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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

涅槃とは?|ウェーサーカ祭2015東京(3)

ダンマパダ183、184 諸仏の教え|ウェーサーカ祭2015東京(2) より続きます)

次に、われわれは幸福を探し求めている。

すべての生命が、本当は安らぎを求めている。しかし見つかりません。なぜならば、間違ったところを探している。金があれば幸せだと。しかし、金があれば苦しみなんです。面倒くさいんです。執着が生まれる。人に恨まれる、嫉妬される、敵が現れる、泥棒の的になる、金を得るためにも自分がすごく苦労しなくてはいけない。希望通りの額はもらえません。もらっても自分のものにはなりません。この肉体も自分のものではありません。この心も自分のものになりません。自分のものというのは何も存在しない。というよりは、自分というものが存在しないんです。

 

ですから、幸福がどこにあるんですか?

涅槃が究極の幸福です。

涅槃と言うのは、一切ものごとに執着しない。自分というものが消えた世界なんです。自我が消えた世界なんです。自我、エゴが、この錯覚が、問題を作っているんです。

肉体があっても自分という気持ちが消えていれば、そちらには無量の限りのない安らぎがが生まれるんです。それを涅槃と言うんです。涅槃と言うのは最高の、限りのない幸福である。

 

わかりやすい言葉で言えば、「得ることは幸せである」と、世界は思っている。ブッダは「捨てることが幸福である」と説く。ブッダが正しいんです。

捨てるときの喜びは、「持ち」ます。得るものの喜びは、瞬間です。

自分が弁当を食べて楽しかった、というのは直ちに消えます。人に、ご飯を差し上げて、人を喜ばしたならば、その喜びは自分にとって「持ち」ます。消えません。

 

面白いでしょ?

わたしがご飯食べたら楽しんですね。でもその楽しみはすぐに消えます。

わたしが人にご飯をあげたら、あげた喜びはずーっと残るんです。

 

そういうシンプルな例で、理解して、これを徹底的に実践しましょう。

捨てるところに、変わらない楽しみがあります。得るところに、瞬間的な楽しみがあります。無いとは言いません。何かもらったら楽しいんです。金が入ったら楽しい。親しい人に会ったら楽しい。得るものに楽しみはあるんだけど、瞬間です。しかし、得るものはいつでも、パッケージで来るんです。

 

子供が生まれたら楽しいんです。しかしそれもパッケージです。大変な苦しみのパッケージなんです。楽しみだけ子供は与えてくれません。子供は楽しみと同時に、あらゆる悩み苦しみも与えるんです。意図的じゃないんです。自然法則です。

 

車買ったら楽しいんです。しかしパッケージで来るんです。車が意図的にわれわれに苦しみを与えようと思っているんじゃないんです。

 

だから得るものは、いつだってパッケージなんです。

 

捨てるものには何もない。穏やかなだけ。それが涅槃の世界です。

 

ですから幸福とは、得るものにではなく、捨てるものにあると理解しましょう。

 (次回に続きます)

 

(ウェーサーカ祭 東京2015.05.24

http://www.ustream.tv/recorded/62610300 よりメモしました)

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