(サーリプッタ尊者のお見舞い|カッサパ如来(3)より続きます)
そういうわけで、寿命が短いからちょっと間に合わない、ということもわれわれにとってはあります。
それで、カッサパ如来の時代は、人間の寿命がすごく長くて、道徳的に完成されていて、道徳を教える必要はなかったから、戒律は説かない。解脱に達する道しか説かない。それで、
みんなすぐ、悟りに達する。
説法を聞いて、「じゃあちょっと頑張ってみます」と、十年、二十年はあっという間だからね、悟りますよ。「ちょっと百年くらい瞑想します」と言っても大したことがないんだから。自分たちの寿命の十分の一だからね。
しかし問題は、カッサパ如来が涅槃に入られてからは、教えがそのまま衰退して、忘れ去られてしまうんです。
なぜなら、仏教という組織を作らなかったんです。
みんな自由で、真理を分かっているんですね。組織が何もないんだから、哲学だけでしょう。興味がある人が学んで、その息子・娘が別に興味なかったら、そこで止まっちゃうんです。
戒律のおかげで、仏教という組織が出来上がります。組織っていうのは個人より結構長持ちします。組織のほうが権利を持っているんです。
たとえば、政府と言うのは組織なんですね。政府にはすごい力がありまして、議員さんというのは個人なんですね。大した力はないんです。
そいうことで、組織は、いろいろな問題があっても、なんとか生き延びるんです。
息子がまるっきり仏教を知らなくても、興味がなくても、何百年も続いているすごいお寺でしょ、それは守らなくっちゃと守るんですね。決まり・しきたり、全部守る。組織になったら、組織の寿命は延びるんです。
そういうわけで、お釈迦様の仏教を学ぶ、われわれの寿命は短くて、性格は最低に悪くて、お釈迦様の時代から。
言うことを聞かないわ、嫉妬するわ、喧嘩するわ。
お釈迦様の時代でも衣は一着しか持っていけないのに、もらった衣をちょこっと隠しておいたり。欲と執着、ワンセット。それ違反でしょ、組織として。
それでお釈迦様は、「自分がもらったものは10日以内にサンガ組織に渡しなさい。個人財産を持つなよ」と決めなくちゃいけないんですね。
弱いものをいじめたり、脅したりした、だらしない比丘もいたんですね。そういうことで、お釈迦様が、戒律、戒律……と決めて、なんとなくしっかりした、完全な組織が現れたんですね。だから仏教が二千五百年も続いたんですね。
カッサパ如来の教えは、組織はなかったので、カッサパ如来が亡くなって、みんな忘れてしまいます。
わたしたちも亡くなったおじいさん・おばあさんのことを真剣に考えるのは一年程度で、それでもほとんど忘れてしまって、命日とかやりますけど、やめられないんだから仕方がないという感じで。寺から連絡が入ってきたら、「今度の法事はもうやりません」と言えないからやります。
だから、人が亡くなって十年くらい経つと忘れてしまうんですね。カッサパ如来の教えは、そういうふうになりました、ということなんですね。
(なぜ悟れないのか?|カッサパ如来(5)に続きます)
ウェーサーカ祭後日・スマナサーラ長老法話 関西定例瞑想会 2015.05.04(http://www.voiceblog.jp/najiorepo/2152493.html よりメモしました)
初回から読む:お釈迦様より前のブッダは…|カッサパ如来(1)
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