質問
「後輩を褒めて、なにかアドバイスを、合理的に正しいというアドバイスをするんですけど、後輩から『いや、それは正しいと思うけど自分にはできない』と言われます。それはわたしに慈しみがないのでしょうか? 言い方の問題ですか?」
回答(スマナサーラ長老)
人間というのはいろいろですからね。われわれにも育てる場合は、範囲があるんですよ。「ここまでは育てるけれど、これ以上はできない」と。たとえば仕事の環境だから、私生活まで管理できないでしょう。そういうふうに、できる場合とできない場合があります。
だから、一つ工夫としては、「それは論理的にあっているけどわたしにはできない」と言われたら、「人間は成長するべきでしょう。『できない』といったら、あなたは自分の成長に自分自身でロックすることです」と。
「やりたくない」というのは、主観的だからね。やりたくないものをやらなかったら、人間もサルで終わるでしょう。われわれ人間は、やりたくないものをやって成長したんですから、あなたもせっかくの自分の能力にロックをかけないでください、と言ったほうが、もしかすると、「ああ、そうか。ではやってみるか」ということになるかもしれませんね。
質問者「そういうことを言って、相手が『うるさい、もうやめてくれ』と離れて行っちゃうのはしょうがない、ということですか?」
「うるさい」と言われるのは、言葉が多すぎかもしれませんね。
そこは気を付けてください。特に人の管理の場合は、できるだけ、何も言わないことが第一なんです。
質問者「あ、言わないことなんですね!」
指導する人の仕事の第一は、まず何も言わない、これがステップ1。でも言わないでいると、本人がいろいろと四方八方に動いちゃうんですね。そこで、「いえ、これはこういうことですよ」と間違いだけを教えてあげる。「こうしたらうまくいきますよ」とかね。そこで、ストップする。
将来にやる間違いまで先回りしてしゃべると、やりすぎ。
質問者「やりすぎなんですね! なるほど……」
そのときは、うるさいと思われると思いますね。
質問者「わかりました。ありがとうございます」
東京法話と実践会 2015.07.12
http://www.ustream.tv/recorded/67329399 1:39:40~1:43:41頃(期間限定公開動画)よりメモしました。
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thierrybuddhist.hatenablog.com
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