ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

ダンマパダ185 諸仏から出家者へ|ウェーサーカ祭2015東京(4)

涅槃とは?|ウェーサーカ祭2015東京(3)より続きます)

それから、ブッダたちのアドバイスは、比丘たちに、出家者たちにあるんですね。

出家したものがまったく他を殺してはならない、生命をいじってはならない、世間から非難される生活をしてはならない、釈迦尊に説かれた戒めを守らなくてはいけない。ご飯を食べるときも、ただこの腐れかかっている肉体をちょっと修復するためにだけ、材料を入れるんだと。寝る場所も、服装も、ただ最小限に身を守るだけ、肉体がかわいいからじゃなくて、肉体は壊れるんですね、服を着なかったら。寝るところがなかったら。木の上で生活できない。だから、肉体が壊れないようにしなさいよと。

 

それから、五根に限った知識を破って、超越した理解能力を得なさいと。つまり悟りなさいと、これは出家に対して説かれた偈です。

 

一番目の偈(ダンマパダ183)はすべての生命に説かれたものです。その偈から唱えましょう。

 

BUDDHÂNU SÂSANAM 諸佛の教え(ダンマパダ183-185)

183.『Sabba pâpassa akaranam kusalassa upasampadâ

  Sacitta pariyodapanam etam buddhânu sâsanam』 

一切の悪行為を行わないこと。善に至ること。

自らの心を清めること。これがブッダたちの教訓である。

 

184.『Khantî paramam tapo titikkhâ  Nibbânam paramam vadanti Buddhâ

Na hi pabbajito parûpaghâti samano hoti param vihethayanto.』

忍耐・堪忍は最上の修行である。

涅槃は最高のものであると、ブッダたちは説きたもう。

他人を害する人は出家者ではない。

他人を悩ます人は「道の人」ではない。

 

185.『Anûpavâdo anûpaghâto Pâtimokkhe ca samvaro,

    Mattaññutâ ca bhattasmim panthañ ca sayanâsanam,

    Adhicitte ca âyogo etam Buddhânu sâsanam.』

罵らず、害わず、戒律に関しておのれを守り、

食事に関して適当な量を知り、淋しいところにひとり臥し、坐し、心に関することにつとめはげむ。

これがブッダたちの教戒である。

 

(テキスト引用元 http://www.j-theravada.net/pali/key-buddhanu1.html

 (読経の音声ファイル http://www.j-theravada.net/sutta/index.html#d183

  

次。

生命は、われわれは解脱するまで輪廻転生しなくちゃけないんです。

執着あるんだから。認めても認めなくても、エネルギーは完全に消えることはないんです。消えるためには、それなりの反エネルギーを作らない限りは。

浅はかな物質知識で輪廻転生を否定するんです。心の存在はないと思っているんです。面白いんです。心で思っているんです、心はないんだと。遺伝子だけだと、アミノ酸だけだと。

 

メーターで測れませんから。だから科学ではないんです。科学者が、メーターで測れないものは何一つ存在しないと証明してから言わなくちゃあかんでしょ。MRIで、CTスキャナー、いかなるメーターでもいいんです。そういうものでデータが出ないものは存在すらしないと、まず証明しなくちゃいけないんです。

自分が作った入れ物に入らないんだから、心がないと、心で言っているんです。考えて言っている、妄想して言っている、それを否定する。海でおぼれているのに、水は存在しないと言っている。

 

だから心が物質よりも最大のエネルギーなんです。消しても消しても消えないんです。

では、100分の1秒でもいいんだから心をストップしてみてください。

身体はいつだって止めることができるでしょう。呼吸は二、三分なら止めることができるでしょう。

その心が、すごいエネルギーです。

肉体が壊れてしまうと、肉体というのは土ですからね。土は土に戻るんです。土を管理していたエネルギー(心)はどうなるでしょうか? 

どんな土でも管理されています。地球の土だけではないんです。宇宙空間にある素粒子の管理もできます。物質ですから。溶岩のような物質でも心で管理できます。一つの物質を捨てちゃうと心が別な物質に付いてしまいます。そこで輪廻転生をします。

 

そこでポイントは、自分勝手で生きていられますか? 

心はすごく強そうに見えるんですが、科学者さえ発見できないほどもろいものなんです。科学者が本当に心というエネルギーを発見したらならば、正直に言うでしょうね。しかし、つかめないんですね、これだけは。逃げ回るんです。揺らぐんです。メーターに入らないんです。

 

この弱い、揺れ動く心が、他の心に依存して協力し合って生きているんです。心がものすごく依存するんです。今、心は肉体に依存しているんです。目、耳、鼻に依存しています。しかしこの肉体を維持するために他の命から材料をもらわなくてはいけないんです。

 

独立、というのが成り立たないんです。

それで生命の法則とは、共存しなさいと。共存しなければいけないのに、競争する。われわれは生命に助けられて生きているのに、生命を憎むんです、恨むんです、殺すんです。それで平和に生きられるはずがないんです。

 

おなかがすいて飢えた状態の時、人がご飯を持って来ると、鋭い刃物を持って、ご飯を持ってきた人を殺してやるぞという状態なんです。成り立ちますかね? 

 

だからご飯持った人が親切に来たのに、受け取る方は逃げ回っていて、ご飯をちょっとだけ食べて逃げなくちゃいけないと思っているんです。だからもらったご飯が散らばってこぼれてしまうんですね。拾って食べなくちゃいけないんです。味噌汁だったらこぼれているんだから、なめなくちゃいけないんです。われわれの生き方はそういう生き方なんですね。

 

自分が飢えていて人がご飯を持ってきてくれたら、「ありがとうございます。あなたは神様みたいに見えます。本当に申し訳ございません。あなたはわたしの命の恩人です」と言ったらどうですか。そう言う人になら、化学調味料の出汁ではなくて、ちゃんと昆布から出汁を取って味噌汁を作ってあげます(笑)

 

ですから、幸福に生きる道って、いたって簡単でしょ? 競争じゃなくて共存です。なんでそうしないんですか?

そこは仏教では『慈しみ』ということで説かれています。

 

そこで、まず、慈悲の瞑想をして、お経をあげます。

「慈悲の瞑想」

慈悲の冥想 http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

 (”生きている”ブッダ|ウェーサーカ祭2015東京(5・最終回)に続きます)

 f:id:thierrybuddhist:20150602170615j:plain

(ウェーサーカ祭 東京2015.05.24

http://www.ustream.tv/recorded/62610300 よりメモしました)

関連エントリ:世の中で平和が無いのはなぜか? 私たちの「裁きグセ」が世直し欲求を駆り立てる

聖書にあるたったひとつの、その一行だけかっこいい、宝物になる言葉です。

 「罪を犯したことが無い人は、最初の石を投げなさい」

 石を投げるのをやめなさいとは言っていないんです。ユダヤ人の法律に「石を投げよ」と書いてあるんだから。それをいいとも悪いとも言わないで、ずいぶん仏教的で、ずいぶん理性的な言葉なんですね。

そして、誰も石を投げようとしなかったんですね。それで女性の命は助かりました。

すべての「説法めも」を読むには:【目次】説法めも