ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

ビジネスに欲は関係ない。競争もない。【食品のこと・前編】

質問

「日本の汚れたお米の問題とか、中国のミルクの問題とか食べ物に対して(2008年当時)、すごくいろいろ悩んだりしていることが多いです。

中国や会社に対し直接的に「怒ったり」「恨みを持つ」というのは違うなというのはわかりますが、また同じようなことがどんどん起きてくるかもしれないと思います。

それを自分がひとりの人間として、そういう問題が起こらないように積極的にどう取り組めばよいでしょうか?

 

回答(スマナサーラ長老)

 

自分だけのことだったら、そういうインスタント食品は食べないで、自分で作って食べたほうがいいかもしれませんしね。

わたしも作って売っている食品はあまり信用しませんしね。

 

わたしが生まれた時期は60年以上前で、全部家で食べ物を作りました。野菜は裏庭で作るし、米は田んぼで作って各家庭でもみ殻を取って精米していました。当時でも、喫茶店とか小さな店はありました。イギリスの植民地になっていたんですから、お菓子とかケーキはあったんですけど、わたしがそういうものを食べたくなると自分の母親はものすごく怒るんです。

 

「ああ、これは家に金がないからじゃないかなぁ」と思いました。たしかに、そういう食べ物を買ってあげることができなかったのかもしれませんが、だから母親が怒ったんじゃないんです。

 

なぜかというと、外に出たらいろいろな人びとがお菓子を買ってくれるんです。田舎ですから、誰の子供というのもないんだから、外で遊んでいれば「おいで、おいで」とお菓子とかくれたりしますよ。それで飴でもお菓子でももらったら、喜んで食べて、それはものすごく喜びますよ。それで家に帰ったら自慢げに母親に言うんです。

 

「今日はね、お母さん、○○おじさんからお菓子もらったよ」と。

そうすると、お母さんが、母親が怒ること、怒ること。

「何するんだ、とんでもない奴だ」と、すぐ怒る。

 

よく母が言ったのは「何が入っているか分からない」。昔の女性でしたけど、自分の子供に食べさせるものは自分で作りたい。人の作ったものは食べさせません。

外で食べてもいい、と言われたのは、母の二人の姉の家で、でした。そちらに遊びに行ったら、あまり気にしない。

 

三人の母親に、その子供たちで、もう大変ですよ(笑) 悪いことをしたら三人から怒られますからね。

一番上の姉のところへいったら、朝早ーくから起こされましたからね。みんな起こして「お経あげなさーい!!」とお経をあげさせられるので、嫌で、嫌で、これが(笑) 

もう、誰の子供というのは関係なく、怒鳴ったり殴ったり(笑)

 

だから自分の母親は、姉たちの家では「何を食べたか?」とは聞かない。それ以外、どこへ行っても聞きました。

自分の父親にはおじさんたちが四人いたんですけど、そちらに行ってご飯を食べるのはあまり好きじゃない。面白いんです、母のその考え方が。おじさんは父親の弟かもしれませんけど、奥さんは別の人だから、と。

だから、そこまでして自分の子供には自分の信頼できるものを食べさせる。そういうふうに遠い昔は、していたんですね。

 

人間というのは、金儲けるために食べ物を作ったりすると、儲かることが先になっちゃうんですね。

それが仏教から見ると悪行為で、並大抵の悪じゃないんですよ。食べ物っていうのは、人間の命なんです。

いったん体に入れたら、全部体の中に入ってしまうんですよ。

 

ルイヴィトンとかなんとか、偽物を作っているでしょ。あれに日本の政府もエライ興奮するでしょ? しかし、そんなもんで人が死ぬわけないでしょ。

偽のシャネルのカバンを持っても、いいんじゃない、そんなの。

しかし、食べ物にはどんなカラクリしても(政府は)知らんぷり。

 

だから人間っていうのは昔からいかれていて、自分だけ良ければ、儲かればいいと、悪を犯して儲けるんですよ。

悪を犯して儲かると、人類が幸福にならないんですよ。

 

経済成長と偉そうなことを言うんだけど、一人一人にはロクな幸福がないでしょう?

そこで究極的な金持ちの人が、いい加減なことをして倒産しても、国のお金で助けてあげるんですよ。中小企業や皆様方や、ちょっと問題があってちょっと滑ったらどうなるんですか? すべて無くなるんですよ。政府は助けてくれないんです。

 

マイホームを作ったんですけど、途中で仕事が無くなっちゃって、ローンが払えなくなったら、政府が「かわいそう。この人は悪人でもなんでもない。仕事が無くなったんだから、これはみんなの責任です。だから残りのローンの半分を国のお金で払いましょう。責任は全国民に、政府にありますから、こういうところに税金を使うべきですよ」というのは、絶対ないでしょ。

 

リーマンブラザーズは、想像できないほど金があった会社でしょ。倒産する前でも巨額の資産があったでしょ。その翌日には倒産。そうすると、政府機関がお金を出す。

 何でそういう人々にお金をあげるんですか?

