ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

ダンマパダ153、154 「家」を作る大工さん|釈尊(後編)

45年間の出来事に、40万無数劫の準備期間がありました|釈尊(前編)より続きます)

お釈迦様がブッダになった時、

「わたしは限りない輪廻の中で、無数の輪廻の中で、生まれ変わり、生まれ変わり、探していたんだよ」

「なんで体がまた現れるのか? 探して、探して、輪廻転生したんだよ。この肉体、この『家』は、いったん壊れてもまた現れるのか?」

 

なぜ探し求めたのかと言うと、生まれることは限りのない苦しみです。生きることも限りのない苦しみです。死ぬことも嫌なんです。嫌なことの連続なんです。死んだらまたどこかで体が構成される。その場所に適した体が。

 

そこでお釈迦様が、「やっと、『家』を作る大工さんが見つかりました」と。

 

この『家』(体)を作る大工さんは誰かと言うと、自分の心にある『渇愛』なんですね。

足らないという気持ちなんですね。われわれもそれがあるでしょう。いつでも『足らない』という気持ちでいるんですね。服を買っても「もっといいものがあるんじゃないか?」と。

 

皆さんは結婚している人もいるでしょう。相手に対して「もっといい人がいるんじゃないか?」という考えなんですね。男の場合なら、「もっといい人がいたでしょうね。小学校のあの子」とか思ったりするんですね。これ、終わりがないんですね。

 

それで八十歳になっても、まだ生き足らないんですね(笑) 生き足らないというのは変な言葉ですけど、もっと生きていきたいんですね。だからこの、不満なままで生まれるんだから、それがポテンシャルになっちゃって、エネルギーになっちゃって、次の体を構成しちゃうんですね。そこでまた不満で、戦いながら生きるんですね。それでまた……、とキリがない。

 

だから、サッサとこの渇愛を捨てなくちゃあかん。この捨てるということは、楽なことじゃないんです。で皆様でも、毎日いろんなものを捨てているでしょう? 何を捨てているんですかね? アクセサリー? 化粧品? ゼッタイ捨てられませんね。財布? それはもう、できれば体と一緒になってほしいくらいですね。

 

でも、すべて握りしめているわけじゃないんです。いろいろなものを捨てますね。

皿が滑っちゃって割れた。どうする? すぐ捨てる。料理を作ると、ジャガイモの皮、魚の骨は、何の躊躇もなく捨てますね。捨てるものはゴミと言うんですね。価値がゼロ。それって普通です。価値があると捨てられない。価値がないものは何の執着もなく捨てる。捨てること自体が楽しいんですね。なんとなく気分がいいんです。わたしも自分の部屋の生ごみを出してきましたけど、帰ったら生ごみが無くなっているんだから、なんとなく微妙に楽しいんです。

 

それで、お釈迦様がすべての現象は、苦で、無常で、無我であると発見した。この肉体、五蘊の中で価値あるものは何一つもない。自分と言う構成されている仕組みの中で。それを発見したら、解脱、悟りなんです。

 

微塵も価値あるものがないと発見することが、智慧と言うんです。

それで自動的に心が、無執着ということに達するんです。だからヴィパッサナー瞑想で、みなさまは超能力が欲しくて、商売繁盛したくて、あれやこれやと欲ばっかりでやってるんだから進まないんです。執着を捨てる瞑想を、執着を強化する目的でやってるんだからね。

 

そこでそうではなくて、生きるっていうのはどういうしくみでしょうか? という科学的な観察が必要です。それはヴィパッサナー瞑想で現われる。そこで「なんだこれは、面白いものは何一つない。肉体もそうで、感覚も、思考も、心も、変わるわ、変わるわ……。変化すること、キリがない。何もないんだ、囚われるものは」と分かるところで、解脱に達します。

 

そういうことで、お釈迦様が、「わたしは渇愛を捨てました。他の煩悩もすべて捨てました」と悟ってから語られるんです。いわゆる、誕生と成道と般涅槃ですからね。

成道のとき語った言葉です。

 

「Pathame udana(歓喜の言葉)」

  1. Aneka jātisaṃsāraṃ sandhāvissaṃ anibbisaṃ

Gahakārakaṃ gavesanto dukkha jāti punappunaṃ

 

無数の生涯にわたり、あてどなく輪廻をさまよってきた、家の作者を探し求めて。

更に更にと、生まれ変わるのは苦しいことである。

 

154.

Gahakāraka diṭṭho'si puna  gehaṃ  na  kāhasi

Sabbā te  phāsukā  bhaggā gahakūṭaṃ   visaṅkhataṃ

Visaṅkhāragataṃ  cittaṃ taṇhānaṃ  khayamajjhagā.

 

家の作者(渇愛)よ、汝の正体は見られたり。

汝が家を作ることはもはやあるまい。

汝の梁(煩悩)はすべて折れ、家の屋根(無明)は壊れてしまった。

形成するはたらき(行)から心は離れ、渇愛を滅ぼし尽した。

 (ダンマパダ153,154)p28「日常読誦経典」日本テーラワーダ仏教協会発行 

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