ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

次々と犬が捨てられて殺処分に…どうすればいいんですか?【社会活動のやり方】

質問「わたしは動物が好きで、保健所のワンちゃんを引き取ったりしています。

次々と犬が捨てられて殺処分になっているんですが、わたしの手には負えなくて、引き取り手のないワンちゃんがどんどん殺されています。

それをどうすればいいかと日々考えているんですが、どう考えて対処していったらいいんでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

適当にやってください。

世の中の問題をあなた一人で解決できるわけないでしょう。

いつだって世の中はあらゆる問題を抱えているし、人間と言うのは何をやってもうまく行かないでしょう。

 

犬を飼うとかね。これ自体おかしいでしょう。自分の好き勝手で、欲で、犬を飼う。それから自分の都合で「めんどくさい」と思ったらへっちゃらで捨てる。そこで問題が起こるんです。

 

それからいろいろ、他の動物たちもそうやって飼って、あとから放り投げたりする。それで日本の自然環境も破壊してしまう。川に、日本にもともといない魚を放したりとかね。

 

珍しい動物も、小笠原とか、他から動物を入れちゃっておかしくしちゃうんですね。他のところでも、オーストラリアでもやってしまったし。

 

人間の頭が悪いということはどうすればいいんですかね。あんた一人で人間の頭をきれいにする? 

 

他の問題どうですかね?

何でも同じことでしょ。

じゃあ教育はどうですか? ハチャメチャでしょ。

政治はどうですかね? ハチャメチャでしょう。

経済は? 

 

何もうまく行ってないでしょう。

医学は?

 

そういうことだからね、人間は真理は知らないし、慈しみもないし、完璧に頭が悪いんだからね。何のために生きるか、何をすればいいかとさっぱりわからなくて一人一人やっていることだからね、何一つうまく行かない。

 

じゃあ料理はどうですかね?

美味しく食いたいということで、体に栄養になる食べ物を料理して、料理して、ものすごく体に悪い食べ物にして食べちゃうでしょう。

食べるとき美味しいんだけど、食べてからどうですかね。

 

そういうことだからね、全体的な問題です。適当に自分の力の範囲で頑張るしかないと思いますよ。

どんな問題にしたってもね。

一人一人で頑張った方がいいんですね。

やっぱり祈りよりはね。日本では子供は殺されるわ、ときどき女が子供を育てられませんと言って、子供を道ずれに自殺するわ……。そういうふうにこの豊かな日本でもね、食べるものがロクになくて、困っている人もいるでしょう。

それはみんなへっちゃら。

 

そういうことですから、自然を守るべき、動物を守るべき、子供たちを守るべき。

 

そんなことたくさんありますよ。やらなくちゃいけない仕事というのはね。

だから人間の能力はいろいろだから、一人にすべてできるわけじゃないし、みんな頑張ったからといって、社会の問題は解決しませんしね。あの頭ですからね。黙っているわけにはいきません。

 

誰でも自分でできる範囲で、何か社会のために、動植物のために、人間のために、できる範囲のことをすればいいんです。

それ以上は余計な妄想過ぎて、困る必要はないんです。

 

日本のすべての犬の面倒を見る。じゃあ、日本だけですかね? そういう問題がある。

 

わたしが知っているのは、インドだけですね、犬の問題がないのは。この前インドに行ってきました。

 

理由は、「誰も犬を飼ってないんです」。でも、犬はいっぱいいるんです。人間がいるところに犬が必ずいる。誰も犬を飼ってないんです。捨てた犬でもないんです。自然な犬たちなんです。

みんな結構太っていて、野生の犬なのに、全然狂暴でもなんでもない。人間に迷惑かけることもなく、人間のそばにいる。だから問題ないんです。

 

つまり解決方法は、犬を自然に返すしかないんです。完全に解決したければ。

動物を飼うことは一切やめたほうがいいんです。飼った時点で自然破壊で、生命に対して不親切なことが起こるのは避けられない。

 

なんでわれわれは動物を買うのかと言うと、われわれはわがままでしょ。飼った時点で生命の尊厳がなくなっているでしょ。

たとえば、世界中で食べるために牛を飼っているし、豚を飼っているし、鶏を飼っているし。何の尊厳もないでしょう、その動物たちに。ただ品物扱い。それでちょびっとだけ病気になっちゃうと、二十万匹でもさっさと殺すでしょう。それはどうですかね?

