このブログでは現在のところ、介護についての「説法めも」がないことに気づきました。
そこで、ゴータミー精舎瞑想会でのスマナサーラ長老ご法話 - ひじる日々
にちょうどよい記事を見つけたので一部引用します。
Q:ガン患者への対応。(親族を)介護する人の心構えを教えてください。
長老:まずみなで仕事を分担してやらないといけない。元気な人はみな何らかの形で介護に参加しないといけない。家族親族だから、交代しながら分担しながら、協力しあって生活することが大事です。それでずいぶん楽しいし、そのための家族・親戚でしょう。
何か問題があったら協力する、なにかあったら頼めるというのが、家族親族の環境でしょう。仕事を分担して、きょうりょくしてやる。そうすれば誰のことも心配しないですむ。
介護というのは特別な問題ではない。いつでもあることなんです。特にこれからの日本は介護は重要な問題でしょう。社会が「自分だけいいや」という風潮になってしまって、社会そのものを壊してしまった。
金がかかるから子供はいらないとか、そういう思考でやってきたツケが重くのしかかる。少子化で、親の介護問題が起こると手に負えなくなる。子供作らなかったからと言って金の余裕があるわけでもない。おかしな環境です。本当は、日本は経済大国ではないんです。ぎりぎりで生きてる。
それはおいといて、人はガンになります。年老いたら介護必要になります。いま起きた問題ではない。昔からあったことです。皆様方は、娘の結婚式だというと大騒ぎして準備する。家族行事でしょう?介護や看病もまるっきり同じなんです。
おじいさんおばあさんが倒れたら、介護しないといけない。それで家族の行事が一つできただけ。結婚式の準備と同じように、楽しい出来事として、行事をやればどうでしょうか?癌になった人にどんな顔をみせればよいかとか、おかしな話です。あなたも癌になりますからね。
ふつうに家族として接すればよい。普通に話せないのは認知症になった時ですけど、それでも相手の話に合わせれば良いし。ふつうに、家族が引っ越しするようになったとか、結婚するとか、それと同じ気分でやれば。
介護という言葉も使わない方がいいんです。私は差別用語だと思います。単純な家族行事ですよ。気持ちが変われば、私が言っていることが本当だと思うでしょう。病人の面倒みることはすごく楽しいことなんです。充実感があるんです。大事なことしてるんだという気持ちが生まれる。
たいへんな充実感がうまれる。それが本当の楽しみなんです。ですから介護は家族行事と観ること。それから、一人がつきっきりというのは出来ない。人それぞれ仕事や義務もあるから、交代して分担して行うこと。そういう管理能力が必要な家族行事なんです。
全文は、ゴータミー精舎瞑想会でのスマナサーラ長老ご法話 - ひじる日々 をチェックしてみてください。
わたしも闘病中の家族がいますが、長老の(テーラワーダ仏教の)話を聞いているうちに、あまり深刻に悩まなくなりました。
あくまでゆっくりとした変化ですが。
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