ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

「唯我独尊」の真意(ウェーサーカ祭2009)1

(ウェーサーカ祭2009.05.17 スマナサーラ長老法話

http://www.voiceblog.jp/sandarepo/864285.html よりメモしました)

 

ウェーサーカ祭なので、ブッダについていくつか紹介したいと思います。

 

この世の中で、生まれてすぐ歩いた、というのはお釈迦様だけです。そんなのありえないんだ人間にとっては、と思うかもしれませんが、お釈迦様は生まれてすぐ歩いたんです。

お釈迦様が歩いたという足跡が発掘されて、お釈迦様のものかどうかわかりませんけど、インドに行ったらルンピニにあります。

 

そういうことで、われわれはお釈迦様の教えを学んで、人生を、なんとか改良しようと頑張っている。それでわれわれは師匠として拝んでいるお釈迦様が、人類の中でたった一人、生まれてすぐ歩いたという人です。これからもそういう人物は出てこないんです。

 

それからお釈迦様と言うのは、生まれてすぐ歩いて、ある偈をうたいました。それは経典に残されています。

それは皆さんもよく知っている「唯我独尊」という偈なんですね。唯我独尊と言うのはなんか日本語で聞くと、「えらい調子もんが、何を言うのかい?」と言うふうに感じられないわけではありません(笑) しかし、それはお釈迦様が自慢げに言ったわけじゃないんです。

 

はい、これからパーリの言葉を紹介します。

わたしの声だと、みなさんが食べたものを出したくなっちゃうかもしれませんから(笑)、○○さんにお願いしましょうか。

  

aggohamasmi lokassa, jeṭṭhohamasmi lokassa, seṭṭhohamasmi lokassa(パーリ原文)

 私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である

 

Ayamantimā jāti natthi dāni punabbhavo(パーリ原文)

これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない

*1

 

aggohamasmi lokassa、この生命の中で、わたしが一番すぐれているものになってしまった。

jeṭṭhohamasmi lokassa、すべての生命の中で、先輩になってしまった。

seṭṭhohamasmi lokassa、すべての生命の中で、一番尊いものになってしまった。

Ayamantimā jāti、これが最後の生まれです。

natthi dāni punabbhavo、これから生まれ変わることはありません。

 

お釈迦様が悟りを開いた時も、ちょっと悲しいというかね、「しまった」と言う気分があるんですよ。

お釈迦様が傲慢だというわけじゃないんです、唯我独尊と言う意味は。

 

悟りを開いてからお釈迦様が世の中を観察して、寂しかったんです。

自分にとっては、師匠として仰げる目上の人が一人もいない。大変だ、どうしようと。

これっていうのは大変ですよ。わたしも今日は大変なことになっちゃったんだから。見渡してみるとこの中で、わたしが一番年食っているんですね。

 

自分より誰か年上の人がいると、仕事しやすいんですよ。自分より上の人がいなくなっちゃうとかなり大変です。

お釈迦様も、自分より優れた人は一人もいないんだと。世の中を見たら虚しい、誰もいない。ということはお釈迦様が一切の責任を一人で背負わなければいけないんです。

誰かと話し合って、「ちょっと困ったことがあるんだけど、これってどうしましょうか」と相談する相手が一人もいませんよ。

わたしたちはいろんな人と話し合うでしょう。特にみなさんなんか、会議好きでしょう? 何時間でも会議しちゃうという。

 

そういうふうに何か問題があったら、あらゆる意見を交わしたりすることが、お釈迦様にはできない。なんでも自分で判断して行動するということは、お釈迦様にはできたんだけど、やっぱりどこかで味気ないんです。お釈迦様はそれを表現したかったんです。

 

唯我独尊とは「すごいことだ」と言う意味じゃないんです。

先輩になってしまったと。自分より目上の人はいないんだ、生命のトップの立場になった。これから輪廻転生も終わります。

 

何でそれを表現したかと言うと二つ意味がありますよ。

 

われわれはいつでも、すごく謙虚に生活しなくちゃいけないんですよ。

わたしの意見だけが正しいということは成り立たないんですね。だからいろいろな人と話したりして、子供たちがしゃべっていても、参考になるものはあるんです。

 

だからわれわれはいつでも、人々と話し合って、調整しながら、いつでもベスト結果を出す。それが仏教のやり方なんですね。「あいまい、ごちゃごちゃ」にしないんです。

 

「あの人がこういうんだから、この人はこういうんだから、じゃあとりあえずこういうことにしましょう」というだらしないことにはしないんです。

人の話を聞いて、理解と賛成を得て、誰もがビックリするような見事な答えを出す。そのために一人一人がすごく謙虚でいなくてはいけないんです。

 

日本テーラワーダ仏教協会も古いですけど、しかし、協会名義で土地を買ってお寺を作ったというのはこちらが初めてです。ゴータミー精舎は作ってあった建物を借りただけで。だから、こちらはゼロから、できるかどうかわからない、台風も来るし竜巻も起きるし地震も起きるし、まあそう言う中で、最後に「どうだい?」という結果を出す。これでいかがでしょうかと。そういう長い間、皆様が話し合っていろいろな異論があって、ときどき喧嘩にもなって、かなり苦労して、見事な結果になっている。そういうわけで、われわれはいつでも人の話を聞くこと。子供であっても、年よりであっても、その人の話を聞いて、みんなの話を聞いてよく吟味する。

 

みんなが賛成する、その上ビックリする、善い結果をどのように出せるのかというのが、お釈迦様がおっしゃっている一つの「生き方」なんです。

 

皆さんもこれから会社やらで仕事をなさるときでも、そのポイントを覚えておいてください。ただ会議をするんじゃないんです。ただ話し合って、自分の意見が却下されたら、気持ち悪くてブツブツと文句を言いながら出ていって、精神的にストレスをためる必要はないんです。

 

会議やら話し合いっていうのはとにかく、議論する場所です。アイディアをぶつける場所です。その場合は、誰に対しても怒り憎しみを持たない。人が異論を出すなら、「よかった。誰かが間違いを指摘してくれないとこまる」という態度で対応して、誰でも喜ぶ結果を出す。そういう生き方に、日本の社会も、日本の会社も、家族も、そういうふうになって行けば、ブッダの教えをわれわれは実践することになるんです。

 (ブッダの言葉は断言的に正しいか(ウェーサーカ祭2009)2へ続きます)

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関連エントリ:みんな大好き・お釈迦様のエピソード

お釈迦様はなぜ出家した?(前編)

 

 自分が王になったら、どうすればいいかとかね。あるいは王子として、皇太子としてどんな仕事をすればいいかとかね。そういうところは、ものすごくお釈迦様は真面目ですから。そういうのは見えてきますよ。

精密に真面目なんですね。精密に。

 

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*1:引用元・

d.hatena.ne.jp

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