 

英語だったらCullingという別の単語を使っています。すごく残酷な単語です。Killingという言葉は使わないんですね。つまり生命として扱ってないんです。

Cull(カル)とKill(キル)ですから、発音だけ聞くとたいして違いがないように感じますけどね、かなり意味は違います。

 

日本でも鳥インフルエンザになっちゃうと、偉そうに隔離して殺して、えらいこっちゃなんですね。

いかに人間だけを守るかという、残酷な生き方でしょ。

 

わたしが言いたいのは、一匹の動物を飼った時点で自分が自然環境も侵しているんです。わたしも動物は好きなんですけど、自分で飼おうとはしない。動物が来て勝手に住み込んだから、全く自由に平等に住まわせてあげるんです。面倒見てあげて、そちらの自由は全然奪いません。

 

これまでのわたしの人生で、いろいろ動物が来て勝手に住んだりすることもあったんです。大学生のときはね、リス一匹が来て、勝手に住んでいるんです。

わたしは何のことなく、リスは餌を求めているんだから、ご飯をあげて、リスが野生に戻りたいときは野生に戻るし。わたしが家の中にいるならば寄ってくるし。わたしにご飯があってご飯をあげたいなぁと思うときは、こいつはどうですかと、リスに名前を付けたんですけど、名前を呼んだら、遠くから来ました。リスの群れの中で、その子だけが名前を呼ばれたことに気づいて、たったったった、と来るんですね。それで餌をもらって、遊びたければ帰る、わたしと一緒にいたければ家の中に入る。自由なんですね。

 

わたしにとっては迷惑でしたけどね。わたしは大学生だったから、徹夜して研究したりするし、たまに休みがあったら昼寝したいんですね。しかしリスは昼寝させないんですね。

耳は噛むわ、指は噛むわ(笑) 蚊帳を吊っている紐を噛んで、ドカンと体の上に落としてくるし。もう勝手にしなさいと(笑)

 

いろいろ文章書いているときも、肩から腕を伝って右手まで来て、握っているボールペンを踏ん張って引っ張るんですね。男の子だからすごい体力。それでわたしはもう、痛いんですね。リスは口でボールペンを引っ張って、とにかく取っちゃう。取って、屋根のどこかに置いておく(笑)

 

だから、そちらはそちらの世界で、遊んでいるんですね。人間の立場からすればいたずらですが、リスの立場からすれば、ただふざけて遊んでいるだけ。

 

動物を飼ってはいけないではなくて、動物も生命だから、それなりに生きる権利があるんですよ。

 

人間が自然をこわなさいで余計なことをしない方が、もっと穏やかに、バランスがある社会が成り立ちますからね。

 

微生物さえも必要でしょう。この間テレビ番組があって、おなかの中に一キロくらいいるんだって。それはとても大事ですよ。あらゆる体のことをコントロールしているんです。微生物はそんなこと考えてないんだけど。微生物は微生物の自由で生きているだけで。しかしそれによって細胞をちゃんと維持管理できている。それを人間の欲望でわがままで偏見で、壊す。

 

たとえばペットとして飼う動物も決まっているでしょう。それは人間の偏見なんですね。犬猫はかわいい。他の動物は気持ち悪いとかね。なんだこれは。

 

そういうことだから、慈しみは犬だけでなくすべての生命に優しくしなくちゃいけない。すべての生命がいてわれわれは生きているんです。

 

あんまり行き過ぎはとても危険なんですよ。

 

あなたみたいに、犬のことばかり心配しちゃうと、他の人間に対してすごい怒り憎しみを抱く羽目になるんです。「なんでこんなことになるのか。なんでこんなかわいいのに殺すんですか」と。

 

結局、せっかくいいことをやっているのに、たくさん罪を犯しちゃうことになるんですね。

やったいいことと、その罪を比較してみれば。人間を恨んだらとんでもない罪でしょう。犬や動物は寿命が短いし、誰だって死ななくちゃいけないし、それは殺される場合もあるし、人間も殺されて死ぬ場合もあるし、病気で死ぬ場合もあるし、いろいろ。だれかに食べられて死ぬ場合もあるし、それは自然の法則で、誰かにストップすることはできません。

 

無数の動物たちは食べられて死ぬでしょう。寿命を全うすることはできないんですね。

 

魚たちはどれくらいの寿命かと分からないでしょう。食べられちゃいますから。

 

本当に飼ってみると、ものすごく仲良くするんですよ。

 

ですから、殺されて食べられても寿命が終わったりする。人間は食べられることはないんだけど、でもウィルスに感染して死ぬ場合は、結局ウィルスに食べられているでしょう。

そんなもんなんですね。

 

われわれはスタンスを間違ったらダメなんです。

しっかり落ち着いて物事を考えて世の中はこんなもので、頑張っても直るものじゃないと理解して、だからと言って手をこまねいて待つわけにはいきません。

 

