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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

存在というのは、死によって成り立っている|ウェーサーカ祭2015関西(5)

なんで人間が宗教を作ったんですか?|ウェーサーカ祭2015関西(4)より続きます)

「わたしは生きていきたい、死にたくない」。そこで宗教家が何を提案するのかというと、「だったらあなたこうしなさい。この神様を信仰しなさい。それで生きていけます」。

他の宗教家は「いいえ、こちらの神様を信仰してください」という。

 

各地方で、各国で、各民族で神がたくさんいる。自然と一神教を破っているんです。

そこで世界がつながっていくと、宗教で殺し合いになっちゃったんです。その結果この2神だけ、えらくなっちゃったんですね。それだけですよ。

 

インドにもブラフマという神様がいたんだけど、ヒンドゥー教徒の選挙で負けちゃって拝んでもらえません。凶暴な神と破壊の神のシヴァ神を拝んでいるんですね。で、聞いたらね、シヴァ神はおっかないから機嫌取ってやってるんだと。ヒンドゥー教で修行する人々はブラフマ神を拝むべきなんですね。今は、シヴァ神には仕事がないんです。世界がめちゃくちゃになったところで、シヴァ神の出番なんですけど、出番がまだ先なのに出て来ている。

 

わたしは宗教学で見て、学問的な分析で言ってるだけなんですけど、宗教学から見れば、シヴァ神の出番は後なんですよ。今は人間が平和で生きているんだから、その場面は別の神の出番なんです。

すべてのおおもとを探している宗教家は、修行者にはブラフマ神とアドバイスすべきなのに全部忘れちゃって、ゴチャゴチャになっています。

 

それでいろんな人が「こうすれば幸せになる、あなたは死なないんだよ」と提案するんだけど、実際はみんな死ぬ。それでみんな、天国を作る。わたしは、「あなた知っているのか?」と聞きたいんです。そんなのはあるのかと。

 

「うちの神様を信仰したらあなたは天国に行く」「いえいえ、こちらの神を信仰したら天国へ行く」と言い合っている。

キリスト教徒に聞くと「アラーを信仰したら地獄へ行く」と言うし、イスラム教徒は「アラーを信仰しないと地獄へ行く」と言う。結局どちらも地獄へ落ちるんですね。

 

これってなんかへんでしょ?

どんな神を信仰したらいいのか、分からないでしょう。

だから人間が自分の問題を見ようとしないで、解決策を探す。病気は何かと知ろうともしないで、手あたり次第に薬を飲む。死にますよ、それでは。

 

だからお釈迦様が、唯一答えを出したんですよ。

「存在というのは、死によって成り立っているんです」と。

 

壊れるから命ですよ。細胞が壊れなかったらどう? 大変ですよ。石になっちゃいますから。細胞は壊れるんですよ。だから生きているんです。壊れることは嫌って、何の話?

禅宗でも言っています、「生(しょう)と死は同じものだ」と。生と言っても死と言っても、同じこっちゃやと。

細胞が死ぬんだから生きているんでしょう。生きているとは細胞が死ぬことでしょう。一つの死後が死ぬと次の死後が現れるんです。だから、生と死の流れなんですね。だから永遠に生きていきたいってどういうことですか? 生死が分かっていないんですね。無常に逆らうんですね。年取るのは嫌だとかね。

太陽が昇るのは嫌だと言ったってもね。

 

その世界にお釈迦様が真理を、「これが本当の姿である。生きるっていうことは、生と死の流れだ」と。

 

それが気持ち的にはなんかおっかないんです。それが苦しみになるんです。死は嫌だと思ったら苦しみになる。新たなものが現れるが嫌だと思ったら苦しみになる。でもそれは起こるんです。

 

そこでお釈迦様が、

「そういうことじゃなくて、命は何であるかとよくわかって、それに執着するな。問題は執着なんだ。希望、期待に執着があるんだよ」という解脱の境地を教えているんです。

 

だから、今だかつて誰も聞いたことがない、発見したことがない真理をお釈迦様が語りますよ。聞いて知っているんだよというんじゃなくて、われわれの脳の中で、仏教を理解できないプログラムが入っているんです。

われわれが瞑想して真理を発見すると、いまだかつて分からなかった真理を発見したことになるんです。それでビックリします。執着がなくなっているとホントにビックリします。

 

だからちょこっと実験してみると。希望はどんな苦しみを作るのかと。たとえば、駅に着いたら電車が来ていて欲しいと思って駅に入ってください。イライラするんです。

希望が何もなくホームで待ちます。するとイライラしないんです。それで電車を待っているとやっぱり希望が現れるんですね、早く来いと。

もし誰かさんがホームに立っている。「電車が来たら来たでいい。来なかったら来なかったでいい」と思っている。その人にはイライラすることができなくなっちゃうんですね。

 

だから、希望・期待なく生きるためには、自我が邪魔なんですね。自我が希望・期待するんですね。

弱肉強食をやめる道|ウェーサーカ祭2015関西(6)に続きます)

ウェーサーカ祭2015.05.03 関西

https://www.youtube.com/watch?v=tw5vbsvdEAc よりメモしました。

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関連エントリ:病気になるのが本当に怖いんです

今、肉体の事で悩んでいるでしょ? 肉体のことは管轄外です。心のことで心配してください。

「この心で死んで大丈夫なのか?」と心配してください。

たとえば、この体が寝たきりになっても、わたしは悩まなくほほ笑んでいられるのか? 愛着が捨てられるのか? そこがわれわれ一人一人の課題なんです。ただそれだけです。

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