向けて分かりやすいように作ったエピソードとは違います。ウサギさんの物語とかカメさんの物語とか、子供たちに道徳を教えてるためにしっかりできています。
たとえば、「口は禍のもと」と子供たちに言っても分からないでしょう。それでエピソードを作ったんですよ。
ツルとカメが湖にいまして、仲良く暮らしていました。乾季になりまして、湖の水がなくなっちゃったんです。カメさんが困っちゃったんです。ツル二羽はカメさんに、「ほかにものすごく立派な湖がありますよ。山の向こうに。そこへ行きましょう」
しかし、カメはどうやって行くんですかね? カメさんは、
「あのねぇ、わたしはそんなに長い距離を歩けませんよ。だからここでさよならです」
ツルは友達なのにこれはマズイと、二羽でよく考えて、カメに一本の棒を渡しました。
「カメさん、この棒をしっかり口で噛んでください。わたしたちは、棒の両端を口で挟んで飛びますから。しかし、カメさん、口だけはどんなことがあっても開けないでくださいよ」
それで、ツル二羽に運ばれてカメ一匹が空を飛びました。
それを見て子供たちが、
「カメが空を飛んでる!! 変なの!」
と騒ぎ立てました。カメさんは腹が立ったんですね。
「お前らに関係ないでしょう。カメが空飛んでも」
と、我慢していたのに、言ってしまいました、結局は。
そしたらカメは地面に落ちて、甲羅がぐちゃぐちゃに割れて死んでしまいました。
口を開けた途端。
「だから、あなたたちは『口』に気を付けてください」と子供たちに言えば、子供たちは分かるでしょう。
ジャータカ物語は、人をだましているわけではありません。
子供たちにとっては楽しく遊びのような気分で、しっかりと道徳を伝えています。
お釈迦様が脇から生まれた、と言う話は、お釈迦様が人間では困る、神でなければ困ると考えた宗教家によるものです。
このエピソードは、テーラワーダ仏教の国では聞いたことのない話なんです。元々あった話ならば、われわれが知らないはずがありません。
わたしたちが知っているブッダの場合は、マーヤー夫人というお母さんがいて、スッドーダナ王という父親がいて、明らかにその父親の子供なんです。バージンじゃないんです、マーヤ―夫人は。夫人の妹もスッドーダナ王と結婚していました。われわれはそういうふうに知っています。
マーヤ―夫人は子供(お釈迦様)を産んですぐ亡くなられて、妹(パジャパティ・ゴータミー妃)が、自分も王の奥さんだからシッダールタ王子(お釈迦様)を一生懸命育てたんです。それでそのパジャパティ・ゴータミー妃が悟りまして、涅槃に入る前にお釈迦様に礼をして、「これからわたしは涅槃に入りますよ」と言うと、お釈迦様は弟子たちをみんな集めて、パジャパティ・ゴータミー妃の徳を唱えるんですよ。
「この人はわたしの母ですよ。わたしを産んだ母はすぐ亡くなりましたが、そのことをわたしは知りません。しかし、わたしに母がいないという思いを、この人はちょっとでもさせなかった。それくらい愛情いっぱいで、自分の母乳をわたしにくれて育ててくれました。彼女が悟りに達して、堂々と涅槃に入るために、比丘尼サンガへ帰っているところです」
ものすごい感動的な言葉なんです。お釈迦様が母親を讃嘆する言葉です。
「では、みんなで行きましょう」と、お釈迦様も後ろから行くんです、弟子たちと一緒に。ゴータミー阿羅漢がそこに横になって、息を止める。お釈迦様も最後のところに傍にいてあげる。「ブッダだから」というのはなく、母親の最期を見送りに行くんです。
美しい話だとわたしは思います。
そういう普通の人間で生まれて、人間として一緒に育ててもらって、それで自分の頑張りで悟りに達して、それをみんなに教えている世界でしょう。インチキは一かけらもないんです。
しかし商売では困るんですよ、それが。商売にはなりません。たとえば皆様でも、一人で瞑想して悟りに達しても、「では、10万円くらいちょうだい」とわたしが言う権利はないでしょう。頑張ったのはその人ひとりでしょう。わたしは瞑想のやり方を教えて出ていくんだから。
それだけじゃなくて、禁止していますよ。何か利益を得るためにブッダの言葉を使うなよ、と。真理ですから、慈しみに基づいて言いなさい、そうでなければ効き目がないんだよ。人を育てるためにかなり厳しい態度を取らなくてはいけないんですよ。お金をもらっちゃうと、この態度が取れないんです。
だから、仏教は布施で成り立っています。布施と言うのは、自分の自由な意思で「そういうことをやっているなら、わたしも参加したい」という気持ちであげるもので、布施した人にはその布施の結果が別に入ってきます。布施は説法の対価として払ったものじゃない。それなら布施の功徳がなくなるだろうと思います。