 

(質問者の)質問は、立派な質問ですけど、自分のことだけ考えるなら、そういう食べ物を自分も子供も食べなければ問題は解決。

「アンパンも食べたいんですけど……」と言われたら「食うなよ、そんなのは。お母さんが小豆から、そのうち作ってあげますよ」と言って、暇があるときにゆっくりと形がいびつでも作ってあげればいいやと。*1

 

ほんとは人間、そうなると、そんな汚い商売できなくなるんですよ。われわれも怠けて、とにかく「チン」して食べたいでしょう(笑)

 

わたしも料理作りませんが、外でどこかで食べますけど、食べたらものすごく調子が悪くなることはあります。昨日もお昼を食べて、店から出た瞬間におなかが痛くなって、一日以上居ても立っても居られない、ものすごい、耐え難い痛みなんです。夜も寝られなくて、やっと朝、直りましたけど、野菜サラダをちょこっとだけ食べて、ここに来たんです。

 

いろいろ食べ物は売っていますが、ちょっと信頼できない。

 

野菜なら、まあ……、殺虫剤が入っているかもしれませんが、洗っているから、まあ……いいんじゃないかなぁと……(だんだん小声…)

 

この間、自分の国(スリランカ)で、小さな店をやっていた人が、店を作り直したんですね。

二階建てのつもりで建て始めましたが、一階部分を作ったらお金が終わっちゃって、それでとにかくまた店を始めますと、お坊さんたちに祝福と法事をやらせたんです。

 

昔からお寺の面倒を見てきた、すごくお寺のことを心配する真面目な家族でしたから、「それだったら、言いたいことを全部言ってやるぞ」とわたしも法事へ行って、説法しました。

 

わたしが言ったのは、

「あなたはこれから商売します。聞いたことがありますか、欲は良くないんだと。罪ですよ。それで、よくみんなが言うのは、『欲がないと商売できませんよ』と。あなたのひいおじいさんから仏教を信仰して、お寺の面倒を見てきた人々だと知っています。

真面目に立派な人間になろうというなら、商売をやめるしかない。そうすると、子供たちをどうやって食べさせていったらいいのかと問題が出てきます。そこでお釈迦様の答えがあります。それを学んでください」

 

「儲かるために商売をするんじゃありません。人を助けるために商売をするんです。人を助けることは善行為です。人を助けると、自分も助かりますよ」

 

「店に、いろんな品物をあっちこっちから持ってきて並べたら、他の村の人々にとっては助かりますよ。遠いところまで買いに行かなくて済みます。

人を助ける場合は、『助かった』という気分がその人々にあるんだから、そのわずかな利益に、あなた方はすごく幸福でいられますよ

 

しかし、『儲かってやるぞ!』と思った瞬間に、人の金を奪おうという気持ちがある。

100円の品物はどうせ120円で売れます。(儲かってやるぞと言う気持ちがあると)20円をあなたは奪っている。泥棒です。そうすると、いくら儲かっても足らなくなります」

 

「そうではなくて、一個100円のものを仕入れたら、サービスとしてみんなに120円で売る。

本人が100円で買いたければ、400円か500円使って、車で買いに行かなければいけない。もしあなたの店で120円で買えるなら、その人にとってはその20円というのは何ことはない。そういうふうに人を助けてあげる。

『何かしてあげる』という気持ちで商売をやってください

 

特に食べ物を売る場合は、よく覚えておいてください。

あなたの売るものは、人々は食べますよ。その人々の命になるんですよ。だから、菓子パン一個売るときでも、『どうか幸福で、元気でありますように』と心で思ってください。

 

そうすると、何のことなく、あなたの商売は繁盛しますよ。

これはブッダの慈しみに基づいて生きる方法だから、よく覚えておいてください」

 

と説法して帰りました。結果がどうなるのかはこれからですけど(笑)

 

わたしが言うとおりに気持ちを替えれば、見事に商売は繁盛する。

 

われわれは品物目当てに店に行くわけじゃないんです。だいたい、「人々」なんです。品物はどこにでも売ってますからね。

皆様も、店の雰囲気とか、店員さんの態度とかに惹かれるでしょう。やっぱり、心と心のつながりなんです。

店員さんが友達のように、親戚のように接してくれると、ものすごく心が和むんですよ。そうすると、「こちらで買えばいいや」と思って、買って帰るんですよ。

 