たとえば、子供がいる。勉強は嫌い。だからと言って、親が「うちの子は勉強が嫌いだから放っておきます」というのは、ちょっとねぇ。親として勉強させる努力はする。だからと言って子供が勉強するかと言うと、それは分からないんですね。

 

そういうことで、学校の先生は教えなくちゃいけない、しかし、生徒が学ぶかどうかは分からない。

 

自分が腕を組んで待っているんじゃなくて、何かしなくちゃいけない。

何かしたんだからと言って、この存在の中に有る問題は解決できません。

 

そのまんまなんです。

 

たとえば、平和活動がどのくらいありますか? しかし一度たりともこの地球に平和があった? なかったでしょう。

 

じゃあ平和がないんだからしょうがないや、勝手に殺し合いをやりなさいと黙っていていいんですかね? それも良くないでしょう。戦争反対と運動しなくちゃいけないんです。原発反対と運動しなくちゃあかんです。

 

原発反対」と言っても、原発持っている連中がそれを捨てる? 捨てません。だからと言って、声をあげておかないと、なおさら悪いでしょ。

 

そういうことで、問題をきれいさっぱり解決する、と言う態度が良くないんですね。

 

分かりやすく言えば、末期患者のホスピスでお医者さんがする仕事のようなものなんですよ。

医者ですよ。ちゃんと治療しています。でも患者さんは末期ですからね。問題解決できません。

呼吸困難になったら対処してあげる。すごい痛みで苦しんでいたら何か麻酔をしてあげる。そういう感じで亡くなるまで面倒見てあげる。しかし、ホスピスの患者さんの問題解決は不可能でしょう。

 

われわれの世界はそういうようなものなんです。解決は不可能です。

 

だからと言って、腕を組んで待つわけにはいきません。

あらゆる社会活動、あらゆる福祉活動も欠かせないんです。

人間が自然破壊したんだから、人間に自然を守る義務があるんですね。動物にないんです。動物は自然破壊していないんです。壊したのは人間だから、後処理する義務があります。

 

犬猫たちも結構人のことを心配しますよ。他の仲間のこととかね。自分にできる範囲で。

 

こたえはそれだけなんですね。

ほどほどにやってくださいなんですね、答えは。

 

自分に管理不可能なところまで悩むと、あなたの心が汚くなっちゃって悪くなっちゃって、せっかくやっているいいことから、あなたが得られるべき安らぎを得られなくなっちゃうんです。

 

ですから、やりすぎはやめなさい、なんです。精いっぱいやる。犬三匹飼えるなら、三匹までにしてください。これを五匹にしちゃうと、やりすぎなんです。

 

だから、お釈迦様なんですね。人類の苦しみ、人類の悩み。生命の苦しみ、生命の悩みはこのままで直りますかね? これは決して直らない。だから、自分で王になっても意味がないんだ、と。ただ狭い範囲で、釈迦族の面倒は見られますけど、インドは国一つじゃなくてたくさんあったんだから、政治家が何かやっても大したことはできないでしょ。政治家には。

 

そちらに問題があるんじゃないんだと。仏教では「生老病死」と言う言葉を使って説明しているんですね。

生老病死だったら、これは永久的にある問題でしょ。それに関連して他の問題が起きるんであって、根本的な問題は生老病死なんです。

 

それから寂しいや、あれやこれや出て来てトラブっちゃうだけで、生老病死の問題を解決するんだとすべて捨てて出家して、道を発見したんですね。問題はここにあるんだと。自我の錯覚にあるんだと。存在欲にあるんだと。存在欲があって、自我があって、わたしが生きていきたいという、それ以外何も見えません。

 

だからこの、存在欲をすてなさいよと。わたしが見ても、「わたし」、と言うのは存在しないんだよ。

それは「ウサギの角」が美しくなりますように、と願うことと一緒なんですね。ウサギの角が美しくなりますようにというのは、ただの空(から)の言葉でしょ。なぜなら、「ウサギの角」という主語が存在しないんです。ウサギが美しくなりますように、と言ったら、ウサギがいるんだから何とかなります。髭剃ってあげたりとかね(笑) あるいは、何か色を塗ったりとかね。

 

「存在しないもの」=「わたし」が生きてきたい、というのは無知だよと。

 

ちょっと調べなさいよ、と。調べたら、自我が成り立たない、錯覚と言うことが分かって、そこで存在欲が消えちゃって、その人は完全に解決、一切の問題は消える。

それで、次の人にも、次の人にも教えてあげる。

それしか方法がないんだ、というのがブッダの教えなんですね。

 

(関西月例冥想会 2015.3.8

https://www.youtube.com/watch?v=RYXeW3eH01w(最初~26:40まで)よりメモしました)

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