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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

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映画「マッドマックス」を観たよ|在家仏教徒の日記

Diary

最近話題になっている映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を観に行きました。*1

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Ⓒ公式ホームページ

 

その日はレディースデー。チケットカウンターで座席を選ぶとき、すでに埋まっている座席は「おひとりさま」が多かったので、きっと自分と同じように一人で観に来た女性が多いのね、と思ったのですが……。

 

実際にシアター内に入ってみると、おひとりさまは男性ばかり。それどころか女性はわたし一人だけ。

  

どうして観客が女性か男性かと気になったのかというと、この映画「マッドマックス」は「結果的に」フェミニズムの内容が含まれた、と聞いていたから。

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このインタビュー記事で、ミラー監督がこんなふうに語っていました。

 

(ミラー監督)『マッドマックス/怒りのデス・ロード』で私は、映画全体を一つの長いチェイスとして描こうと思ったわけだが、主人公たちがなぜ戦っているかといえば、それは「人間らしくあること」のためだ。モノとか財宝のために戦っているわけではない。本作にも「財宝」は出てくるが、それは人ーー〈ワイヴズ〉だ。荒廃した地で、唯一健康な女たちだからね。その〈ワイヴズ〉の存在があるからこそ、女戦士が出てくる必然性が生じる。男であってはいけない。だって、「男が別の男から女を奪おうとする」というのでは話の意味が全然違ってしまうからだ。女戦士が、(隷属状態にある)女たちの逃亡を手助けし、マックスはそれに巻き込まれる。本作における〈フェミニズム〉はストーリー上の必然なのでであって、先に〈フェミニズム〉ありきで、そこに無理やりストーリーを付け加えて映画を作ったわけではない。〈フェミニズム〉はストーリーの構造から生まれてきたものなんだ。

 

ーー物語が必然的に〈フェミニズム〉を要請したということですね。

 

ミラー監督 そのとおりだ。

  

それで、わたしが観に行った日はレディースデーだったし、フェミニズム映画なら女性が多いでしょうと思ったんです。でもそのときは、実際は男性ばかりでした。

 

さて、映画の内容はというと、最初の10分くらいで、主人公マックスが、「自分を生かしているのは、生きたいという衝動だけ」というようなセリフを言います。これで、もうこの先のストーリーを観る必要ないんじゃない、と思うくらい、人間・生き物全部の核心をえぐりとったスタート。びっくりしました。

 

作品全体をフェミニズム的な視点から観ると、こんな感想でした。

 

この映画では男性たちが、自ら問題を作り、ややこしくして互いに戦っているように見えました。一方で、女性は子供を産むだけの存在という位置づけですが、女性たちの思考パターンは平和的なもの。だったら、あの世界では女性だけで子孫を作れるようにしたら万事丸く収まるんじゃないだろうか……というのが正直な感想です。

 

でも、ニュークス(ニコラス・ホルト - Wikipedia)という死期が近づいたウォー・ボーイズ(兵士)は、無垢なところが垣間見えてかわいいなぁと思いました。(人間の寿命は現在の半分、という設定でした。仏説と似ていますね)

だんだんと人のために頑張って活躍しましたし。

  

ボスであるイモータン・ジョーの五人の妻たち(ワイヴズ)ですが、逃亡する過程でそれぞれのキャラクターを見せます。イヴ・エンスラー氏という、アフリカ女性が隷属状態でいる現状に詳しい専門家が、出演者たちにアドバイスしたとのこと。でもワイブズに表れていた特徴は、一見普通に暮らすわたしたちにとっても身に覚えのあるもの。痛いところを突かれました。

 

 

フュリオサ(女性兵隊長で逃亡のリーダー)は、すごくカッコよかったですね。でも現実世界に「ドラえもん」が登場してくれないように、フュリオサを待っているだけではだめですね。自分たちがフュリオサから感じ取った強さを、自身の中で育てていかなくては。

 

ワイヴズのこんなシーンもありました。

 

つまりこれは、精子=死の種だ、ということですね。「命」って実は、生まれる前から死そのものである、と言っていると思います。

 

「生きるとは、生き続けたいという衝動だけ」と、映画冒頭のマックスのセリフ。そして、「命は生まれる前から死の種」と、ワイヴズ。派手な映像とガンガンの音楽がなければ、本当はひどく落ち込んでしまうような話です。

でもそこは、蜘蛛の巣のように自分を絡めとっている、この存在欲から脱皮するべく、ぐっと顔を上げて一言、「瞑想しよ……」とこころの中で、つぶやきました。

 

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