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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

「龍樹」ーナーガールジュナはインドで何をしたのか?-

質問

「ずっと哲学を勉強していまして、途中でインド哲学に興味を持って、龍樹にすごく興味を持ったんですけれども……。

龍樹の言っていることを自分なりに理解したつもりなんですけれど、龍樹自身が最期は自殺したと本で読みました。

スマナサーラ長老が龍樹の一部分について批判されていると聞いて、それがどういうものかお聞きしたいです

 

回答(スマナサーラ長老)

 

龍樹が自殺したというのは噂だと思います。

そんなにしっかりとした史実はないんですよ。龍樹が書いた本は一つか二つしか残ってないし。のちの人々は彼をものすごくほめたたえたりするんだから……。

ま、それも仕方がないと思います。インド哲学史では、龍樹ほど大胆な思考を提案した人はいないんですよ。だから一般的に、学問的に見れば、すごいことを教えた人なんですね。そういうことなのでほめたたえてしまうのは仕方がないことです。

 

しかしお釈迦様がいなければ彼に何もできんでしょう。

お釈迦様がおっしゃった因果法則から、彼が一つ取り出して哲学体系にしたんですね。それ自体が、お釈迦様が「やってはあかん」と言っていることなんです。

ブッダの教えというのはすごい膨大で、真理そのものなんですね。それをある角度で一つだけ取り上げて、ギャアギャアと言ってはならない。その時点で偏見になりますよ。

 

わたしも彼の知識はものすごい、とんでもない知識人だと思いますよ。でもブッダが批判してた極端に走ってしまったんですね。なんでそれに気づかなかったのか? あれほど頭が良かった人間が。もっとくだらない脳細胞を持っているわれわれが気付くのに。

 

わたしも龍樹のファンでしたけどね。

わたしの大学の先生たちから、ちょっとけなされちゃったんです。「おまえね、もうちょっと勉強しろ」と、そういうふうに言われた。

なぜならば、先生たちの話よりもわたしが論文を書いたなら、かなりレベルが高いんですね。それにはちゃんと点数をくれましたけど、わたしが龍樹を讃嘆してほめたたえて、この人にかなう者は存在しない、とかそういう感じで分析したことがありましたけど、先生は「もうちょっと勉強しろよ」と(笑)。

そういわれて、その時は分からなかったんだけど、どんどん勉強していくと、やっぱり、まぁ……(笑)考えが変わっていくんですね。

どうでもいい話、役に立たない話になりました、わたしも。自分で気持ち悪くなってくるんです。

 

そんなわけで、龍樹が極端に走りました。

わたしが批判するポイントは、相対論を持ち出して、彼がすべて「空(くう)」であるとしたこと。

世界で初めて相対論を持ち出したんだからね。でも本当はお釈迦様が教えたものです。

 

これがあるから、これがある。これがあるというためには、「これ」がなくては成り立たないし。ということで、すべては相対的である、実態は存在しないんだと。独立して「これがある」とは言えないという哲学的思考で発展したんです。

 

それをブッダの無我の説明で、無我の代わりに「空(くう)」という言葉をいれたんですね。

何でお釈迦様が「空」という言葉を使わなかったのかというのは、理由があるんです。

 

お釈迦様は「空」という言葉を相対的に使っているんですね。使ってないわけじゃないんだけどね。実態がないゆえに空であると。実態がないというためには相対的に物事があると理解しなくちゃいけないですね。

 

だから「空論(くうろん)」になったところで、本当に文字通りに空論になってしまったんですね。

 

それは仏教的ではない。龍樹はブッダの道から脱線しちゃったんですね。

仏教は)どちらかというと、実践編なんですね。頭でっかちで「物事は相対的だ」と思うのはいいんだけど、脳はそう働かないんですね。眼耳鼻舌身意というのは物があるという間違った前提で認識しているんですよ。だからそれをなおさなくちゃいけないんですね。

空というのは頭で理解するものではなくて、修行して体験するものなんですね。

 

それはないでしょ、あの人の哲学には。

実践があって仏教なんですね。

お釈迦様は実践がない教えというのは何の意味もないんだと、ものすごく批判していますよ。

すごく勉強して、巧みに論を組み立てて巧みにしゃべっても、くだらん、そんなものはと。

 

だから一行だけでも真理を知った人がそれを実践するならば、それにはかなわないんだよと。

 

そういうケースをいくつか、経典でわざわざ記録しているんですね。

ブッダの時代に、すごく頭の悪いお坊さんがいて、おじいさんなんですけど、ほとんど何も分からない。一つ二つくらい自分に教えられたものだけしか、できない。その人はしっかりと修行したんですね。それで悟りに達したんですね。だから、一応自分の仲間にコソコソッとね、自分が心は晴れました、ということを言ったんです。

本人が自分に教えてくれた人や仲間に打ち明けただけで。

 

一人の人が悟ったということはブッダの世界では真剣に考えるポイントなんです。

これは本物でなければいけません、勘違いしたら仏教そのものが壊れるんだから、と。それでチラチラっとその話が漏れてしまって、あるお坊さんが、超学者なんですね、お釈迦様が教えたことは暗記しておいて、説法の達人で、誰にでも教える。

 

そこで「あのアホが悟ったというのはけしからん。仏教のことを何も分からないのに。行って調べるぞ」と、いろいろな専門用語を出して悟ったというお坊さんに質問するんですね。

 

するとそのお坊さんは「分かりません」と(笑)

 