ずっと覚えていることがあるんですが、ある日、すごく忙しくてご飯食べる時間になっちゃって、走ったらコンビニがあったんです。昼ですからね、人がたくさん並んでいたんです。コンビニは家族経営のようで、レジでおばあさんが息子さんたちに言われるようになんとかレジ打ちをしている。

 

わたしも並んでいて、弁当を買って、そのおばあさんがレンジで温めて袋に入れて「はい、召し上がれ」と一言、言ってくれたんです。

 

丁寧でもなんでもない言葉です。普通の店員さんは「ありがとうございました」と機械的に言うだけでしょう。あのおばあちゃんには、レジの仕事とか何の関係もなく、今までずっと自分の子供たちにご飯を食べさせてきて、その癖がそのまま。相手は誰でも、「はい、召し上がれ」。

 

「食いなさい」という態度なんです。しかしあの一言の中に、ものすごいことが入っているんですよ。「食いなさいよ」の一言の中に。

 

わたしには、ぐっとその波動が入ってくるんですよ。そのおばあちゃんが子供たちにずっとご飯を食べさせてきて、怒ったり怒鳴ったりして、怒っても「育てたい」という慈しみでしょう。わたしは、今までずっとコンビニで食っているんですけど、覚えているのはそのおばあちゃんの顔だけ。

 

たとえ、ああいうインスタント食品であっても、ああいう人から手渡しされると、あんまり当たらないと思いますよ。

 

だから、気持ちですよ、問題は。心と心のつながりなんですよ。

 

商売になって、「安く、安く」ということで中国に注文を出して、向こうでは労働者をものすごく搾取して、ほんのちっぽけな報酬しか払わないで、朝から晩まで仕事をさせる。一人二人がものすごく裕福になって、あとの人たちは貧困で。だから、腹が立って毒入れたりするんじゃないかなぁと思いますけど。

 

わたしは怒るというより、気持ちが悪くなっちゃったのは、今回のは、赤ちゃんたちのミルクに、なんで。メラニンとかなんとか毒が入って、15人くらい死んじゃっているでしょう、子供たちが。なんてことをするのか。赤ちゃんはどうすることもできないでしょう。ミルクをゴクゴク飲むしかないでしょう。

 

われわれ大人は、においでも嗅いで「これは嫌だ」と言えるんですけど。

 

いかに欲だけになると、自己破壊で、人類も破壊することになるのか。

 

わたしたちに逃げ場はないでしょう。作ってある品物を買って食べるしかないでしょう。

そこまで、生命を殺してでも儲けるぞと言うのはね、やっぱりわれわれの生きる道が微塵も正しくないんですよ。

 

もっと幸せな道があるんです。楽に贅沢できる方法があるんです。

 

わたしが、自分の国で店をやっている人に説法したような、あの気持ちで商売をすれば、お客が列を作りますからね。同じような店が三軒並んでいても、その店に来るんですよ、人は。その気持ちがあったら、顔に見えますからね。

 

子供たちが甘いお菓子を買う場合でも、そういう店の人だったら「おまえ、食べすぎじゃないの」とか一言、言うでしょう。子供はそういわれても、お父さんみたいに心配していると思って、それでも次もその店に行くんですよ。

 

嘘を言って、とにかく売りつくさなければ、というのはいらなくなっちゃう。

 

そういうことで慈しみに基づいて、われわれは人類を助けてあげるんだから、ご褒美をいただいているんだという感じでしょう。

 

商売に欲は関係ないんです。

 

たくさんサービスをする人には、たくさんご褒美が入るだけ。競争する必要もないんです。

思考を改革しない限り、わたしたちはずっと被害者で、いくら税金払っても、一般の人は助からなくなっちゃうんです【食品のこと・後編】に続きます) 

 

(関西定例瞑想会 2008.09.23

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/675065.html   音声ファイル:下よりメモしました)

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【目次】説法めも

 

*1:放射能・原発、いろいろな情報があるけど、どれが正しい?子供をどうやって守ったらいいの? より引用

4、子供をどう守ればいいか? 

これは、リラックスしてください。守れません。誰も守ってあげられない。我々はできることをやっているだけです。お母さんが子供に良いものを食べさせることはできます。でも大きくなって外で何を食べるようになるか管理できる? 自然災害はあるわ、病気になるわ、どうするんですかね。

お母さんは赤ちゃんが独り立ちするまで守ってあげれば十分です。独り立ちしたら本人がどうするかわからないんですね。肉体を心配するよりも、性格を心配してください。」

という2014年の説法があるので参考にして、ケースバイケースでうまく実生活に活用したいですね。