ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

道徳ってなんですか?(前編)|道徳の定義

質問「道徳ってなんですか?

道徳というものがあるならば、いずれかの宗教に裏づけされていますか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

道徳とは判断することです。

では、われわれは判断することなしに生きていられますか? 犬猫は判断なしに生きていられますか? だから、生きるものはいつでも、判断して、判断して、生きています。判断する場合は、どちらにしようかな、という判断です。

 

これしか道がなかったら判断する必要もないでしょう。たとえば階段で転びそうになったら、どちらにしようかなと判断することはないでしょう。さっさと手すりをつかむしかないんだからね。

 

どちらにしようかな、という判断が道徳です。ということは、われわれは目が覚めた瞬間から寝付く瞬間まで、判断して、判断して生きていますよ。面白いことは、夢を見ているときも判断します。

 

それで、道徳の定義なんですけど、この判断によって自分がダメになる、周りもダメになる、それは悪い判断。判断の結果として、自分がうまくいった、周りもうまくいった、それは正しい判断。そういうふうに、判断には正しい判断とそうでない判断というのがあります。

 

あいまいな判断、中間的な判断はありません。中間的な判断もあるんじゃない、と思うでしょう。そういう判断の結果は中間的で、どうにも把握できないんです。だから悪い判断よりも中間的な判断のほうが困るんです、周りが。

 

「あなたが犯人だ。有罪だ」と決める場合、証拠がすべてそろっているなら簡単でしょう。しかし証拠が不十分で、はっきりと判断できない、そういう中間的な判断で、みんながものすごく困るんですね。だから、中間的な判断も悪い判断になります。

 

そういうわけで、われわれは判断して生きている。自分が判断して、自分が幸福になる、周りも幸福になるなら、よい判断です。自分が幸福にならない、周りにも迷惑かける判断なら悪い判断です。

 

道徳と言うのはわれわれの人生から分離できないんです。離れません。命あるものだったら道徳もついています。判断しなくちゃならないから。

 

動物も間違って判断してひどい目に合っているでしょう。死んじゃうでしょう。皆様が仕掛けた疑似餌(ぎじえ)に近寄っていくんだから。わたしはものすごく魚に対して怒っていますよ。怠けものですね。自分でえさを探せと(笑) 目の前にぶら下がっているえさを食うなよと。あの怠けで、ぱくっと食っちゃうでしょう。それで釣られてしまいますね。それで人生は終わり。ちょっとした判断ミスで。

 (道徳ってなんですか?(中編)|普遍的な道徳とはに続きます)   

 

関西定例冥想会 2010.06.27

http://www.voiceblog.jp/sandarepo/1157700.html よりメモしました。

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thierrybuddhist.hatenablog.com

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