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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

「ぼっち」でも大丈夫。【善友とは?】

質問「 ”アーナンダよ。善友がいること、善友と共にいること、善友と交わることが、仏道のすべてである。” とお釈迦様がおっしゃいましたが、この意味を教えてください*1

 

回答(スマナサーラ長老)

 

自分に善き友がいないと泣いていないで、お釈迦様が善き友です。お釈迦様がいれば十分です。一人ぼっちにならない。

全部教えてくれる。自分の欠点を全部なくしてくれる。

 

そういうことで、善い友、善友(ぜんゆう)というのはブッダのことです。

 

腰抜けのような人々は、(お釈迦様を)拝んでしまうんですが、友達というのはそういうものじゃないんです。もっと親しいんです。直々に自分のことを心配して、いろんなことを言っているんだと。

 

ブッダはすごい、かなわない。比較するものじゃないという感じになってくると、言い訳が成り立ってきますね。「お釈迦様ができるのは当たり前。わたしたち俗人は……」という感じになるんです。

 

そうなると、一向に成長しない。そこをお釈迦様はカットしているんです。「友達だ」と。

 

それから善友が善い財産だよと言ったところで、人々は「それは分かりますけど、なかなかこの世の中ではね……。わたしの環境では善友は一人もいないんだよ」と言って言い訳する。これはできない、言い訳は成り立たない。だから、ブッダが善い友達なんだ、と。

 

そうすると最後の問題。「ブッダはもういないでしょう?」

 

それもお釈迦様は解決したんです。最後に(笑)

「わたしが亡くなってもね、教えたものがわたしだよ」と。

言い訳が全然成り立たないんです(笑)

 

今はブッダが涅槃に入られてから、2600年も経っているじゃないか、と言っても、「わたしが亡くなったら、わたしが説いて残した教えと生き方が、あなた方の師匠です」と。

だから、ぜーんぜん、言い訳が成り立たないんです(笑)

 

経典を手に取った、ということはブッダと会ったということなんです。

 

経典のスタイルもそれに適したふうにしているんです。(ブッダが)生でしゃべっているんです。経典はかなり長くなっちゃいますけど、だからいっぺんに全部読まないで、少しだけを噛みしめて読んだ方が、長さがそれほど問題にはならないですね。

 

経典はいつでも直接、自分の心に、ブッダがそばに座って語ってくれるんです。

 

保管@β関西活動報告 : 音声 '08-10月 過去08-7/20 経験者対象瞑想会の法話@アラナ精舎 音声ファイル・一番上の後半部分よりメモしました)

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【目次】説法めも

*1:

仏教講義 17.人とのつきあい方 (3)善友に勝る宝なし (No85)より引用

「Upaddham idam bhante brahmacariyassa yad idam kalyânamittatâ klyânasahâyatâ kalyânasampavankatâ 

善友がいること、善友と共にいること、善友と交わることが仏道の半分である。 

Mâ hevam Ânanda mâ hevam Ânanda. Sakalam eva hidam, Ânanda, brahmacariyam yad idam kalyânamittâ klyânasahâyatâ kalyânasampavankatâ. (Samyutta Nikâya 5,2)

 その通りではない、アーナンダよ。善友がいること、善友と共にいること、善友と交わることが、仏道のすべてである。」

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