荻上チキ・Session-22│2015年07月28日(火)池内紀「カント『永遠平和のために』を訳した理由」Session袋とじ http://t.co/NZaIRO581U @Session_22 安倍総理にも手渡したというこの本、読んでみたらすごいので引用ツイートしていきます
— チエリ (@thierrybuddhist) August 4, 2015
「平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしている。
Peace means the end of all hostilities.」
Immanuel Kant, 池内紀・訳「永遠平和のために Zum ewigen Frieden」集英社
— チエリ (@thierrybuddhist) August 4, 2015
戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない。
The state of war is nothing but a deplorable measure to claim justice by force.Immanuel Kant, 池内紀・訳
— チエリ (@thierrybuddhist) August 4, 2015
殺したり、殺されたりするための用に人をあてるのは、人間を単なる機械あるいは道具として他人(国家)の手にゆだねることであって、人格にもとづく人間性の権利と一致しない。
Immanuel Kant, 池内紀・訳「永遠平和のために Zum ewigen Frieden」集英社
— チエリ (@thierrybuddhist) August 4, 2015
「行動派を自称する政治家は、過ちを犯して国民を絶望の淵に追いやっても、責任は転嫁する。 」
Immanuel Kant, 池内紀・訳「永遠平和のために Zum ewigen Frieden」集英社
— チエリ (@thierrybuddhist) August 4, 2015
「対外紛争のために国債を発行してはならない。借款によって戦争を起こす気安さ、また権力者に生来そなわった戦争好き、この二つが結びつくとき、永遠の平和にとって最大の障害となる。」
Immanuel Kant, 池内紀・訳
— チエリ (@thierrybuddhist) August 4, 2015
殲滅戦にあっては、交戦国がともに殲滅され、それとともにすべての正義も消滅するから、永遠平和はようやく巨大な墓地の上に実現する。だからこそ、このような戦争は、戦争に導く手段もろともに、いっさい許されてはならない。
Immanuel Kant, 池内紀・訳「永遠平和のために」
— チエリ (@thierrybuddhist) August 5, 2015
戦争それ自体は、とりたてて特殊な動因を必要としない。名誉心に鼓舞されて戦争は起きる。
War itself requires no particular motivation. War can be waged by desire for fame.
I.Kant, 池内紀訳
— チエリ (@thierrybuddhist) August 5, 2015
隣合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではない。戦争状態、つまり敵意がむき出しというのではないが、いつも敵意で脅かされているのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。
Immanuel Kant, 池内紀訳「永遠平和
— チエリ (@thierrybuddhist) August 5, 2015
真の政治は、あらかじめモラルのもとにある。(略)支配権にどれほど犠牲を払わせようと、人間の法は保持されなくてはならない。いかなる政治もモラルの前にひざまずかなくてはならない。Immanuel Kant, 池内紀・訳「永遠平和のために Zum ewigen Frieden」集英社
— チエリ (@thierrybuddhist) August 6, 2015
厳密にいうと民主制は必然的に専制になる。というのは民主制の行政権のもとでは、一人(同意しない者)がいても全員の賛同とひとしく、その結果として、全員ではない全員が決めていくことになる。(I.Kant, 池内紀訳「永遠平和のために」集英社)
— チエリ (@thierrybuddhist) August 7, 2015
民族間の関係が放置されると、人間の本性にある邪悪があからさまにあらわれるものである。When the relations among nations remain unresolved, the innate evil of mankind becomes evident.カント
— チエリ (@thierrybuddhist) August 7, 2015
友好(待遇)というのは、よその国にやってきた外国人が、ただそれだけの理由で敵意をもって扱われることはないという権利である。
(I.Kant, 池内紀訳「永遠平和のために」集英社)
— チエリ (@thierrybuddhist) August 7, 2015
この本は、小さくて、薄くて、最初のほうのページは写真集のようなんです。
その理由が訳者による解説にありました。
“哲学者カントに「永遠平和のために」という著書がある。このとき71歳。じっと世の中を見てきた老哲学者が、やむにやまれずペンをとった。哲学ではなく平和を語った。いかにすれば地球上から戦争をなくすことができるのか。”(I.Kant, 池内紀訳「永遠平和のために」集英社)
— チエリ (@thierrybuddhist) August 7, 2015
“70歳をこえた哲学者が、哲学書ではなく平和論を世に問うた理由がわかる。まさしくやむにやまれずであっただろう。もはや手をこまねいてはいられない。国々の指導者、知識人、物を考える人に問いかけた。どうすれば戦争のない社会をもたらすことができるのか。(続)
— チエリ (@thierrybuddhist) August 7, 2015
問いかけるだけでなくて私案を示した。この種のことは、簡潔で、わかりやすく訴えなくてはならない。国王や政治家というものは、ぶ厚い書物など読みたがらないからである。おのずと「永遠平和のために」は、ちいさな、薄っぺらな、小冊子のような本としてあらわれた。”(カント, 池内紀訳「永遠…)
— チエリ (@thierrybuddhist) August 7, 2015
平和のために政治家に読んでもらいたいと切望して作られた本。
ラジオ番組「荻上チキ・Session-22」によると、偶然にも訳者・池内氏から安倍総理に人を介してこの本が手渡されたそうです。なんでも、池内氏が都内のお蕎麦屋さんで昼食をとっていたら、そこに安倍総理もたまたま昼食にやって来たとか。
今から220年前のカントの思いが、安倍総理に届いたでしょうか。
先月15日、衆議院で安保法案が強行採決で可決されました。憲法違反と言われているこの法案が、議会制民主主義の欠点を突く形で衆院で可決された現実を目にして、茫然としましたし、なにこれやばいよこれは、と思いました。
今までなら、常識で考えたら、ここまで憲法違反ならその時点でアウトでした。ところが、気付かぬうちに、その常識はもう届かない領域まで来てしまっているらしい。それで、そうまでして実行したい集団的自衛権ってなんなんだと、本当に日本の安全は危機的状況なのかと、調べてみました。
一例として、
安保法制見直し「これでは日本の抑止力は高まらない」早い段階から中国との戦いに米国を巻き込みたい」日本と「経済依存の深まりから、中国と不要に対立したくない」米国とのギャップなどを並べ「抑止が増すことはない」と断じた。しからば日本はどうすべhttp://t.co/LG8nOdc6Qk
— チエリ (@thierrybuddhist) July 19, 2015
その結果……
集団的自衛権を支持する人の書いたものをいくつか読んだ。過去の紆余曲折の歴史から、集団的自衛権が現在の世界平和のためには必要だと導き出されたという意見。理論的には間違っていないような気にさせるが、一貫して抜け落ちているものがある。人の考えはどうしても貪瞋痴で動いてしまう、という事。
— チエリ (@thierrybuddhist) August 6, 2015
人間の思考は貪瞋痴の回転だ。そこをそのままにして、どんな安全保障のシステムを作っても結果は過去の歴史と変わらないだろう。
— チエリ (@thierrybuddhist) August 6, 2015
だから、カントの「永遠平和のために」を読んだり、慈悲の冥想したり、ヴィパッサナー冥想したり、自分の思考パターンを見つめなおさないとダメなんですね。現実問題から離れて遠回りに感じても、それこそ妄想で、本当は一番の平和への近道だとわかります。
思考パターンのバグをそのままにしてきたことが、いつになっても平和がこの地球上にあらわれない、最大の原因なんだと思いました。
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