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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

あれほど金をばらまくのならば、何で日本のホームレスの問題を解決しないんですかね?【転輪王4・最終回】

( 一億円のものを捨てて、百円のものを買う?【転輪王3】から続きます)

しっかり立ちなさい。独立しなさい。自分の幸福は自分で作りなさい、そうすれば大丈夫だと。人から幸福をもらうのは情けないんだ、と。

 

だから仏教は祈りには大反対ですよ。情けない。原始人もいいところだと。

だって、あれくれ、これくれと頼んでも、くれる? 

 

昨日、あまりいいところじゃないんですけど、トイレに行って、何か考えなくちゃと思い出したのが、テレビで見たことで、すごくたくさんの御馳走を作って「天にまします父親に感謝します」と。食事を与えてくれて、神に感謝しますと言って食べるんですね。

 

それで思ったのが、食いものいっぱいある人が神に感謝するのはいいんですが、もし食いものない人も、天にまします父親に、「今日はわたしに食べ物を与えてくれなくて、感謝します」と言うのも正しいでしょ? それも神のやったことだから。

 

あるいはゴミ箱から、カビの生えているパンを一つ取って、それを食べるホームレスの人が、「天にまします神様、カビの生えたパン一つをわたしにくれて感謝します」と言うのも正しいということでしょう。

屁理屈をどこまでやるんですか。現代人でありながらどこまでも屁理屈を言う。

 

結局は自分の腕次第でしょう。

ごちそう食べる人は、自分の腕でごちそうを食べているし、食べられない人も、やっぱり自分の腕が下手で収入が得られなくなっているんです。

そこで自分の義務が生じているんですよ。同じ人間が一人苦しんでいる。情けないんです、それ。人間として。

 

だから誰かが何か失敗してホームレスになったとしても、それはわたしたちにとって情けないことだ、とんでもないことだと。その人が立ち直るために、財産がある人、能力がある人が仕事しなくてはいけないんですよ。

 

要するに、あれほど金をばらまくのならば、日本のホームレスの問題を何で解決しないんですかね?

 

それは構いませんね。真冬でおじいさんたちが、酒ばっかりたくさん飲んで、苦しむのは、それは平気。

 

そういうことでブッダの世界とは、厳しいかもしれませんけど、厳しさと言うのは論理的なところなんです。別に人をいじめてないんです。

 

人はいくら言っても、いくら言っても、ダメな道しか行かないんだから厳しく言うだけ。人間のために語っているんです。幸福を語っているんです。

 

それも一部の人間にではなくて、一切の生命に幸福になる道を語っているんです。

それは一時的な幸福だから、究極の幸福、変わらない幸福、涅槃解脱まで語っているんです。

 

何で仏教は解脱を強調するのかというと、俗世間の幸福くらいは誰にでもできますよ。ちょっと頭を論理的に動かせば。

 

そういうことで、仏教は人間の幸福を語ると、幸福というのは自分で作るものであって、人からもらうものじゃないんです。

もらったものは返さなくちゃいけないし。もらうものは自分の希望通りのものをもらうわけにいかないし。ときどきみなさんもいろんな人からもらったりするでしょう? 家で要らなくなったからもらうんですよ。だからそれがぴったり自分に合うか合わないかは別でしょう。

 

人に服をあげるときは、その人は店に連れて行って自分にぴったりの服をくれるわけじゃなくて、家にあって自分が使わないが、まだまだ新品同様で捨てるのはもったいない、そういうものをくれるんですよ。ちょっと汚れがあるかもしれませんし、自分の好みに合わないかもしれません。

 

だから、くれる幸福には期待しない方がいいんです。自分で作る。自分が買った服は自分にぴったりなんです。

 

そういう世界が仏教で説かれているということをお話しして、わたしの一方的な話は終了します(笑)

皆様、聞きたいことがあったら(定例瞑想会にて)聞いてみてください。 

(終わり)

 

関西定例瞑想会 2008.11.16 スマナサーラ長老法話

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/717080.html 音声ファイル・上よりメモしました。

 

転輪王・初回をもう一度チェックする⇒ブッダの貧困対策とは?【転輪王1】

 

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