そういうエピソードまで書いてありますよ。
どこかで誰かに、説法をしたところ、ある人が、「あなたはわたしにくれたものにお返しできませんよ。あなたがわたしに教えたことは、価値を超えています。あなたの説法を聞いて価値が分かったんですけど、お返しできませんよ。全財産を上げても、国を全部あげても、それは教えに対して失礼だ」と。
「しかし、あなたの生活のためにご飯くらいは差し上げますから、それはやらせてください。決して教えに対するお返しではありません」
そこははっきりしておくんです。
しかし、大乗仏教を作った方々は、宗教を作りたかったんです。それはお釈迦様が涅槃に入られてだいたい100年くらい経ったところだったんですね、大乗仏教の考え方が始まったのは。
「今までの宗教組織にとって、お釈迦様の教えは困る。宗教組織が壊れていくんだ」と。つまり、商売にならなくなって困るということでしょう。
それで、仏道から逸れることを始めて、かなり後で、600年たったあたりで、やっと大乗仏教として顔を出したんです。だから仏教とはなんの縁もないんです。仏教のデータを盗まれてパクられて取られているんですけど、本当は全然関係ないんです。
自分の国の仏典、パーリ経典以外にも注釈書はあるんですけど、「大乗」という一言も出てこないんです。
だから、まったく、宗派としての扱いもしていません。
しかし、インドの変遷は全部知っています。インドで何かあるとスリランカが知らないはずがないんです。今と違いますからね、むかしはもう、国境はほとんど関係なかった。行ったり来たり自由。
宗派仏教の間違いは、一つ一つ経典に合わせて、全部書いています。その宗派仏教も壊して、大乗仏教は顔を出したんですね。
そういうわけで、(一部の人にとっては)お釈迦様が人間では困ります。それで人間でなくなっちゃうんですね。
お釈迦様っていうのは、小乗仏教の連中の誤解であると。史実なのに、ゴータマブッダと言う人が生まれたというのは。イエズス(イエス)はいたかどうかわかりませんけど。ブッダがいたことは明確な史実なんです。これを否定するんだから、堂々と。
宗教は独裁なんです。ブッダは、「独裁は政治家だけで十分だ。独裁者は肉体を管理してくるかもしれませんが、われわれは心だけは自由にしておきなさい」という教えなんです。「いくら独裁者が現れても、せいぜい体のことだ、気にするなよ」と。
ブッダは精神の自由を語っていますが、宗教は精神の自由を認めないんです。極限に奴隷化するんです。
(中略)
大乗仏教はキリスト教などの宗教と同じように、いろんな仏さんを作ったりお化けを作ったり、お不動さん、観音様を作ったり……。拝む対象を作って、「拝め、拝め、拝め……」と。拝んでご利益をおねだりしなさい、と。正真正銘のしっかりとした宗教に退化させたんですね。それに材料を仏教から取ったんです。ただ、それっていうのは世間ではよく起こることだから。
しかし、わたしが怒ったのは、「この人々のせいで、仏教まで非難を受けなくてはいけない」ということです。
宗教を研究して書いてある本を読んではみたんですけど、仏教にもいろいろ悪口を言おうとするんですけど、わたしはニコッと笑うんです。「ああ、このひとは勉強していなんだ」と。「この人が仏教に対して出している、反論・異論は、一つも仏教に合わないんだ」とかね。「これはわたしも同じ意見だよ」とかね。そういう感じでやられません。
しかし大乗仏教がアメリカでもイギリスでも広がって、太鼓叩くわ、いろんなことをやるわ、迷惑と言えば迷惑なんですね。科学的に、正しく、人間に幸福になる道を教える場合、こちらは迷惑っちゃ迷惑ですね。
そういうことで、世間でやっていることはわたしたち(ブッダの教え)とは関係ないんです。
今さらわたしの意見を聞くのも、失礼もいいところで、わたしは20年くらい仏教を語っていたんですけど、日本の仏教が見事に正しかったら私も信徒さんになるんであって、日本の大学に入っても、これはとんでもない……(笑)と思ったんだからね。
(ブッダに有って、大乗経典に無いものとは?【日本のお寺 4】に続きます)
(関西定例瞑想会 2008.05.11 スマナサーラ長老説法
http://www.voiceblog.jp/sandarepo/577302.html 音声ファイル:下から3番目⇒4番目よりメモしました)
関連エントリ:
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上記サイトには載っていませんが、今回の説法の中で長老が例に挙げた話は、「おしゃべりなかめ」というタイトルで、下記の絵本「ジャータカ物語」に収録されています。