(なぜ悟れないのか?|カッサパ如来(5)より続きます)
われわれはプライドを捨てて、人間世界をみなくちゃいけない。われわれの科学は人間として生きるすべ以外の何でもないんです。
知識にいつでもロックがかかっているんです。この許される範囲で何でもできますが、それ以上はできないんです。
ブッダの教えっていうのは、生命の次元を破る教えなんですね。だからすぐここにぶつかっちゃうんです。理解できないんです。
ブッダの最初の言葉からも、人間の認識範囲を超えている言葉なんです。それを無理をして、無理をして、順番に教えているんです。
なんで人間が悟れるか、人間がブッダになるのかと言うと、人間がこのロックを破ることができるからです。
認識次元にあるロックを。
神々にもできるんだけど、条件があって難しいということがあります。動物には不可能。餓鬼道の一部の餓鬼はできるけれど、それ以外はできない。
ロックを、壊すんです。
カギっていうのはそんなに簡単に開けられるようになっていません。それでも、人間はこの鍵を壊すことができます。
そのためにブッダが真理を説かれている。しかし、簡単にブッダの教えが分かるんだと調子に乗らない方がいいんですね。丁寧に理解しなくちゃいけない。だから丁寧に教えているんです。
われわれが分かるように、人間の次元にあてはめて、こうだからこうでしょ、そうするとこうでしょう、もっと勉強してください、とそこを勉強していると、認識のロックが破られて智慧が現れる。それで生きる苦しみがなくなります。
宗教は違います。
なぜならば、「人間の死にたくない」という感情を応援するだけなんです。死にたくないんだったら、天国に行ってくださいと。そこにはたくさんの店があるんです。いろいろなものが売っているんです。
永遠な天国はあり得ない。天界はあります。それは次元ですからね。永遠な天国はあり得ない、ということを理解するためにも、このロックを解除しなくてはいけない。絶対的な神と言うのは、そう思うこと自体が頭がいかれているんだと分かるためには、知識のロックを解除しておかなければいけません。
「だってそんなこと言ったら罰が当たるんじゃない?」とか思っちゃうんです。
そういうことで、みんな生き延びることを探しているんです。
それで逆説的に考えれば、「どうして生きることに必死なのか?」というと、「死ぬから」でしょ。認めなさいと。
で、解脱に達するのに、生きることはロクでもない苦しいことだと発見して、生き延びる道ではなく、神様のところに行くことではなく、天界に生まれることでもなく、その苦しみを脱出することが答えであるとおっしゃったのがお釈迦様です。
簡単に理解できないかもしれませんだけど、これから修行して頑張ってみてください。
(終わり)
ウェーサーカ祭後日・スマナサーラ長老法話 関西定例瞑想会 2015.05.04(http://www.voiceblog.jp/najiorepo/2152493.html よりメモしました)
初回から読む:お釈迦様より前のブッダは…|カッサパ如来(1)
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