(ブッダの言葉は断言的に正しいか(ウェーサーカ祭2009)2より続きます)
ある経典で、お坊さんが在家の人に質問したんですけど、「この言葉の意味を知っていますか?」と。
在家の人は「わかりません」。お坊さんは「お釈迦様がおっしゃった言葉です」というので、在家の人は「ほんとにお釈迦様がおっしゃった言葉ですか?」と。
お坊さんは「そうですよ」。
在家の人は「だったら、ちょっと待ってください。わたしは説明します」と、ウパーリと言う在家の人なんですけど、物の見事に説明してみせるんです。
だから最初は、ウパーリさんは自分で分析したらまずいと思ったんです。それで、「どの言葉ですか?」と聞いてから、「だったら大丈夫」と。なぜならば本人に自信があります。ブッダに説かれたならば完璧に決まっていますから。それだったらまかしておきなさいよ、説明してあげますよ、という在家の人のあの自信。すごいもんなんです。
だからスイスに行ってもドイツに行ってもアメリカに行っても、われわれがブッダの教えを理解しているならば大丈夫です。その生き方には敵わないんです。
ひとつは、われわれは決して攻撃しないんです、誰にも。
誰にも攻撃しないんだけど、誰の生き方を見ても、だらしなくて欠陥だらけなんです。だからと言って軽視もしないで仲良くするんです。仲良くするんだけど、相手のだらしない生き方を認めることはしません。
そこで微妙に相手が話を聞く気になった瞬間で、ちょっと一つだけポイントを「これはどうかなぁ?」と微妙に教えてあげていく世界なんです。
世の中ではね、宗教を広げるために一番大事なものが一つありますよ。なんですか?
鉄砲が必要なんです。いままで、世界でそういうふうに宗教を広めたんです。
「人間を愛しなさい」と言って、機関銃を持って待ち構えていたんですね。
そういうことでイスラム教もすごい勢いで広げていったし、別にその人々はわれわれと同じ普通の人間なんですけど、宗教になってくると凶暴になる。軍隊と一緒にキリスト教が広がって行ったし。植民地にするわ、国を奪うわ、それから神様の教えとかね。
それで世界にはロクな結果がない。
キリスト教を広めたからと言って世の中の役に立っていない。イスラム教は今、ものすごい勢いで広がっていますが、あんまりそれで世間がよくなるという保証はないんです。
権力で、武器で、脅しで広げる教えです。
仏教は今は(そういうことが)ないんです。何の武器も、何の権力も使いません。で、教えてあげるんです。それで仏教を理解する人々は物の見事に幸福に生きている。
世の中に広げたら幸福なのは仏教だけなんですね、結局は。他のものを広げるといろいろトラブルが起こるんです。だから、お釈迦様の教えっていうのは、誰とも戦わない教えで、だからと言って腰抜けではないし、だれとも調和するけれど、人の話にすぐ乗ったわけではないし。そういう中道というのは、ちょっと難しいんですよ。
人が反論してきて、攻撃してきたら、こちらは論理的に答える。そうでない場合は黙っている。
そういう複雑な教えですけど、これからも世界で二つないブッダの教え・最終的な真理です。
文字通り最終的です。
それを学んで、皆様も皆様の周りの方々もこれから全体的に日本の社会も、幸福になりますように、仏法僧に守られますように、と祈願いたしまして、皆様も頑張ってみてください。
わたしたちもそれなりに頑張ります。
どうもありがとうございました。
(おわり)
(ウェーサーカ祭2009.05.17 スマナサーラ長老法話
http://www.voiceblog.jp/sandarepo/864285.html よりメモしました)
関連エントリ:みんな大好き・お釈迦様のエピソード
ブッダを念じるということは、ブッダを信じなさいということではない。ただ単に九徳をもつ人が今はブッダしかいないだけ。
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