(ブッダが現れた意味|ウェーサーカ祭2015関西(1)より続きます)
ですから「花祭り」はお寺でやった方がいいと思いますよ。ブッダのお祝いはね。なんか人間が楽しくなるんです。わたしもいくつかのお寺に花祭りで行きますけどね、まあ子供たちがうるさいこと。
子供たちは綿あめ食べたくてね、わたしにも無理矢理食べさせるんですね。わたしは部屋の中に隠れていたんですけど。説法を聞いて子供たちがかなり調子に乗っちゃって、窓をたたいて、「どんな味がいいー?!」と。どんな味も美味しくないんだけど(笑)
それでもわたしは、「どんな味があるの?」と。
子供たちは、これとこれと、こんな味がありますよ、と。
「じゃあ、この味をください」と言いました。
綿あめ一つ食べるのもね、砂糖ですからね、あれは。子供はいいんだけど。
食べ終わるとまた、「別の味もありますけど」と(笑)
そういうふうにブッダの不思議な力で、みんな仲良くさせてくれて、楽しく過ごすんです。子供たちはお寺ですごく遅くまではしゃいでいたんです。
ですから、ブッダの誕生というのは大変功徳にもなることで、音楽を歌ったり、今日みたいに慈悲の瞑想を作曲したりと大変苦労なさったと思いますけどね、音楽も厳しい修行なんですね。わたしは音楽はまるっきりできませんけど、ある有名な音楽家の大学教授がゴータミー精舎に来て、わたしとしゃべったんですね。その教授が言うのは、「あのねお坊さん、演奏というのも一つの瞑想ですよ。サマーディの精神統一した状態でなければ、歌えませんよ」と。
わたしから見ても、あの能力は相当精神的に訓練していないとできないなと思ったんです。
われわれは何をやっても、いいことをやるならば、それなりにわれわれの心がおとなしくなっていくんですね。
踊りにしたってもね、たくさんの振り付けを覚えなくちゃあかんでしょうに。覚えて、一緒に踊る人にあわせたり、客の状況も計算しながら、相当の修行なんですね。これを欲で人気者になりたいとやっている場合は、みんなすごくストレスたまっちゃうんですね。
そうではなくて、踊りでも歌でも、心の訓練であるとやってみると、リラックスしてすごくいい作品を作ったりすることもできるし、難しい踊りでもややこしい振付でもできるようになるんですよ。
スポーツもそうでしょうし。スポーツマンはどこかで人格的でしょうしね。
わたしも何人か踊りの芸能の方を見たことがありましたけど、瞑想会に来たっても、他の方よりスッスッスッとしっかりやるんですね。だから不思議なんですね。あの方々には仏教に携わる時間がないんです。ちょっと休みがあるとスッと来て、誰にも何も言わないでコソコソッとやって帰る。やるのはしっかりやる。もともと精神的に訓練があるんだから瞑想もうまく行くっていうね。
愛着、執着がある場合はすべてダメになるんです。それだけわれわれは教えています。
踊りをやって構いませんだけど、自我でエゴを張るために踊りをやってしまったら、これは自己破壊的な行為になっちゃってめちゃくちゃになるんです。
今日のようにお釈迦様のお祝いをするのは、どんな祭りでも構いませんし、スリランカでも派手な祭りをするんですね。
そういうことで、皆様方にお釈迦様の祝福がありますようにと誓願いたします。
また、他のお坊さんたちにもね、ウェーサーカにちなんでなんか一言しゃべってもいいんじゃないかなあと思いますけど。わたしはいつもしゃべっているんだから。どうですか?
(お坊様方の説法があった模様…。動画中では省略)
(鶏が先か卵が先か?…答え・どちらが先じゃなく、初めは単細胞です。|ウェーサーカ祭2015関西(3)に続きます)
ウェーサーカ祭2015.05.03 関西
https://www.youtube.com/watch?v=tw5vbsvdEAc よりメモしました。
関連エントリ:芸術家に対するブッダのアドバイス
芸術の場合は、お釈迦様は「芸術をやるなかれ」とは言ってないんですが、かなり注意はしています。
ただ単に、欲怒り憎しみなどの感情だけを引き起こしてしまうと、これは危険です。何か人間に役に立つようにしてほしい。
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