質問
「最近、自分が年を取って色あせてきたなと考えて、若い人がまぶしかったりするんです。なんか年を重ねていくということで、自分が後ろ向きになっていくんですけど、どんな考え方をしていったらいいでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
瞬間、瞬間、誰だって年を取っているんだと観察しなくちゃいけない。
それで自己愛をなくさなくちゃいけない。
その理由はね、わたしたちはなんか、錯覚に、幻覚の中に生きているんですね。
年を取ることを忘れちゃっていつでも二十歳気分でいる。これなんかおかしいんですね、病気ですね。
だからその病気を治すために、「瞬間、瞬間、年を取っているんだ」と観察しなくちゃいけない。
特に自分より年上の人を見たら、「わたしもこうなるんだ」、いえ、「わたしも」じゃなくてね、「この肉体もこうなるんだ」と。ヨロヨロと歩いている人や、歩行器を使って何とか歩いている方々を見て、「この肉体もこうなるんだ」とみて、傲慢と頭の幻覚をなくす。
これがステップ1。もう一つあります。
わたしたちは年取ったと気づくときは、どんなとき?
過去を思い出したときなんですね。
過去をよみがえらせて、悩んだり苦しんだりする必要があるのかい? と。
現実的には、過去は存在しないし、将来は存在しない。あるのは今の瞬間だけ。今の瞬間、明るく、心配しないで生きていなきゃ損するんですね。
そこに過去が割り込んでくると、ぐちゃぐちゃハチャメチャになって、今の瞬間を失敗するんですね。将来が割り込んでくると、今の瞬間を失敗しちゃうんですね。
今、幸福で穏やかで慈しみにあふれて、今の瞬間を生きてみる。
「今の瞬間、わたしに何か問題あるのかい?」と観てみると、大した問題はないんですね。今の瞬間だけなら。それに過去が入ってくると、いっぱい問題があるんですね。存在しない幻覚と比較すると、いっぱい問題がある。あるいは存在しない将来と比較すると、いっぱい問題がある。
これから先10年どうしましょう? と考えるといっぱい問題がある。解決できない問題です。では、今の瞬間は? 大したことない。
だから人間というのはヴィパッサナー瞑想をやって、今の瞬間を生きる能力が付くんです。
それでいつでもすごく穏やかにいるんです。
今の瞬間が何なのか見ると、結構面白いんです。
寒くて震えている状態で、家の中と比較すると苦しんです。そうではなくて、今の瞬間が何なのかと観てみると、この寒さは何なのかと観えて来て、そこが面白くなってくるんです。
病気になって落ち込んでいるときでも、「今の瞬間は何なのか?」とじいっと観てみると、ものすごく面白くなるんですよ。
そういうわけで悩みが無くなります。悩む理由が無くなっちゃう。だって「今」しかないんだから。
現実離れはしない。それが二番目のポイントですね。
老いに対しては二つの立場で見たほうがよろしいと思います。
一番目は、できるだけ客観的に、二十歳くらいの写真を見て「わたしも年取った」と悩むことはベースにならないんです。病気だけね、その場合は。
世の中見ると、目の前で、年取って死んでいく人々が見えてくる。
その人々を対象にして、「この肉体も同じことだ」とそれが老いを観察する瞑想なんです。
いつでも現実離れはしないんです。
「昔は体力があったけど、今なないんだ」「昔は食欲があったけど今は…」それは病気ですね。そんなこと考えては瞑想にならない。
そういうふうに老いを観察する。
それから、「今の瞬間を生きる能力」を身に着けてもらうこと。
(関西月例冥想会 2015.3.8
https://www.youtube.com/watch?v=RYXeW3eH01w 53:20~1:01:20よりメモしました)
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