ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

覚りの世界|4ー最終回.それらを乗り越えた境地

覚りの世界|3.分別 より続きます)

 

差別、区別、分別、あともう一つあります。

こころは、差別・区別・分別、すべて乗り越えちゃう。それが仏教では、それで生命として終了です。ゴールに達しました。解脱に達しました。もう輪廻転生の苦しみがないというんですね。

 

それはどういうことかというと、この区別能力と、差別能力を使って、存在って何なのかと学んでみるんです。学ぶためには必要ですね、区別能力、それから分別能力。だから必ず、区別と分別を一緒にして、ペアにして、離れないようしにて、分けないで学ぶことが仏教では修行というんです。離れません、セット。

 

学校で数学を学ぶとき、同時に道徳的な正しい生き方を学べるならば、それも修行になるんです。数学では無理やと思いますけど、科学ではできますね。歴史、社会学はできると思います。それも仏教的な修行になります。

 

区別・分別をセットにして、離れないものにして、存在とは何か、生きるとは何かと調べていくと、最終的にすべては一時的によって、因縁によって現れては消えるものであって、そんな現象なんかはね、最終的には成り立たないんだと。何も成り立たないところで、区別も成り立たないし、分別も成り立たない。

その発見が、解脱なんです。成り立たないということは、ほんのわずかな例で説明して、話をやめます(笑)

 

「長い」と言ったらわかりますね。区別能力ですね。「短い」と言ったらわかりますね。

 

では、長いという単語を定義してみてください。成り立つ? 短い、を定義してみてください。ちょっと見たら、長いと短いは存在しないでしょう?

 

で、長いというために、比較するために、何か必要なんです。短いというためにまた何か必要ですね。

だから重い・軽い、汚い・きれい、というたびに、すべて対照的で言うものです。それで「わたしは人間です」と言うことも同じなんです。対照的で、何かに比較して言っているだけなんです。

 

そのように一つ一つ調べていくと、すべて対照的で「あれ、何もない。消えた」っていうことになっちゃうんです。

 

そういうわけで、区別もなくなって、分別もなくなるレベルが、普通の人にはないんです。それはもう、覚った人の世界なんですね。その人には怒りは生まれませんね。何を怒るんですかね。何もないんだから。自分さえも。成り立たないんだから。煩悩はないんですね。その人は知らないものは何もないんです。

 

そういうことで、言葉は四つ出ましたね、結局は。

差別、区別、分別、そして、「乗り越えた境地」ですね。差別、区別、分別が成り立たない境地で、智慧っていうのはそういうことです。

 (おわり)

 

東京法話と実践会 2015.07.12 スマナサーラ長老法話

http://www.ustream.tv/recorded/67329399 動画上時間最初~40:00までメモしました。

 f:id:thierrybuddhist:20150716153050j:plain

関連エントリ:涅槃とは?|ウェーサーカ祭2015東京(3)

すべての「説法めも」を読むには:【目次】説法めも

 

 

覚りの世界「差別・区別・分別・そしてそれらを乗り越えた境地」シリーズ全4回  

 

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