(東京・法話と実践会 2015.04.29 スマナサーラ長老
期間限定公開動画http://www.ustream.tv/recorded/61671391 よりメモしました)
人間はすべて、やっていることは生きることを支えてあげようということなんですね。
ですから、すべての人間が同じ目的で頑張っているならば、生きることを支えてあげましょうというね。だからこの世で問題が起こるわけないんですね。
農業に携わっている方々はわれわれを助けようとしているんです。医療に、工学・科学に、携わっている方々は人間を助けようという目的があります。
政治経済の人々も、人を助けなければ自分たちの仕事は成り立たないと知っている。
法律制度も人を助けるためでしょう。最後に、なんで軍隊があるのかというと、これもわたしたちを守ってあげたいという話だそうですね。
人を助けてあげなくてもいい、どうでもいいやという人々はほとんどいないんですね。全くいないわけじゃないんだけど、「わたしは社会のことはどうでもいい」と言う人は、面白いことに社会に対してあまり迷惑かけませんね。
そこでわたしが出したいポイントは、ここまですべての人間が人を助けようと思っているんだから、何の問題もなく、穏やかで、平和で、安穏で、悩みなく、心配なく、生きていられるはずでしょう。
すごい単純な理論でしょ?
料理上手な人がいて、おなかがすいている人がいて、料理を作ってあなたにあげますと。もらった人はおなかがすいた、困ったともう悩む必要がないでしょう。美味しいものを食べたんだから。
あまり言わなかったセクションがありましてね。
思考家たち。宗教家たち。別に人類を恨んで哲学者になったわけじゃないでしょう。人間をどう助ければいいかということで、哲学・思考が現れた。
宗教もそうなんです。おおざっぱに言えば、表面的には人を助けるために出来上がった信仰組織ですね。
みんな揃って同じ目的で頑張ってますけど、なんで結果がないんですか?
なんで世界が平和じゃないんですか? なんで犯罪が起こるのか?
なんでネパールに恐ろしい災害が起きたのか、それは別なんです。
それは自然災害で、われわれができることは助けることなんですね。しかしそれで、悩んだり、落ち込んだ、落ち込んだり、心配したりする必要はないんです。解決策は明確に分かっています。
がれきの中の人々はサッサと助ける。人々に食糧・治療を与える。家を作る協力する。時間かかるかもしれませんけど、解決策は明確なんですね、自然災害の場合は。
どの程度できるかできないかは? 海岸にいくら堤防を作っても大津波がきたら潰しちゃってしまうかもしれませんし、それは自然のことだから悩む種にはなりません。
そういう自然災害みたいなケースを抜かして考えたら、毎日災害が起こるわけじゃないんですね。自然災害はある面から考えれば、結構親切なんですよ。ずいぶん周期が長い。百年に一回とか。それで全部潰れたらまた作り直せばいいでしょうし、それでそんなに心配したり悩むことはないと思いますね。
で、平和でいる間ね、例えば百年に一度自然災害が起こると仮定すると、この百年の間なんですね、問題は。百年に一度起こるできごとじゃないんですね。
われわれが一人一人考えるべきポイントは、「なぜ人類が人を助けようとして活動しているのに、この世の中、こんなもんか?」と。
経済活動と言うのはずいぶん進んでいるんだけど、いつでも自分の財産は不安で危険で、いつなくなるか分からない。会社はわずかなことで、ドカーンと倒産してしまいます。
軍隊は各国にいるんだけど、平和だけはない。
警察はすべての国々にいても、犯罪は絶えない。
どんな国にも政治システムはあるけど、一向に国民は豊かにならない。不平不満をこぼさず生きていられない。どんな政治家の下でも。
天才哲学者がいるけど、何の役にも立たない。何を言っているか分からない。
そいういうことで、お釈迦様の教えっていうのはそういう時点から始まるんですよ。
だから、皆様は知っているんだと思わないでください、ブッダの教えを。
この世の中の流れの中で生きていて、この政治システムの中で、この経済システムの中で、この人間が作った価値観の中で、何となく生きているでしょう。わたしも皆様も同じのように、世界が決めた決まりの中で、ただ操られて生きているだけでしょう、正直なところ。
(「人類」ではなくて「生命」に問題がある(ブッダの治療法2)に続きます)
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