学者のお坊さん「あなたにはあれができますか? これができますか?」

悟ったお坊さん「あまり分かりません……」

それで悟ったお坊さんを責めるんですね。

 

悟ったお坊さんがいうのは、「わたしは、ある智慧が分かって解放されているんだよ」と。

 

そこにお釈迦様が割り込んで来て、お釈迦様が質問し始めたんです。

そしたら、阿羅漢になったお坊さんは淡々と答える。お釈迦様の質問には自分の経験がなければ答えられないんです。勉強だけしたお坊さんはさっぱりわからない。じっと黙っている。

 

お釈迦さまが、「あなた、答えられますか?」

学者のお坊さん「……」

お釈迦様「あなたは?」

阿羅漢お坊さんは、答える。

 

それでお釈迦さまは学者お坊さんを叱りました。

「おまえ、いい加減にしろよ。頭でっかちは何の意味もないんだ。このひとは本当に真理に達しているんだ」

とお釈迦様がハンコを押して、それで有名になってしまっちゃったんですね。

 

Paññāvimuttassa(パンニャウィムッタッサ)というのはお釈迦様が提案した単語で、単語がないと知識で理解できませんからね。

(意味は)智慧によって解脱に達した、と。

智慧だけなんです。瞑想の経験はないんです。

だから、第一禅定、第二禅定、そちらの経験とかね、あれやこれやと聞かれても「ようわかりません」と。「自分が知っているのは世の中は無常です」と。

 

(学者お坊さんは)「物事は無常っていうのは誰でも知っているんだぞ」という態度なんですね。物事が無常というのは、経験した人と(知識だけの人と)は、ものすっごい、違う。

 

はい、そういうことだから、この龍樹は、それから自分ではちょっとしまったことをやったと気づいたんですね。

それから実践方法を何か書かなきゃいけないと頑張ったんですけど、うまく行かなかったんですね。なぜならば、彼の「Mūlamadhyamaka-kārikā(ムーラマーディヤマカ・カーリカー)」(日本名『中論(根本中頌・こんぽんちゅうじゅ)』)というテキストが傑作で、それにかなわないんですね。傑作ができたら次に書くものはそれ以上立派にならないからね。

 

だからいまだに龍樹の哲学が生きていて、彼が一生懸命提案した実践方法というのは誰もしらないでしょう。

 

自殺したとかいうのはあり得ないと思いますけどね。悩んだことはあるかもしれません。自分が仏教を応援しようと思ってかえってダメージを与えたんじゃないかと。それは個人で悩むんであって誰も仏教の歴史の中で、そこを分かってないし。

ダメージを与えたんだけど、だからといって断言的にそう言えないんですね。すごい考えを提案したんだからね。

龍樹に対して、龍樹の間違えがあったんだから唯識論というのが出てきましたし、あれはあんまり成り立たないんですね、唯識論は。龍樹の間違えに気づいたんだけど、それに対して「識のみだ」と言ってもね、それは成り立たないんです。

 

まあそんなところかなと思いますけど。ただわたしにしてみれば、どうったことはないし。

 

高度な哲学ですから勉強するのはいたって簡単ですね。西洋人の思考よりはしっかりと整理整頓されていますから、勉強するのはいたって簡単です。哲学っていうのはインドのものだからね、西洋にはそんなに高度な哲学思考はないしね。

 

彼(龍樹)のせいでインドから仏教は消えてしまったんです、跡形もなく。

彼の思考パターンをパクってシャンカラという人がね、不二論(ふにろん)を組み立てたんですね。バラモン人が不二論を組み立ててこれこそ哲学だと言ったとたん、インド人というのは金がある方に行くんだからね。口先だけで偉そうなことを言って生活は最低ですからね。

 

だからまあ、われわれの世界ではこんなすごい教えがあるんだから、不二論*1

を分かってないだろう、仏教の人たちはと。実際は仏教を盗まれたんですけど。

  

それで結局は実体論に戻って行ってしまったんですね。だから歴史的、政治的にいろいろ問題があって仏教が衰退するのは時間がかかるんだけど、仏教というのは智慧の世界だから、そこを壊しちゃったんですね。だからヒンドゥー教の優れた哲学者と、なかなか対論できないんです。だってわれわれ持っている理論を、同じように持ってくるんだから。シャンカラの考えを。

 

インド哲学仏教哲学を勉強する場合は、われわれが思うことは、仏教を破壊したのはね、龍樹のせいだと。ま、(実際に)破壊したのはシャンカラですけど。

 

シャンカラが龍樹の教えをそのまま盗み取ったんですね。だって龍樹の本は仏教徒の間でしか使わないし、大乗であろうがどの仏教徒も修行しているんだから、修行している人にとっては「別に」という本なんですね。だから仏教徒の間でも、そんなにガチャガチャいう本じゃないんです。一つ読んだら「あ、分かりました」と終わりますから。

 

それでシャンカラの本がドカンとヒンドゥー教の知識人の間で広がってしまって、それで戻らないようになってしまった。いまだにインドで仏教が復活することは不可能です。いまだに。

 

そういうことです。

 

スマナサーラ長老法話 2015.4.4 法話めもより)

 

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頭上にナーガをいだく龍樹(出典・Wikipedia

 

関連エントリ:

龍樹と不二論 - 思考ゲームは相対的。『因縁』を学んで現実に幸福になる。

 

すべての「説法めも」を読むには:

【目次】説法めも

*1:

不二一元論 ⇒ 不二一元論 - Wikipedia 

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