ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

お釈迦様より前のブッダは…|カッサパ如来(1)

ウェーサーカ祭後日・スマナサーラ長老法話 関西定例瞑想会 2015.05.04

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/2152493.html よりメモしました)

 

では、説法を……、何を言えばいいんですかね(笑)

んー、いろいろテーマはいくつか頭の中に横切ったんですけど、全部忘れました(笑)

 

昨日(2015/05/3)、われわれは、お釈迦様の日をお祝いする法要を行いましたけど、ウェーサーカっていうのは、月の名前ですね。五月の呼び名ですね。

五月の祭ですね。世界的に、お釈迦様を念じる、祝う日になっているんです。

 

お釈迦様のことは、みんなチラチラ、チラチラと、すごい人が現れたと知っていました。

ブッダは生命の中に、一代に一人しか現れないんですね。

一代と言うのは、宇宙の時代ですよ。だからこれは、極端にまれなことで、われわれの寿命は長くても百年程度でしょうし、人間の歴史もそう長くはないし、世の中でブッダという完全たる人格者が現れるのは、宇宙として見ても、一代に一人ということですね。

 

それでも現れないことが結構あるんです。

科学者は推測で計算して、宇宙はどれくらい前に現れたのかと計算していますが、その「一代」ですからね。それでも必ず現れるわけじゃないんです。

 

面白いことは、ブッダは人間でなければならないんです。

仏典から見れば、わたしたちとピッタリ同じ人間というわけでもないんですけどね。それぞれの宇宙に現れる人間というのは、それぞれの環境に合わせた体ですから、ものすごい大きい体を持っている生命もいるし、寿命も万単位の時期もあるんですね。

 

われわれは百年ほどで寿命が終わりですからね。

 宇宙が現れてそこに生命が現れて、という場合、必ずその生命の寿命が百年というわけではないんです。

 

お釈迦様より前に現れたブッダのことはカッサパ如来といいますけどね。その時代、人間の寿命は相当長かったみたいです。万年単位で。

だから、「あんたいくつ?」「10歳です」と言ったら、「10万年」という意味なんですね、当時ではね。

 

それで、あまり長く生きてみると、問題は、そんなに生きることに死にもの狂いで頑張らなくてもいいんですね。たとえばね、現代は子供たちがね、小学校6年、中学3年、高校3年と、勢いで勉強しないと。そのあとは大学と、暇がないんですよ。勉強しなくちゃいけないものはたくさんありまして、時間がなくて勉強できないんですね。

 

それで、なんとか生きられる程度のことを勉強して、終わっちゃうでしょう。

ものすごい勢いで人を選んで結婚しなくちゃならないし、人を調べる余裕はないんです。手あたり次第で誰かと結婚するんだけど、「99パーセント、ハズレでした」と(笑)

 

そういうことで、われわれは大変なんですよ、寿命が短いということでね。百年で切られているんだから。

 

それで万単位で年を数える場合はね、どうですかね、そのときは。妄想世界かもしれませんだけど。

そんなに必死になって、死にもの狂いでやらなくてもいいんです。

 

それで面白いことは、そういう人々は、嫉妬したり、人を恨んだり、憎んだりしないんです。必要ないんですね。十分人間と仲良くする時間あるんだから。

 

わたしたちはそうじゃないんです。ちょっとでも誰かが間違ったら、時間短いでしょう、それで怒っちゃって、燃えてしまって人生まで終わってしまう。

 

だからこの、寿命が長い時は、みんな穏やかで、イライラしない。イライラする必要がまるっきりない。「早くしろよ、間に合わないぞ!」がないんです、そんな単語が。

それもないし、勉強するのに十分な時間もありまして。

 

どちらかというと、精神的に結構できているんです。だから、退屈になったりするみたいですね。

 

退屈と、もう一つあるんですけど、「別にいいんじゃないか」というふうになるんですね。

その二つがあるんですね。

 

たとえばどこかで演奏会をやっているとなると、「じゃあ、行こう、行こう!」と、われわれはそうでしょ? 三か月前にチケット買って、必死になって、なんか狂っているようなかんじです。わたしが講演会でどこかへ行って、同じ建物で誰か有名人のコンサートがあったりして、そちらはもう戦争のようですね。

 

それはあの時代、長寿時代にはないんですね。「まあ、別にいいんじゃない」ということで、精神的な活発性がちょっと減っちゃいますね。それから退屈になってくる。その二つしかないんだと、病気が。

 

当然、体には、肉体的な病気はない。

たとえば植物見てください。千年以上寿命がある植物はあまり病気にならないでしょ? たとえばブナの木。それに比べたら、三か月間で収穫できる植物はちょっとしたことでやられますね。だから命が短い植物は、雨が多めに降っちゃうともうダメで、雨がちょっと降らなかったらまたダメで、虫にやられちゃうわ、カビが生えてくるわ。

土の状況がちょっと変わったらもう、アウト。

 

それに比べたら寿命の長い木は、雨になろうが乾季になろうが、全然関係なくヘッチャラでしょ。だから、ああいう木を見ると、体(木自体)には病気がない。

それでわれわれもブナの木みたいな感じで寿命が長くなってくる場合は、体の病気はあまりありませんね。

 

カッサパ如来はそういう時代で生まれて、解脱を教えるのは楽ちんなんです。

ただ、カッサパ如来の時代では、「生きることは苦である」ことを教えるのは難しいみたいですね。

サーリプッタ尊者の説法|カッサパ如来(2)に続きます) 

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