(思考の方法【脳と心の関係】前編より続きます)
わたしがドーキンスさんに出したい質問は、「なんで遺伝子が分離するんですか?」と。
遺伝子だけ続くぞと彼が言っているでしょ。ただの化学物質がなんでそんなにくだらんことをやっているんですかと。それに答えはないでしょう。
物質なのに自分をコピーするんだと。それが生命であると。なんでコピーするんですかね。
お金も物質でしょ。それもコピーしてくれればありがたいんだけどね(笑)
勝手に(お金みずから)コピーしてお金を増やしてくれたらありがたいんだけどね。
なんで遺伝子だけ自分でコピーして増えていくのか?
そこは説明できないでしょう。そこでヨーロッパ人に聞けば、「そこが神だ」というんだけど、これも証明ないものでしょう。
仏教から見れば落ち着かないんですよ、遺伝子が。そのままでいられないんです。
遺伝子が組み立てられてできた瞬間から、そこにいられない。すごく不安になってグニャグニャになって、ものすごい働きが核の中で起きている。それで分かれちゃいますね。分かれたらもうどうしようもない。別のものと繋がっちゃいます。
そこでものすごく不安定というエネルギーが働いているでしょう。それってエネルギーですからね。
心というエネルギーなんです、結局は。
だから単細胞にも心があるんです。
脳が心だと言っちゃったら、脳がない生命は何ですかね? モノ?
われわれは、単細胞もわたしたちと同じ生命だという立場なんですから。そこで心のことを説明していますから。認識する働きは心なんです。だから、どうも物質は突然、環境を認識しちゃうんですね。アメーバが環境を認識するって言ってもわたしたちみたいに「ああ、今日はあったかいな」とか「晴れてるな」という認識じゃないです。もっと根本的なんです。
アメーバは環境を認識するから分解するんです。自分の体を認識するから餌を取るんです。じゃウィルスはどうですか? あれは肉体から見れば不完全でしょ。だって遺伝子をしっかり持っていないから。ほかの細胞に入り込まなきゃ生きていられない。なんでそんなに生き続ける必要があるんですかね?
われわれの体の中にウィルスが入ってくると、細胞の中に入り込んじゃって細胞を破壊して自分に欠けている部品は細胞から奪い取る。だから生存競争って激しいでしょう。ウィルスはウィルスで頑張っちゃうし、体も負けてたまるかと。すごい攻撃しているでしょう。
それに脳は関係ないでしょう。
われわれの体で常に起きている強烈な戦い。今も無数の細菌にさらされているでしょう? からだの40兆の細胞たちがものすごい頑張って、軍隊まで持っているんだから。脳と関係ないでしょ、それは。われわれの免疫システムは軍隊でしょ。だから体も必死でプログラムを組む、新しいたんぱく質を作る、日々変わっていくんですね。それと脳の関係はあるでしょうかね?
ということで、西洋、現代科学っていうのは一部を研究する世界だからね。
それで全体的な結論に行かないでください。一部はしっかり学んでください。体は嘘を言っているわけじゃないんだからね。調べて言っているんだからね。
この先生はこういうふうに言っている、この先生は……と合わせて何か哲学を作ることは不可能です。
ブッダは全体的に語っています。生命はなんぞやと、その場合は細胞を持っている生命だけじゃなくて、細胞を持っていない生命に対しても同じ理論で語っているんです。
だからこの心っていうのは思考じゃないんです。たとえばアメーバにも心があると推測してください。暑いとか寒いとか、アメーバにそういうのある? ないでしょう。でも環境を認識する。悪い環境になってくると、そのまま殻を作って眠りに入る。それで環境がよくなったら細胞分解に入る。アメーバは食中毒ってないでしょう。食べすぎもないでしょう。自分の体で囲めるものはちゃんと知っているんですね。でも知識も思考もなんもないんです。だから認識っていう言葉を使っているんだから間違っちゃいますから、わたしは「感じる」っていう言葉にするんですね。
それで感じることは脳の仕事だとまた持って来るんだからね。そうじゃないんです。細胞も感じるんです。
それでは脳で感じるっているのは、細胞がありすぎだから、一人の人間というのはでっかい国と同じ、中国みたいなもんだから。細胞40兆もありますから、中国よりも大きいでしょう。一個の細胞が人間一人だとすれば。これくらいのものを管理するために制御システムが必要でしょ。総合的にまとめるために体の中にできているだけ。皮膚は一つの省で自分の仕事をする。骨は別の省で、「骨省」で、別の仕事をする。
そういうふうに、免疫システムにしてもそのなかに複雑なシステムが分かれている。それぞれ管理しているんです。だから脳もほんのわずかな仕事をしているだけ。信号を送る。だから携帯電話みたいなものなんです。われわれが携帯から電話をかけたら、電話会社に信号が送られて、「誰の番号か、どのくらい金を取るのか」と計算して、相手の電話に信号を送る。電話会社の機械がいくら金を取るか計算したら、そのデータが別の組織に行って銀行口座から金を取り上げる。信号を送って受けて、送って受けて、それだけの話でしょう、脳がやっているのも。
見るっているのは信号を受けることでしょ。受けた信号を処理しなくちゃいかん。処理して各省に必要なデータを送る。だから脳の研究が昔できなかったから、今ちょっと人気があるだけでそれから西洋に間違っている文化があるから、いい起爆剤になっているんです、研究するために。
そういうことで、心っていうのは物質で説明するものじゃないんですね。
何で出来上がった遺伝子が二つに割れるんですか? せっかく出来上がったのに。
そのままいればいいでしょう。
そんなに唯物論的に考えたければ、グラスの中に水を入れると水の分子がずーっと動いているんですね。止まらないんですね。
それは物理学ではちゃんと説明があるんですね。分子が動くんだから液体で、分子の隙間がかなりあったら気体で、と。それの中にはエネルギーが働いていて動いているんだと。それだけじゃなくて地球の影響も受けているし、いろいろね。
唯物論者だったらそういう説明が遺伝子にも欲しいんです。でも、ないんです。
そういうことで、物質で心を説明できない。
わたしたちは馬鹿でかい組織を持っているんだから考えたりしますが、そんなのはどうったことない。
「暖かい」「きれいだ」とかね、何の役にも立たない、ただ頭で作った幻想にすぎないでしょう。そんなの存在しないでしょう。「わたしはこれがきれいだと脳で決めました」とかね。きれいということ自体存在しないでしょう。「これおいしいと、脳で判断しました」、おいしいというのは存在しないんです。
存在しない、あり得ない、幻覚にすぎないでしょう。
それは、脳がやっているんだからと言って心の説明をしましたということにはならないんです。幻覚の説明しかできないんです。
(「~し続けたい」が問題なんです。それをお釈迦様が発見する。『渇愛』であると。【脳と心の関係】後編に続く)
(関西月例冥想会 2015.4.4
https://www.youtube.com/watch?v=uaX9B4_mWZw よりメモしました)
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