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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

物質的に豊かになっていくことと、心の豊かさの関係は?(前編)

質問「初めてですが、よろしくお願いします。物質的に豊かになっていくことと、心の豊かさの関係はどうなっているのでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

仏教から見れば、調和をとってバランスを取っていかなければ危険なんです。物質世界はいつだってバランスを整えているんです。物質世界は。しかしすべて無常だから、バランスとるっていうのは無限になっちゃうんですね。

 

例えば地球は自転していますね。不安定をなくしてバランスをとろうとしているんです。安定しようと。終わりがないんですね、それでずっと自転しているんです。太陽の引力やら地球の引力やらをうまくバランス整えたところで、答えは「自転しましょう」なんです。太陽の引力に対しては太陽の周りを回りましょうと、それで自転公転というのができているんですね。

 

そういうふうに物質世界はバランスを取っているんです。地震も火山の爆発もバランスなんです。あるべきことが起きているだけなんです。雷が落ちることもバランスなんです。そこで見事にバランスを整えて調和するんですね。

これが物質世界。

 

バランスを壊すのが心なんですね。

壊して危険な世界を作るんです。

たとえば人間が生まれた時から、自然を破壊してきたんです。しかし自然があって生きているんです。自然があったら現れた命なんですね。命があった時点からその舞台を壊すんです。それでバランスは崩れているんですね。

物質世界はそれでも元に戻そう、戻そうと、頑張っているんです。

こちらは壊す。逆に自然世界はこちらを攻撃して元に戻そうとする。生きるというのはそうやって終わりのない戦いになっているんですね。では、この終わりのない戦いは誰がやっているのかというと心がやっているんです。

 

夜は暗い。暗いから何も見えない。それが自然です。でも私たちの心は? 暗いのは怖い。だから灯りの世界を作っちゃっているでしょう。いかに自然を破壊しているのか。太陽が見えなくなった時点で、あらゆる方法でわれわれは灯りを作る。それは自然界にはないんです。それでどれくらい問題が起きていますかね? エネルギーに対して人間の欲望というのは限りない。人間のエネルギーにかなうエネルギーを作り出すことは地球にはできません。この地球にもできないくらいエネルギーを起こす。だから破壊するでしょう、すべて。

  

それで破壊者は誰ですかね? 心です。

自然界には破壊者はいません。ただバランスを取っているだけ。バランスを取っているのをわれわれが困った、と思っていも、われわれはバランスを崩すことがよかった、と思っているでしょう。変でしょうに。バランス崩れたら危険でしょう。だから人間には限りのない戦いがある。限りない悩み苦しみがある。いくらやってもこれはやりきれないことだから。どこまで自然に逆らうのか? なぜありのままで物事を放っておかないのか? 

 

ありのままですべての物事を放っておく精神が、仏教の解脱の境地なんですね。別に気にしない。地震が起きても。火山が爆発しても。あまり気にしない。自分が年をとってもあまり気にしない。病気になってもあまり気にしない。それで穏やかで安穏な心でいる。

 

それで誰が幸せか、長生きするのかというと、自然と調和する人なんです。壊す人じゃないんです。おなかに適量のご飯だけ食べる人が、健康でいられる。「美味しいものを食べたい。珍しいものを食べたい」と言う人が体を壊すでしょう。すべて自然破壊だから。この物体(身体)にはある程度で材料が必要です。必要な材料だけあげればいい。

 

だから仏道というのは、自然と調和することを教えてはいるんです。それが一つの教えで、すべてではないんだけど。

 

そういう前置きがあって、今回の質問に答えます。物質的な豊かさということでしたからね。これって何を意味するんですかね? 自然をいかに壊したか、ということでしょう。人間というのは物質的に豊かになりませんよ。頭がおかしいだけ。何一つも自分のものにならないんです。

 

たとえばいっぱい金があったとしましょう。あれって自分のものじゃなくて、あちらこちらにあったものを、無理矢理一か所にとどまってもらうだけの話でしょう。昔はお金は物質でしたけど、いまは妄想概念しかないんだから、金と言ったってもね。数字ですから。存在しない、あれは。数字だけ。わたしも金の計算は数字だけでやっています。ほとんど買い物はインターネットでやっていますからね。だからお金が行ったという感じもないし。

だからこれは、妄想世界で計算しなくちゃいけないんだと。

 

豊かということは、自分でないものは自分であるという錯覚の世界なんです。仏教的に言えば、どんな程度であなたは生きる土台を壊したかと自慢しているんだよと。ということは、かなり頭がいかれているんですね。だから物質的に豊かになってくると、精神面で衰えるんです。変な人間になるんです。これは当たり前の話なんです。

 

そういうことだから、人々が物質的な豊かさを求めていくとは精神的に衰えているという、最初から問題があるんです。それで精神的に問題がない人は、いかにバランスを整えましょうかと、俗世間的に言うと「生かして生きる」方法を考えるんです。物質的な豊かさというのは、生かして生きるのではなくて、殺してでも自分は生き延びるということなんですね。

 

ですから仏教的な社会が現れると完全に豊かな社会なんです。

「足らない」という言葉が消えちゃうんです。汚職がなくなっちゃうんです。物を不正に盗るっていうことがいなくなっちゃうんです。悩む人がいなくなっちゃうんです。「わたしに食べるものがなくて」というのがないんですね、仏教の世界では。

 

ある人が「これおかしい」と思っちゃうんです。ご飯を食べられない人がいる。わたしはいっぱい持っている。「これおかしい」と。そこで「はい、どうぞ」と。そこでバランスを整えちゃうんです。目が見えない人がいるとしましょう。その人は生きることにちょっと苦労している。わたしにはものすごく目が見えちゃっている。「これおかしい」と。この人は目が見えなくて困っている。では困っているときは助けてあげます、と手助けして問題を解決する。

 

お釈迦様は、そう言っても皆さんがやってくれないと知っていますけど、仏教的にはこれで解決する世界であると教えているんです。

物質的に豊かになっていくことと、心の豊かさの関係は?(後編)に続きます) 

 

関西月例冥想会 2015.06.07

https://www.youtube.com/watch?v=tadfClGVCbo よりメモしました。

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関連エントリ:科学技術の発展

文明はどうであっても我々の寿命は決まっているでしょう。

我々の生きている70年、80年の間で、なんで殺しあったり憎しみ合ったり人を恨んだり、環境を破壊したり、自己破壊したり、地獄を作ってるんですかね。

だから、この短い人生で、穏やかで平和で、慈しみで、人々のことを心配し合って思いやりがあって、カッコよく生きればいいでしょう。

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