ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

日本のお寺は世界遺産。誰でも守る義務があります【日本のお寺 6】

ブッダは女性差別者ですか?【日本のお寺 5】より続きます)

日本のお寺が拝観料を取ったりすることは別に、日本の社会状況であって、何も言えません。

日本のお寺と言うのはお寺じゃなくて、もう世界遺産ですね。それは宗教と関係なく誰でも守る義務があるんです。世界遺産だから。

日本人にとってはたくさん世界遺産があることは誇れることでしょう。国が小さい割に結構ありますよと、世界遺産が。

 

人間っていうのは動く毒だから、どんなところへでも行ったらすぐに破壊するんですよ。

ふすまに書いてある絵でも、じろじろと見るだけで絵が壊れるんですよ。世界遺産が。人の中から、鼻から出ていく空気で。湿気と二酸化炭素だけじゃなくて、いろいろと様々な毒が入っているんです。

だから、どうしましょうか?

人間に見てもらわなければ世界遺産になった意味がないし、人間が見ると当然、自然に壊れていくということがあるし。

 

だからいろいろ考えているんです。維持管理するためにはお金がかかるから、拝観料でも取るしかないでしょう。日本の庭園とか、維持管理に金がかかるでしょう。何もしていないように見えますけどね。何もしていないように見せるためにはものすごくがんばらなくちゃいけないんですね。

 

人が400年も足を踏み入れていないような日本庭園でしょう。しかし残念ながら一日何回も足を踏み入れなくてはいけないんです(維持するために)。でも、踏んだことがないようにしておくんだから、これは大変ですよ。

 

これはわたしの問題ではありませんし、仏教の問題でもありませんが、人類の文化の問題なんですね。

 

如来をたくさん作ったのは、宗教家たちが拝む対象をたくさん作った方が、信者さん獲得にはいいでしょう。

たとえば、安産の神様がいると、妊娠中のお母さんが、安産に効き目があるならとそちらに行くでしょう。夢でうなされて、子供たちが怖がってしまうと、夢違観音(ゆめちがいかんのん)へ行くでしょう。そういう、それぞれの商売ですよ。誰でも病気になりますからそのときは、「まあ大丈夫、薬師如来がいるんだから」とかね。

 

それから、何とか幸せに生きたいというなら、普通の観音様がいるんですね。魚をたくさん取りたければ、魚を手でこうやって持っている観音様もいる。

 

「あれは仏教でどうなのか?」と聞かれても、仏教とは関係ありません。

 

ああいうのは漁師さんからお金を取るために、「観音様が祈ってくれますよ、魚を大量捕獲できるように」と。「(殺生は)仏教に矛盾しています」と言われても、「そんなの知ったことじゃないんだ」という世界ですよ。

 

批判するより面白いんです、このばかばかしさ(笑)

 

そういうことにやられてしまったら、やられた人のせいですよ。笑っちゃえばそれで十分です。

 

ものすごいたくさんいますよ、大乗仏教の仏様は。不動さんもたくさんいるし。不動さん信仰は呪文・祈祷系のお寺が日本では一番儲かっているでしょう。日本人がどれほど呪文・祈祷を信じているかと言うことですよ。

 

いろいろありますね。

大乗仏教はすごくたくさんの仏様を作りましたが、日本ではそのわずかしか信仰していません。しょうがないね、商品をたくさん作っても、買う人はそれを買って終わりますからね。仕事のない仏さんもたくさんいるんです。阿閦(あしゅく)如来という仏さんもいますね。*1

どんな仕事をするか私も忘れちゃった。

 

阿弥陀さんの仕事はわたしも知っています。東西南北4人いるうちで西の阿弥陀さんは一番人気あるんです。ほかの北・南の仏さんは仕事がないんです。失業状態で。全部お客さんを阿弥陀さんにとられちゃって。

 

大日如来という親分がいますね。しかし仕事はないんです。大日如来は親分だから、ほかの親分から信仰されます。皆様からはほとんど信仰されてないんです。大日如来弘法大師が信仰します。弘法大師が皆様からお金を取るんです。皆様がたは弘法大師を信仰する。弘法大師は、大日如来を信仰しますが、阿弥陀様を信仰しません。そういうシステムが見事にできています。

 

どうぞ、皆様は自由に信仰してください。わたしには管轄外です。

 

しかしこんなことを言っても、文化として大事にしなければいけません。それを覚えておいてください。皆様の文化です。一日にして作ったものではないんです。昔の日本人が大仏像を作ったんですよ。見事な建築物を作ったんです。それは芸術的にも、ものすごく優れています。その精神は忘れてはいけません。

 

日光・月光菩薩像を東京に持っていく際に、初めて後ろを人々が見ました。菩薩像を作ってから、一度も人が見ていないんです。作った人は知っていたでしょう、仏像が設置する場所を。いったん設置したら、誰にも後ろは見えないと知っていたと思います。それでも作るときは、完璧なものを作るんだと。前だけじゃなく、横も、後ろも、完璧なものを作る。

 

その真剣さと言うのはすばらしいんですよ。なんで完璧なものができたのかと言うと、ただ作品を作る喜びだけであって、「やらせてくれてありがたい」という気持ちだけだったんです

「これでいくらもらえる」とか「採算が合わない」とか、そういう汚いこと、今は皆、堂々というでしょ。情けないんです。採算が合うか合わないかじゃなくて、自分が作った作品は完璧にしてやる、というのは人間のプライドなんです。

 

だからおそらく、ああいうものを作った人々と言うのは、ろくに食べてないと思いますよ。ろくな家もなかったと思いますよ。ぼろ屋敷で、なんかちょこっと横になって、また朝から作品に取り掛かって、またそこらへんの何かを食べて、そういうふうに作ったものですよ。だからそういう作品はつぶれません。

 

あの恐ろしいアメリカ人でも、爆弾は落とせませんよ。野蛮人も、潰しちゃえばよかったのに、それはできないんです。結局は日本人より大事に、京都の古いものを守るというね。ここでやばいんだったら、これをコソッと持っていこうと、アメリカに持っていって博物館に置いたりとかね。

 

そういうことで、そういう人間の本当の尊さを見せつけてくれる作品はね、残るんです。

それにはケチ付けない方がいいと思いますよ。

かつての日本人の謙虚さ、無我で義務を果たした精神が、生きている【日本のお寺 7(最終回)】に続きます) 

 

(関西定例瞑想会 2008.05.11 スマナサーラ長老説法

http://www.voiceblog.jp/sandarepo/577302.html 音声ファイル:上から2番目⇒一番上よりメモしました)

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【目次】説法めも

*1:参考外部リンク:阿しゅく如来 - Wikipedia