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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

自由になることが戒律です|人間と五戒(9・最終回)

八戒について|人間と五戒(8)より続きます)

ポイントはこれです。心を清らかにする。汚さないようにする。その生きかたを戒律というんです。ですから五戒だけじゃないんですね。なにか他のことをやっているときに心が汚れていくならば、そこで戒を守ってないんです。

 

ということは、ご飯を食べるときでも、体に必要なもの以上を食っちゃうと心が汚れていますね。執着が働いていますね。ですから、心が欲や執着で汚れないような生き方をしますと決めたら、それも戒律です。

わたしはもう、「五戒とかそういう項目では縛られていないんだ」「心が汚れないように生きてみます」と言ったら戒律です。縛られることは戒律ではないんです。自由になることが戒律なんです。

 

だから戒律という単語はあんまり正しくない。仏教ではお釈迦様が使っていることばで、Sīla(シーラ)といいます。Sīlaというのは、すごく落ち着いて穏やかに生きるという意味です。

項目はいくらでも作れますよ。こんなことをやったら穏やかじゃないでしょう。電車に乗ったら走るなよ、あまりでっかい声でしゃべるなよ、と項目はいくらでも作れます。

どこまで作る? キリがないんです。

 

五戒は、その中でどうしても残る項目なんですね。

だからこう理解しましょう。戒律という単語で日本語訳されているんだからね。そこで律と言ったらどうですかね。戒と言ったら項目、律と言ったらリミットがないんです。律というものがなかったらとんでもない野蛮人でしょう。

  

お釈迦様の言葉ではやっぱり、Vinaya(ヴィナヤ)というと項目になるんですね。Sīlaというとあまり項目にならないんですね。*1

パーリ語では同じこっちゃだから、Vinayaというのは自分を戒めることで、Sīlaは落ち着いて生活することで、結局は同じこっちゃなんです。

出家の場合はVinayaといったらすべて入っていますね。まとめて一つの単語です。あるいはSīlaというのも同義語として使っています。

 

そういう専門的なところは措いておきましょう。

われわれは律という、生き方ですね。間違えのない生き方。

それでもちょっと負担を感じると思います。負担を感じないやり方は、心を汚さないこと。心を汚さないと言ったら、毎日修行の世界になってしまうんです。服を着ることも戒律に入ってくるんです、その場合。ちゃんと節度を知って服を着る。体の面倒を見るときでも、節度を知って面倒を見る。心が汚れないようにする。

そういうふうにいろいろ出てきますね。

 

(五戒を守らないと)瞑想する資格もない、というのはちょっと余計な考えで、怒りの反応です。瞑想する資格を失ったわけじゃなくて、汚れたままで、弱いまんまでそのままにしておきましょうと言うのは成り立たない話です。

 

そういうことだから、瞑想する前に五戒を唱えて、その間は戒を守ってみる。人間はどうしたって戒律を破りますよと仏教は知っています。知っているんだから瞑想する前に五戒を授けてあげる。瞑想中は敗れませんからね。それで戒律を守った状態で瞑想ができるようになっています。

 

しかし、瞑想が終わった途端、戒律を破っちゃいますと思っちゃうと瞑想が成長しないんですね。終わったら破るかどうかは措いておいて、今、戒律を守ってください、なんです。

 

そういうことで成長していきます。

 

そこで戒律をあまり問題にしないで、すごく真剣に、素直に、正直に瞑想する人々は、自動的に(戒律違反を)やめているんです。だらしない生き方を。

「酒をやめるつもりはまったくない」と言っていた方々は結構いるんですよ。でも結果的にやめているんです。

 

「私は酒をやめるつもりはないんですよ」と、そこでわたしは「いいですよ。だったら瞑想は真面目に、素直な気持ちでやってみてください」というと、その通りにするんです。やってみたら本人が酒をやめているんです。あんなのは嫌やと。

 

頑張るときは理性をもって、無理をするんじゃなくて、できることから着々とすればいいんです。

 

人間になるのはまれなチャンスです。ワケがあって人間になったんです。義務があるんです。それをお釈迦様が言わない限り人間は分からないんですね。だから義務を聞いたんだから、そこで義務を果たすのは義務です(笑)

われわれは人間の次元を肉体の次元を破って、真理をありのままに知られる次元まで成長するんです。

(終わり)

 

東京・法話と実践会 2015.06.14(日)

http://www.ustream.tv/recorded/63713487 よりメモしました。

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関連エントリ:「善に達する」その真意とは?【十善十悪(後編)】

毎日のことで、「理性」を使ってみる。「気持ち」にさようならと言う。「気持ち」は悪くないんだけど、気持ちの裏が、すごく危険だから。

簡単な方法だと思います。戒律守るところから始めるよりは、簡単です。しかし振り返ると、きちんと戒律を守っています。理性を使っているから言葉も気を付けています。

すべての「説法めも」を読むには:【目次】説法めも

 

「人間と五戒」シリーズ全9回

 

*1:補注:「漢訳仏教用語だと、戒がSīlaで律がVinaya になっています。」