ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

幼いころから死に対する恐怖心が強くて、夜中に飛び起きるくらい怖い

質問

「幼いころから死に対する恐怖心が強くて、夜中に飛び起きるくらい怖いことがありました。今はそんなにないんですが……。いろいろなカウンセラーに行ってみましたが、母親の戦争体験を聞いたせいじゃないかと言われたりしました。結局、解決できません。どうしたらいいでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

死に対する「恐怖感」がおかしいんです。それは「死にたくない」という気持ちが強烈すぎなんです。それはおかしいんです。人間が死にたくないと思っても、死にます。

 

ものすごくちっちゃな子供たちが、6歳くらいのね、親には言えないんだけど、死に対していろんなことをしゃべるんですね。その場合は相手がわたしですから恐怖感にはならなくて、えらい哲学的にしゃべって話は終わります。

 

だからそんなに珍しいことではないんですよ。「死を気にする」っていうことはね。現実を気にすることだからね。問題は、怖いと。これは頭がおかしいんですね。例えばね、雨が降るのは普通のことで、これを怖いと思うこと自体があまり役に立たないんですね。

 

わたしが怖いとか怖くないとか思っても、雷は落ちるし雨は降るし洪水になるし地滑りになるし。そういうものはわれわれは自然の中で受け止めなくてはならないんですね。ですから、生まれた瞬間で確実に自分が受け取っているのは死ぬことなんです。

他は、ただ単に余計についているものなんです。長生きできるか、健康でいられるか、あれやこれやとね。そんなもの保障されてないんです。確定されているのは死ぬことだけなんです。だから保障されてない、得られるかどうかも分からない、勉強しようかとか人生成功しようとか、そんなのは分からないものばっかしなんです。それには怖いと感じないのは変でしょう?

 

確定されてないもの、全く保障されてないものには、全然心配しない。でも死ぬことは心配するというのは。死ぬことは確定されています。

ですから自分が現実を見ているんだっていうだけでね。現実を感じているんだと。

 

今はかなり鈍感になっているでしょうね、あまり気にしないっていうことはね。あまりカッコよくないんです。今になって死なないという保証があったわけじゃないでしょう? もっと確実になっただけでしょう、年を取れば取るほど。

 

仏教は死を観察することをとてもポジティブなアプローチで見ているんです。

これをやりなさいと。やらないから世の中ハチャメチャになっていくんだよと。人は誰だって死ぬ、どんな瞬間にも死ぬ可能性がある、だったら怒らないで穏やかで気持ちよく、仲良く、調和を保って、平和にこの一日を過ごすことなんです。心を汚さないでね。すごく明るい心で。その人は何をやっても成功する。だから明るく執着なく、恨み憎しみなく、嫉妬なく、欲なく、空気のように生きたければ、自分が死ぬんだと朝晩観察することです。

 

死ぬのは嫌だというのが恐怖感なんですね。それは太陽が昇るのは嫌やというのと同じことなんです。太陽が昇るのは嫌ですよというのは、放っておけそんなのはと。われわれは、太陽が昇ったら何をするか、沈んだら何をするか、そのプログラムを組むしかないでしょう。自然法則はいじれません。死ぬことは自然法則です。いじれません、誰にも。

 

生きている間、その間は待合室にいるんですね。呼ばれたら行かなくちゃいけないんです、わたしたちは。番号がもう振られているんです。銀行でも順番待ちの紙がありますからね。生まれたときから、自分の「死」という番号カードを取っているんです。呼ばれたら行くんです。それまで待合室でまっているだけ。人生は、生命はそういうものなんです。

 

だから死ぬことが気になる、ここまではOKです。「怖い」となると精神的に異常です。

確実に異常です。そこは自分で異常だと発見する方法は、太陽が昇ったのにわたしは何を思っているのか、太陽が沈むことにわたしは何を思っているのか。

地球が自転することに何も思っていないでしょう? そんな感じに死を見るんです。そうするとただ智慧のある人間なります。人生が、悪を犯さない善い人生にサッと変わります。

そういうふうに考えてみてください。

 

先祖の死は関係ありません。ご自分の過去世の死を思い出しているんです。はっきり覚えていないんですが、ただ、死んだときのあの嫌な気持ちを思い出しているだけなんですね。それはあまりにも力強く自分の心に刷り込まれているんですね。自分の心は過去世から持ってきますからね。それを考えても仕方がないんだけど、そこを仏教ではね、存在欲で苦しみが増えますよと。

 

かつて無数回、無限回、死んだんです。死ぬたびに「嫌だこれは、死にたくないよ」という気持ちで死んじゃったんです。だからまた生まれたんです。それでまた、死ぬでしょう。「嫌だこれは、死にたくないや」と死んじゃったんですね。だから、あなたは過去世で無数回、嫌なことが起きちゃってそれを覚えているんです。だから今も、死を思い出して、「これは嫌だ」となおさら渇愛を、存在欲をかき混ぜているだけなんですね。それで将来は、死後の世界はかなり危険なんです。

 

死は嫌なこっちゃじゃなくて、太陽と比較してみてください。地球の自転と比較してみてください。雨が降ったら地面は濡れてしまいますよ、そんなもんだとそういうふうに思った方が正しい思考になると思います。

 

関西月例冥想会 2015.06.07

https://www.youtube.com/watch?v=tadfClGVCbo よりメモしました。

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