(感動の表と裏【不善心所・ローバ 2】から続きます)
じゃあ、ひとつついでに、ジャータカ物語を言います。古いものだから、ぴったし現代状況に合わないかもしれませんが。
ジャータカ物語は、お釈迦様の過去世物語です。
そのお話の中でお釈迦様が、菩薩が修行して禅定に入って亡くなられて、梵天に生まれるんです。梵天に生まれたら、1500~1800劫年ですね……。劫っていうのは宇宙の時間なんです。宇宙が一つ、現れて消える時間は「一劫」と言います。
お釈迦様は梵天で1500劫年くらいいて、徳のパワーが尽きちゃって、それで人間に生まれたんです。
王様の一人息子として生まれたんです。しかし、梵天にいた時間はけた違いに長い。人間の寿命は100年ですが、梵天では1500劫年です。梵天では、全く欲がない、禅定の喜びで、無欲の喜びでいるんです。
生まれたお釈迦様は、全く欲がない。無欲の喜びでいるんです。
生まれたその子は、全く欲がない。
人間になったんですけど、なんだこれ、と言う感じで。そこで母親や乳母が近寄ろうとすると、ものすごく泣き出すんです、嫌で。
梵天では、女が生まれても男が生まれても、性的な世界がないから、別な存在なんです。女の人が近寄ったらその子は脅える。でもおっぱいを上げなくてはならない。そこで、お世話をする人たちが男装することにしました。ひげを付けて男の服装で、おっぱいを上げたりするんだ、と。
すくすく大きくなるんですけど、欲はまるっきりない。
王様も困っちゃって。どうしようかと。結婚しなかったら大変なことになる。しかし王子は「俗世間には興味がない、興味がない」ばっかしで。それで大人たちが、「年頃になりましたし、そろそろ皇太子にならなくてはいけないし。勉強は終わっているし、訓練は終わっているし」と。
父王が亡くなって、本人が王にもなるんです。しっかり政治をやりましたが、本人に欲がないからみんな困っていて、なんかカラクリをして、王に経験させたんですね、強引に。かなり長い間、経験したことはなかったから、驚いちゃって、
「こんなすごい感動はあるんですか!」と。
そうしたらみんな、「そうなんですよ」
王「あなた方も毎日やっていること?」
家来たち「ほぼ毎日やっていますよ」
それでどうなったかと言うと、「これくらいの喜びをね、こいつらはわたしに言わないで、隠れてやっていたんではないか」と思って、刀をもって、男ならみんな首を切る。男を見ると腹が立ってくるんです。そんなに頭がいかれて、もう大変だということで、みんなが集まって王を追い出したんです。
その王は、女なら全部自分のものにならなくてはいけないと思ったんです。あれほど女性嫌いだったのに。
「国の幸福は王様のものである、一番最高の幸福は俺のものである、お前らにあげるもんか」と。
そんな王様でも、王だから殺すわけにいかないので、追放したんです。
王は、自分が何をやったのかと考えました。性欲で頭がいかれたんだと。それで国から追放されて森に捨てられたんだと。もう二度と人間の社会に戻れないんですね、結局は。
これはひどいことだと、以前の気持ちを思い出して、森の中で修行して、禅定を作って梵天に生まれ変わった、という物語なんです。
この物語で言っているのは、感動することには裏がありますよ、ということです。
品がないものに感動すると、それには裏がありますよと。
だから副作用のない、純粋に善である感動だけ、智慧と理性のある人はやりますよ。
(自然は見事に整理整頓しています。仏教的な生き方は、整理整頓して生きること【不善心所:ローバ 4】に続きます)
最初の記事をチェックする⇒感動することもイケナイんですか?【不善心所・ローバ 1】
(関西定例瞑想 2008.04.20
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/560930.html 音声ファイル:真ん中よりメモしました)
関連エントリ:
thierrybuddhist.hatenablog.com
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参考外部リンク:
ジャータカ物語の本: