ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

人間の義務は人間を乗り越えること|人間と五戒(4)

人間には心の制限を外せます|人間と五戒(3)より続きます)

われわれには、肉体のためにではなくて、肉体を措いておいて、心を活動させる能力があるんですね。そのワケがあるんですね。

それがわれわれが人間に生まれたことの意義であって、義務なんです。人間に生まれたんだけど、人間で死ぬなよと。このチャンスは人間にしかないんだよと。

 

人間でいるのもほんのわずかな時間ですよ。

他の生命はものすごく寿命が長いんです。われわれが知っているのは畜生ですけど、動物は地球の土で体を作っているから寿命が短い。地球の土ではないエネルギーで体を作っちゃうと、もう寿命はすごく長くなります。

この短い時間でわれわれは人間を乗り越えるということが、本当に義務なんです。

 

これをみんな分からない。無知ですから、肉体のことしか考えていない。普通の知識範囲に入らないものなんです。われわれは目をどうするのか、耳をどうするのか、肉体をどうするのかということで精いっぱい。

 

で、そこを乗り越えて、他の生命にも他の人間にもできないことをやってみてはいかがでしょうか。慈悲の瞑想も一つです。それは本来やらない仕事です、誰も。しかしわたしの嫌いな人も幸せでありますようにと思う。そこで一つ発見する。なんでそこでちょっと引っかかるんですか、と。物事は「わたし」という主語で考えているからです。その時点で思考がおかしいでしょう。すべて「わたし」という中心・観念で物事を見たっても見えるわけないでしょう。

 

誰の世界観が正しいですか? カラスに見える世界? ネズミに見える世界? 魚に見える世界? それを見たらすごく小さな世界であると分かるでしょう? 

猫が住んでいる世界はなんですかね? それはもう仕方がない。自分・猫という見方で見ている。わたしたちも、人間・私という主語で、物事を見ると、これ自体がおかしいんです。それに気づいてもらうんです、この実践方法で。

 

わたしと言う主語がなければ、「ただ生命」となってみたらどうですか。ただの生命、それぞれにそれぞれの生き方がある。放っておきましょうと。あえて、蛇に足を付ける必要はないでしょう? 医学的に一生懸命勉強して、うろこの代わりに足を付けてあげるとかね。要らんことでしょう、余計なことでしょう。

自分と言う気持ちがなければ、すべて生命で見える。生命で見えたら、嫌いな人ってなくなるんです。いるはずがないんです。

蚊に刺されないようにしてください、しかし蚊を憎む必要はないんです|人間と五戒(5)に続きます)  

 

東京・法話と実践会 2015.06.14(日)

http://www.ustream.tv/recorded/63713487 よりメモしました。

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関連エントリ:

『私の嫌いな人、嫌っている人も幸せでありますように』とは、思えません!

答えのポイントまとめ

  1. シミュレーションで「嫌いな人」を想像しない

  2. 現実の自分にとって誰が「嫌いな人」かを挙げる

  3. その「嫌いな人」の嫌な部分は「個性だ」と認識する

  4. 慈悲の瞑想は人格を向上させる

  5. 人格が向上すると、何か被害を受けても、こころの安らぎまでは持って行かれない

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